ダジュームを侵略したくない。
モンスターと人間で共存、協和の道を探りたい。
それが魔王ハデスの本心であった。
だが魔王という立場上、そんなことを口に出すことはできなかった。父の意志を継ぎ魔王となり、周りのモンスターたちはダジューム侵略への大号令を今か今かと待っている状態だった。
だがいつまで経っても腰を上げないハデスに、幹部からも疑惑の眼差しが日に日に強くなってくる。
「やはり魔王様は人間の女と一緒になって、日和ってしまったのではないか」
そんな噂は裏の世界でも蔓延り始め、いつまでもはっきりと否定しない魔王に不信感を抱くモンスターたちは単独でゲートをくぐってダジュームへ向かう者もあった。
さすがに魔王に向かって面と向かって批判するモンスターはいなかったが、このままでは魔王軍全体の士気にも関わり始めると、魔王城で幹部会議が開かれることになった。
「魔王様、初代が亡くなられて以降、まだ一度もダジュームを攻めたことはございません。そろそろ初代の喪があけたころとお察ししますゆえ、そろそろ号令を出されても良いのでは?」
魔王軍幹部の一人が、なるべくオブラートに包みながらもダジューム侵略を勧めてくる。
この男は、名をランゲラクといった。若くして初代魔王に右腕として抜擢され、ダジューム侵略を推進する魔王軍幹部の中でもタカ派で有名であった。
初代の意志を継いでいたのは長男のハデスではなく、このランゲラクであったというのは皮肉な話である。
初代魔王が亡くなり、ランゲラクも勝手にダジュームに攻め込むことはできなくなっていたのだ。それはハデスが魔王を継ぎ、余りにも消極的な態度をとっていることが原因でもあった。さすがにハデスの頭越しに行動することはランゲラクとて憚られていた。
「ランゲラクよ。魔王様に対し提言とは、お前も偉くなったものだな。口を慎め!」
もちろん幹部の中にも、ハデス側のモンスターもいる。裏の世界において、魔王が絶対であることは真理なのだ。現にハデスのレベル、オーラは裏の世界では間違いなくトップクラスであり、ここに集まる幹部全員が束になっても敵うはずがないのだ。
それが魔王の血筋であり、初代魔王が死んだからといって簡単にクーデターが起こらない理由でもあった。ランゲラクも、それは重々承知しているからこそ、簡単に行動はできないでいることで証明されている。
「モンスターたちも、先代魔王が亡くなられて失意を抱き、どうすればいいのかわからず戸惑っているのです。この状況でどう行動すればいいのか、魔王様に指示していただくのが一番と思い……」
「それが越権だと言っておる!」
ランゲラクのもっともらしい言い訳に、幹部が黙らせる。若造の意見など、聞く耳持たぬという風であった。
「ランゲラクの意見も尊重されるべきだ。この会議では忌憚なき意見を聞きたい」
幹部同士でのいざこざを避けるべく、ハデスは場を沈める。
ランゲラクが父の意志を継いでダジューム侵略を望んでいることはハデスも承知の上だった。このまま何もせずに黙っていても、ランゲラクの不満が溜まるだけということはハデスも気づいている。そうなると魔王軍自体が分裂してしまうのが、最悪の結果だった。
ランゲラクが裏切ったとして、それを制圧することは容易い。
だがその手段が暴力であれば、ハデスはそんなことをしたくはなかった。誰かの意志を通すために、誰かを傷つけるのはもうやめにしたい。
ハデスは魔王として、ダジュームとの争いを避けつつ、魔王軍も団結させなくてはいけない。その方法は、いまだはっきりと見つかってはいないのだが。
「そこでダジュームである噂を耳にしたのですが。よろしいですか、魔王様?」
空気が悪くなりそうになって、一人の幹部が話題を切り替えた。
幹部たちの視線が、その男に集まる。ローブを頭からかぶった、魔法使いのモンスターだった。
「ああ。どんな噂だ?」
ハデスもその話に乗ることにした。ランゲラクは発言する気力はなくなったのか、ここはうつむいてしまった。
「ダジュームの現在の勇者であるウハネという男なのですが、こいつはアイソトープだということはみなさんもご存じだとは思いますが」
魔法使いは幹部たちを見渡しながら、様子を窺う。
「ああ、ダジュームの人間たちも焼きが回ったのだろう。できそこないのアイソトープを勇者に担ぎ上げるなど、正気とは思えんな」
「妖精になれなかったできそこないであるアイソトープなど、人間よりも能力が低いのは誰もが知るところであろう」
「人間たちはウハネのことを覚醒したアイソトープなどとはやし立てているが、監視しているモンスターの報告によると、オーラなどほとんど感じられないそうだ」
「人間たちも追い込まれたのだろう。奇策も奇策、藁にもすがりたいのだろうが我々にはすべてお見通しだ」
幹部たちはもちろん新しい勇者がアイソトープであることは既知の事実であり、一笑の価値すらないという判断であった。
ここにいる誰もが、このアイソトープの勇者ウハネなど相手にもしていなかった。
「わざわざこちらから刺客を出すまでもないだろうことは、以前の会議でも話し合ったことだが、その勇者の噂とは?」
