「おーい、シュラト! 出て来いよ!」
訓練から逃げ出したアイソトープのシュラトを追って裏山までやってきた。
かつては俺も毎日ここで泣きながら一人で朝から晩まで薪を拾っていたものだった。とんだ訓練だよ!
「思い出すだけで泣けてくる……」
今日は夕日がやけに目に染みるぜ。
あのシュラトがどんな訓練を受けていたのかは知らないが、逃げ出すくらいなのだからとんでもない凶悪な訓練を受けていたのだろうと窺い知れる。何しろあのシャルムだ。シリウスでさえ毎日死にそうになってたからな。
「シュラト! 俺は味方だぞー!」
毎日通っていたので裏山の地形は完ぺきに把握している。あの裏の世界と繋がっているゲートは頂上付近なのでそう簡単には近づけないだろうが、そろそろ夜になる。門番のキラーグリズリーが見回りにきておかしくない時間だ。
「……ひっく。俺は……、こんな……」
すると木々が風に揺れる音に乗って、声が聞こえてきた。
「シュラト! そこにいるのか?」
大きな木の裏から、すすり泣くような嗚咽が漏れてくる。
一人泣きたい理由もよくわかるので、俺はあまり刺激させないように、少し距離を取ったまま様子を見る。
「訓練がつらかったんだろ? お前の気持ちはよくわかるよ。俺もあのハローワークで訓練を受けたアイソトープなんだ。一応、卒業みたいな感じになってるけど、ダジュームに来た当時はすごく不安でつらかったのを思い出すよ」
ちらっとだけ見えるシュラトの背中に、俺は静かに語り掛ける。
一応はこのハローワークのOBだし、アイソトープとしても先輩なのだ。お節介だとしても、シュラトのためになればという思いだった。
「ああ、忘れてた。俺はケンタ。俺もこの裏山で毎日薪拾いをさせられてたんだよ。訓練という名のただの雑用さ」
俺は何気なく、足元の木の枝を拾い上げる。あのつらかった日々が思い出されて、ちょっとセンチメンタル。
「ケンタ……さんも訓練を?」
ようやくシュラトが声を聞かせてくれた。
「ああ、そうだよ。シャルムにはこき使われたよ。今日もシャルムから訓練を受けてたのか?」
「いえ。今日はシャルムさんは朝から出張らしくて事務所にはいません」
今日は事務所にシャルムがいないと聞いて、少しほっとする。昨日会ったばかりで、ちょっと会いづらかったからな。
「今、ハローワークにアイソトープは何人いるんだ?」
「僕一人です」
「そうなのか。じゃあ今日の訓練はホイップが?」
「そうです」
「あいつも厳しい妖精だからな。逃げ出したくなるなんて、どんな訓練をさせられてたんだ?」
ホイップだって魔法は使えるし、腕っぷしもある。シャルムのもとで何年も雑用として働いているので、訓練自体も過酷なものに違いない。
「いえ、訓練自体は大丈夫なんです。ここに来て一か月で戦闘訓練も一通りクリアしたし、魔法の訓練だって素質があったらしくて簡単に使えるようになりましたから」
「そ、そうなのか? もう魔法を習得したのか?」
シュラトの口から訓練に対する苦労や僻み妬みがでてくると思ったが、まったく逆の反応だった。
「ええ。初等魔法くらいなら、火、水、風の三属性はマスターしました。シャルムさんから素質があるって言われましたし、なんでもなかったですよ」
「そ、そうなのか……」
俺は軽くショックを受けてしまう。先輩を軽く超える後輩がここにいた。
俺なんて何か月も薪拾いをやって、なんの素質も発現しなかったんだけど?
素質だけでこんなに差が出るのかと、シュラトのことを心配したことが損をした気がしたと同時に、なぜかムカッとしてこの若造の顔を見てやろうと気の裏に回り込む。
「じゃあなんで逃げ出してきたんだよ?」
木の幹に身を預け、三角座りしているシュラト。俯き加減の幼い顔には、そんな魔法の素質があるとは思えなかった。
「それだけ魔法が使えれば、ジョブも簡単に見つかるんじゃないのか?」
「それはそうなんですけど……」
膝の間に顔を埋め、ぐすんと鼻をすする。
「泣いてたって、このダジュームでは生きていけないんだぞ! 何があったんだ?」
俺はえらそうなことを言いつつも、プライドがズタズタになっている。
すっと顔を上げたシュラトは、あらためて俺の顔を見る。
いくら魔法の素質があるとはいえ、まだ顔つきは幼い。元の世界ではきっと中学生くらいだろう。思春期まっただ中にこんな異世界に来て、訓練以外にも逃げ出したくなることも一つや二つあってもおかしくないのだ。
家族と別れたった一人、こんな異世界で暮らすにはまだ若すぎる。しかもほかにアイソトープがおらず、一人きりの訓練なのだ。俺にはカリンとシリウスがいた。心細さはなく、みんながいたからやってこれたのだ。
俺はイラっとしたことを反省しつつ、シュラトの言葉を待った。
「実は……」
「実は?」
ようやく重い口を開こうとするシュラト。
どんな理由があろうとも、俺はシュラトを守ってやろうと考えていた。もしシャルムやホイップに言いにくいことがあるならば、俺が身代わりになった言ってやろうとも思う。
それが先輩としての、あり方だ。
「実はホイップにパンツを見せてくれって頼んだら、殴られて……」
