「シリウス!」
ハローワークを目の前にして、俺はリアカーの荷台で倒れるシリウスの名を呼ぶ。
シリウスの腹部からは大量の血が流れていた。
一角鳥の攻撃でかなりの傷を負っているのは見てわかる、おそらくあの角で一突きされたのであろう、ただただ今もその傷口から血が溢れてくるのだ。
「どうすれば? どうすればいい?」
かろうじてシリウスの呼吸が聞こえた。
生きている!
「ケ、ンタ……、さん……」
俺の声を呼ぶシリウスの口から、血が流れる。
「シリウス!」
どうすればいいのかわからず、俺はその腹の大きな穴を両手で押さえる。血がこれ以上でないようにと、そんな単純なことを考えての行為だった。
あまりきつく押さえつけると、シリウスは痛いだろうし、ただそっと添えるだけでなんの意味もないことはわかっていた。
「ぐ……。モンスターは?」
得も言われぬうめき声をあげながら、シリウスが尋ねてくる。
意識が朦朧となっているのがわかる。
「大丈夫、どっかいったよ。シリウスが戦ってくれたおかげだ」
何とか安心させようと、俺はひきつった笑顔を見せた。
今も俺の両手の指の間からは、シリウスの温かい血がどくどくと流れ出てくる。
ハローワークに助けを呼びに行くか?
ここで傷口を押さえていても、どうにもならないのはわかっている。
この出血量、素人が見ても明らかにやばいやつだ。あの一角鳥の角が背中まで貫通していてもおかしくない。
「僕、もうダメかも、しれませんね……」
「バ、バカなこと言うなよ! お前、もっと強くなって勇者パーティーに入るんだろ? こんなとこで、あんなモンスターにやられるわないだろ!」
おそらく、自分の状態は自分が一番分かっているのだろう。
シリウスの弱気な言葉に、俺は必死で否定する。
だが、血は止まらないし、シリウスの意識も遠のいていく。
顔色も、みるみるうちに真っ青になっていく。
ハローワークに行けば、ホイップもスマイルさんいるはずだ。シャルムが帰ってきていれば、シリウスの傷を治すアイテムを持っているかもしれない。
助けを呼びに行こう!
「シリウス、俺はハローワークに助けを呼びに行ってくるから、もうちょっと我慢しててくれよ。おまえのおかげで、もうハローワークの目の前なんだよ」
「…………」
シリウスは何もしゃべらない。
「だから、こんなとこで死ぬんじゃないぞ? いいな、すぐ戻ってくるからな? すぐにシャルムが治してくれるからな?」
目を閉じたシリウスは、口元だけで笑って見せた。
もうしゃべる気力もないのかもしれない。
「シリウス? シリウス?」
ふ、とシリウスの力が抜けて、頭がゆっくりと傾いた。
「おい、シリウス! 勇者パーティーに入るんだろ? 魔王を倒して、ダジュームの人々のために働くんだろ?」
気のせいかもしれないが、腹からの血が止まったような気がした。
「シリウス! 家に帰るんだろ? 俺たちの家は、もうすぐそこだぞ!」
俺はシリウスの体を揺する。
まるで抵抗しないで、シリウスの体は力なくただ揺れる。
呼吸の音もしないし、さっきまでかろうじて上下していた胸も動いていない。
信じたくはない。こんなこと、あってはならない。
「シリウス! シリウス!」
荷台が真っ赤に染まって、俺の顔は涙で濡れていた。
助けを呼びに行こうと思っていたことが嘘のように、俺はシリウスの名を叫び続ける。
俺は、最初の出会いの時のことをふと思い出す。
俺とシリウスは数時間の差で、この異世界ダジュームに転生してきた仲だ。
最初に真っ裸でアレアレアの中央広場――さっきシリウスと勇者が戦っていた場所――に転生してきた俺は、ただうろたえることしかできなかった。
ハローワークに連れてこられて、このダジュームのこと、俺たちがアイソトープという存在だということ、そして生きていくためにはスキルを身につけてジョブにつかなくてはいけないことなど、自分の境遇を思い知らされた。
しかし俺はそんなこと信じられずに、ただただシャルムに反抗していた。
俺が元の世界で死んで、この異世界に転生してきただって?