ダジュームでは勇者が死ねば、また新しい勇者が擁立されていく。魔王軍からすると、正直きりがないのだ。勇者を一人倒せばダジューム侵略が成るかといえばそうではなく、ある種人間側は永遠にコンティニューを続けられる。
この魔王軍側には不利な膠着状態を崩す手段は、これまで幹部会議では長らく議題に上がってはいるが、いつも人間全滅という極論にたどりつくためハデスは進んで議論しないようにしていた。もちろん、初代魔王やランゲラクはそれを望んでいるのだが。
「ええ、それが……。勇者ウハネは我々と対話を希望していると」
「……対話?」
まさかの噂に、ハデスも息をのんだ。
「バカらしい! アイソトープごときが我々と対話を? 図々しいにもほどがある!」
バン、と机を叩く音と同時に、怒号が飛んだ。
黙っていたランゲラクであった。
「あくまで噂じゃ。正式に魔王軍に申し込まれた話ではない」
「当然だ。人間以下のアイソトープが、我々に意見しようなど噂だっても腹立たしい! 同じ机につけるとでも思っているのか!」
ダジューム侵略派のランゲラクの怒りは、会議室の温度を上げる勢いだった。それほどまでに、ランゲラクにとっては勇者など寡少な存在であったということだろう。
「魔王様、あのような無礼な者はさっさと始末してしまいましょう。ご命令いただければ、私が直々にダジュームに行き、勇者の首を……」
「抑えろ、ランゲラク」
ハデスは片手をあげ、盛るランゲラクを制止させる。
もちろん、ランゲラクにそんなことをさせるわけにはいかない。むしろハデスのほうは、その噂のほうに興味を引かれていたのだ。
人間と戦わないで共存する方法のひとつの壁に、お互いが歩み寄れないというものがあった。これまで人間とモンスターは出会えば最後、殺し合うことでしか答えは出せなかった。話し合うことなど、不可能だった。
だが勇者側から対話の申し入れがあるならば、それに応じる形ならば魔王軍の格を落とすことなく話し合うことができるのではないか?
「その噂の出どころは?」
魔王が興味を示したことに、会議室がざわつく。もちろんランゲラクも反論はできないが、邪悪なオーラが一瞬だけ漏れた。
「ええ、監視につけているモンスターからの情報です。勇者もこのままでは勝ち目がないことは分かっておるようです。ある程度の譲歩も考えたうえで、和平の道を探っているようで……」
情報を持ってきた魔法使いも、魔王が乗ってくるとは思わなかったのだろう。恐縮しながら、話をつづけた。
「もしかしたら、正式に申し込んでくる可能性もあるかと……」
「譲歩とは、いかなるものだろうか?」
「おそらくダジュームの一部を我々に明け渡す、というものでござりましょう。さすがに無条件でこちらが飲むとは思ってはおりますまい。戦えば負けることは、奴らも分かっておりますでしょう」
「なるほど……」
ハデスは窓の外に視線をやり、しばし熟考した。
もし、誰も傷つけることなくダジュームの一部を手に入れられるとしたら、侵略派であるランゲラクたちの留飲も下げられることになる。
「だがこれはまだ噂レベルゆえ……」
黙り込んだ魔王に、魔法使いが添える。
「分かっている。魔王軍も勇者の言いなりになるつもりはない。これからも勇者の行動は注視しておくように」
あくまで噂。まだ何かが動いたわけではない。
ただ、これはハデスが目指す協和の第一歩になるのではないかと、光が差したようであった。
幹部会議が跳ね、魔王の間で一人になったハデス。
考えるのは裏の世界のこと、ダジュームのこと。そしてなにより家族のこと。
シャルムもだんだんと大きくなり始め、人間で言えば五歳くらいの体になっていた。すでに娘はモンスターと人間の関係性も理解するようになっていた。父親が魔王であり、自分が人間とモンスターのハーフであることも分かっている。
最近では魔法も使えるようになり、スキルも習得し始めたようだった。素質という点では父親のハデスの血を色濃く受け継いでいるようだった。
オーラの量もすでに魔王軍の中でも見張るものがあり、魔王の娘としての存在感は増すばかりであった。
シャルムの将来に関しては有望だと頬を緩めるが、心配なのは妻のミラのほうだった。
モンスターの寿命は長く、それはハーフのシャルムも同じだった。だがハデスやシャルムに比べて、人間のミラだけは寿命はあと数十年しかなかった。
ハデスはこの家族三人で一緒に暮らす期間がほとんどないことに気づいていた。人間と結婚することを決めたときに覚悟はしていたことだが、一緒になるとモンスターと人間の時間間隔の隔離は顕著となった。モンスターにとっての100年など瞬く間であり、人間にとっての100年は人生そのものであった。
それはハデスの心中に焦りを生み出した。
できることならば、ミラが生きているうちにモンスターと人間の共存の世界を作りたい。その平和の世界を、ミラに見せてあげたい。
それがハデスの魔王としての仕事なのだと、胸に刻み込んだ。
いつかミラがシャルムに言った。
「お父さんは世界を守っているのよ」
ミラが指す世界とは、裏の世界、そしてダジューム。二つが一緒になる世界なのだ。
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