シュラトは赤くなった頬を手でさすった。
「……パンツ?」
「はい。訓練を乗り越えたのでご褒美的にお願いしたんです。そしたらいきなり殴られて。どう思います、ケンタさん? パンツくらい見
せてくれてもいいじゃないですかね?」
シュラトは目を血走らせながら、俺によくわからんことを訴えてくる。
ホイップのパンツを見ようとして殴られた……。
なんだか他人事とは思えない理由に、俺は目頭を揉む。
「……」
俺は空を見上げた。
今日はやけに夕焼けが目に染みるぜ……。
「味方じゃなかったのかよ! 下ろせって!」
「ホイップ、約束のものだ。俺にもコーヒーでも淹れてくれ……」
シュラトを捕獲した俺は、その体を肩にかつぎあげハローワーク事務所まで戻ってきた。
「あら。意外と早かったですね。とりあえずシュラトさんはその椅子にでも縛りつけておいてください。隙あらば逃げようとするので」
「わかった」
俺はシュラトをリビングの椅子に下ろし、ロープで直ちに縛り上げる。
「やめろ! 先輩面しやがって! 騙された!」
「うるさい! このエロガキめ!」
訓練が嫌で逃げ出したと思ったら、ホイップのパンツを見ようとして殴られたからだったとは。俺は親身になったことが情けなくもあり、どこかシュラトを他人とは思えなくもなっていた。
しかしこれとそれは別である。ぎっちぎちにシュラトを椅子に縛りつけた。
「話は聞いたわよ。シュラトくん、昔のケンタくんにそっくりね!」
紅茶を飲みながら、すっかりくつろいでいたカリンがつぶやく。
「そ、そんなわけないだろ! こんなマセガキ!」
俺がホイップのパンツを見ようとしたこと、カリンも知ってたっけ? いや、これは有耶無耶にしておこう……。
「まあ魔法の素質はケンタさんとは比べ物にはなりませんけどね。シュラトさんも真面目にしてればすぐにでもジョブにつけるんでしょうけどね」
ホイップがコーヒーをお盆にのせて、キッチンから戻ってくる。
「俺はまだ14歳だぞ! こんな若者に働かせるなんて、ダジュームは鬼ばっかかよ!」
「それがアイソトープの生きる道なんです!」
足をばたつかせるシュラトに、ホイップが睨みを利かせる。
「それよりもケンタさん! 留守にしてる間もこの事務所にまで護衛団がやってきて大変だったんですからね! お尋ね者になるのは勝手ですけど、迷惑をかけないでください!」
「ご、ごめん……」
勇者から逃げてお尋ね者になった俺を捜しに、このハローワークにまで手が伸びていたとは知らなかった。
「ケンタって……。そうか、あの全世界からマークされてる犯罪者ケンタなのか、あんた?」
「誰が犯罪者だ! 誤解だよ!」
シュラトもようやく気づいたように、首だけ俺のほうを向いて驚きの表情を見せる。そのジト目はやめなさい!
「それはさておき。カリンちゃんから話は聞きました。ダジュームをめぐる旅をして、自分を見つけるんですって?」
ホイップがちょこんとテーブルの上に立った。
「まあ、そういうことだよ」
カリンが目配せをしてくる。きっと大体の事情は説明してくれたのだろう。
「自分探しの旅なんて中二病みたいな目的ですが、ダジュームの命運がかかっているのならしかたないですね」
うんうんと頷きながら、わかったようなふりをするホイップ。
「何だよ、ダジュームの命運って? その犯罪者がなんだってそんなもん背負ってるんだよ?」
「お前はうるさいよ!」
シュラトに突っ込まれて、額をペシンと叩く。
「じゃあ、行きましょうか」
と、いつの間にかホイップが妖精サイズの小さなリュックを背負っていた。
「……何言ってんの? どこへ行くんだ?」
「私も一緒に旅に出るって言ってるんですよ。ケンタさんは頼りないですからね。カリンちゃんを任せておけません」
「ホイップちゃん優しいね!」
ぎゅっとホイップを抱きしめるカリン。
すでにこの二人の間では話がまとまっているようで……。
「待て待て! ホイップが出て行ったらこのハローワークはどうなるんだよ? 勝手に旅に難か出たらシャルムにキレられるぞ?」
「シャルム様にはすでに了解をいただいてます。これはケンタさんの監視も含まれておりますので」
どうやら俺が裏山に行ってる間に、シャルムとも話を付けているようだった。
「待てよ! じゃあ俺はどうなるんだよ?」
今度はシュラトである。
「シュラトさんはここで訓練を受けながら、私がいない間は雑用までこなしてください。これも訓練です」
「はぁ? なんで俺が雑用なんか!」
「私のパンツを見ようとした罰です! いいですね? サボったらシャルム様からきついお仕置きがありますから、しっかりしてくださいよ!」
「なんだよ、それ! この犯罪者のせいで俺が雑用に回されるっての? 勘弁してくれよ!」
犯罪者こと俺を置いて、どんどんと話がまとまっていく。
「じゃあカリンちゃん、ケンタさん。いざ、ダジューム横断ウルトラトラベルへ!」
えいえいおーと片手をあげるホイップとカリン。
なぜか今度はホイップまで仲間になってしまったのだった。
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