バカなことを言うんじゃない。アニメじゃあるまいし。
きっとこれは夢なんだ。騙されるもんか。
そんな時、シリウスが転生してきたのだ。
数時間遅れの後輩であるシリウスは、すんなりとこの異世界のことを受け入れた。
シリウスはネガティブな俺とは正反対で、ポジティブな性格だった。
おかげで俺もシリウスと一緒にハローワークで訓練を受けることを決心できたのだ。
あの時、シリウスがいなければ俺はきっとシャルムに裸のままハローワークから放り出されて、今頃はモンスターの餌になっていたはずだ。
シリウスは俺にとって後輩でもあり、命の恩人でもあるんだ。
いや、それ以上に、相棒――。
あのあと俺たちは妙な洞窟に投げ込まれて、強制的に戦闘訓練を受けさせられたんだったっけ。
あの時もそうだよ、シリウスが巨大毒サソリのしっぽを切ってくれなかったら、俺は死んでたんだよ。
どんだけシリウスに助けられてるんだって話だな、俺は。
相棒だなんて言ってくれるけど、俺のほうは足を引っ張ってるだけだったよな。考えすぎて、いつもポジティブなシリウスの邪魔をしてるだけだった。
それからはカリンが来て、俺たちアイソトープ三人はみんなでそれぞれの訓練をがんばって今日までやってきたんだ。
そりゃあ、スネークさんが襲われて何もできなかった無力な自分たちを嘆きもしたさ。
同じアイソトープだからこそ、お互いをのことを無意識のうちに競わせていたときもあった。
夢を追って行動して、お前はついさっき夢が破れたよな。
でもシリウス、お前はまだ前を見て、元の世界での後悔を償うためにこれからもがんばろうとしてたんだよ。
そうだろ? お前の夢、勇者パーティーに入って、魔王を倒すんだろ?
なのに、こんなとこで……!
「シリウス! 死ぬな、シリウス!」
死なせるわけにはいかない。
俺はもう動かなくなってしまったシリウスの腹の傷口をぐっと押さえた。
また俺は、シリウスに助けられたんだ。
シリウスは命がけで、俺を守って一人で一角鳥と戦ってくれた。
こんな重傷を負うまで戦って、一角鳥を追い払ってくれたんだ。
俺はまた何もしていない。何もしていないうちに、シリウスに助けられた。
ついさっき勇者に倒されて体はボロボロだったはずなのに、俺を守るために戦ってくれたんだ。
きっと馬を止めると、俺まで戦闘に巻き込むことになってしまう。
そうなったら、完全に俺はお荷物。何の役にも立たないのは、スマイルさんの馬車に乗っていた時のことで証明されている。
ホイップにも言われたよな。馬車を下りてたら、スマイルの邪魔になってたって。
だからシリウスはこの荷台に乗ったまま戦うことを決めたに違いない。
一角鳥を倒すことよりも、逃げ切って二人とも無事でいられることを選んだんだ。
こんな不安定なところであの巨大なモンスターを迎え撃つなんて、並大抵のことじゃないんだ。
それなのに、何もできない俺のことを思って……。
「俺はなんて無力なんだ…….相棒を、友達を、家族を危険な目にあわせて……」
シリウスの傷口の上で、ぎゅっと両手のこぶしを握る。
どれだけ後悔しても、しきれるものではない。
俺が無力だから、シリウスが……。
生活スキルでモンスターと戦わないようなジョブにつきたいからって、戦闘スキルの訓練からは逃げて、無力なままでいた。
最初からずっと言われてたのに。このダジュームでは、モンスターと戦うことが当たり前。自分で自分の身を守れなければ、何もできないって。
そして、俺が何もできないから、シリウスがこんなことに。
俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ……。
「シリウス!」
何度その名を呼んだであろうか。
俺の頬をつたう涙が、ぽとりとシリウスの体に落ちる。
その瞬間であった。
シリウスの血で真っ赤に染まった俺の両手が、突然に輝いたのだった。
「え?」
もちろん、俺は自分の手が輝くだなんて思ってもおらず、その手の下のシリウスの体から光が放ち始めたのだと思った。
慌てて傷口に当てていた両手を持ち上げたとき、その光が俺の手から放たれていることに気づいたのだ。
「な、なんだ? どうしたんだ?」
手が熱い。
燃えるように熱い。
自分の身に何が起こっているのかはわからないが、もし何かが起こっていることは間違いなかった。
「あ……、あ……!」
その手の平の光が、どんどん輝き、大きくなっていく。
燃えているように、俺の両手が熱くなる。
逆に頭のてっぺんから足のつま先までが、すっと冷えていくような感覚がした。
まるで体中の血液が、温度が、俺の手のひらに集まっていくような、そんな初めての感覚。
「これが、オーラの移動?」
魔法を使うということは、体中のオーラを一点に集中させて、外に発散することだとシャルムに習った。
そのオーラの移動はアイソトープには難しく、これが魔法を使えるか使えないかの大きな差になるのだという。
まさか、俺に、魔法スキルが覚醒したのか?
どんどん手のひらの光は大きく、まばゆくなっていく。
俺はその燃えるような手を、本能的にシリウスの傷口にかかげた。
すると、またも異変が起こる。
「な、なんだ?」
俺の手のひらに集まった光が、すすすっとシリウスの傷口に吸い込まれていくのであった。
俺から出た光はシリウスの腹の傷口に吸い込まれて、何事もなかったかのように光は消えてしまった。
「何が起こったんだ?」
しばし、理解が進まぬまま、あたりが静まり返る。
俺も動けないまま、動かないシリウスを見つめる。
さっきの光はなんだったんだ?
シリウスは、どうなったんだ?
だが、何も起こらない。
何も変わらない。
やはりシリウスは動かない。
「シリウスーーー!」
ハローワークを目の前にして、俺の叫びが大草原にどこまでも響いたのであった。
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