「ケンタさん、おかえりなさーい!」
外が暗くなりかけたころ、俺は異世界ハローワークに帰ってきた。
キッチンのほうから聞こえてきた陽気な声は、妖精のホイップのものだった。
今日もホイップとカリンが料理訓練の真っ最中のはずだ。ここまでいい匂いが漂ってくる。
俺はリビングに向かい、疲れた体をソファに投げ出した。
「おかえり、ケンタくん。あれ、元気ないじゃないの?」
キッチンからひょこっと顔を出すのはカリンだった。
「疲れるも何もさ、帰りの馬車で……って、えぇ?」
振り返ってカリンの顔を見て、俺は絶句した。
カリンの顔が、爆発したかのように真っ黒になっているのだった。
「カリン、どうしたんだ? その顔?」
暖炉の中に顔をツッコんですすまみれになったかのようだった。
真っ黒な顔で、これで髪がアフロになっていたらまるでコントである。
俺は疲れていた体を起こし、身を乗り出す。
「ちょっと魔法が暴発しちゃってね! 火の魔法は制御が難しくって!」
てへっと舌を出すカリン。怪我はなさそうだが、俺は別の意味で心配が生まれる。
「魔法って……、お前、料理訓練をしてるんじゃなかったのか?」
今もリビングまでただよってくる、肉を焼いたような良い匂い。夕飯の準備をしているのかと思いきや……?
「もちろん料理訓練も受けてるんだけど、ついでに魔法訓練も同時進行なの!」
ぐいっと拳を握るカリンの腕には黒い腕輪がついている。
俺の腕にも同じものがついており、これは体の中に秘めたオーラを集める魔道具なのだ。俺たちアイソトープが魔法を使えるように補助するアイテムなのだ。
「魔法訓練って、カリンがか?」
「そりゃそうよ。料理と魔法のマルチタスクよ! ホイップちゃんに習ってるの」
キッチンのほうを指さすカリン。その先にはゆらゆらと宙を舞っている妖精のホイップがいるわけで。
「ケンタさんも帰ってきたことですし、今日はこのくらいにしましょう! カリンちゃんは顔を洗ってきてください!」
「はーい!」
カリンがエプロンを脱いで、洗面所のほうへ駆けていく。
なんてたくましい奴だ。魔法訓練で爆発したって、大丈夫なのか、あいつ? みたところ怪我はなさそうだったけど……。
カリンと入れ替わりに、ホイップが皿を抱えてふらふらと飛んできた。
「おいホイップ。マジでカリンに魔法を教えてるのか?」
カリンが部屋からいなくなったのを見計らって、小さな声でホイップに聞く。
「そうですよ。カリンちゃんは魔法の素質がありますから」
当たり前のように、ホイップが答えた。
「カリンにまで魔法を習得させなくてもいいんじゃないか? 本人は【料理】スキルを身につけたがっているんだろ? わざわざ戦闘スキルを……」
この異世界ダジュームにスキルは二種類ある。戦闘スキルと生活スキルだ。
【魔法】スキルのようなモンスターとの戦いのために使うスキルは戦闘スキルと呼ばれ、それ以外に日々の生活に役立つ【料理】スキルのようなものが生活スキルと言われている。
「だって魔法を使えるに越したことはないですからね。外に出ればモンスターと戦っていかなきゃいけないのはケンタさんもよく知っているでしょ?」
「そりゃそうだけど……」
俺はホイップから目線を外す。
俺が言いたいのは、なんだかカリンには戦闘をするようなことはしてほしくないと思っただけで……。
これはうまく説明できずに、俺は口ごもってしまう。
さっきのスネークの話だと、アレアレアでも生活スキルを使ったジョブがたくさんあるみたいだし、無理して戦闘スキルを身につけるのはどうなんだろう?
「あ、ケンタさん。嫉妬してるんでしょ? カリンちゃんが上手に魔法を使うから!」
にたぁっと悪い笑みを浮かべて、ホイップが俺のほうへ飛んでくる。
「そ、そんなんじゃないよ!」
俺は手を振って否定する。
そうなのだ。カリンはすでに簡単な火の魔法を使えるようになっていた。
アイソトープが魔法を使えるかどうかは個人の素質によるところが大きく、カリンには【魔法(火)】の素質があったということで、ちょっと訓練を受けただけで簡単に魔法を唱えてしまったのだ。
「ケンタさんもまた魔法訓練を受けられるようになりますから、しばらく我慢しててください」
「いや、俺は魔法なんか使いたくないんだって! だけど雑用ばかりもなんとかしてほしいんだけど!」
おそらく地下の道場ではシリウスがシャルムから格闘訓練を受けているはずである。
カリンとは違い、魔法の本格的な訓練を受けたにもかかわらず、一切【魔法】スキルが発現しなかったのが、このシリウスである。
今は【魔法】スキルは諦め、【格闘】スキルを磨いているところだ。
シリウスは、この異世界ダジュームで人々を助けるために戦闘スキルを習得してモンスターと戦いたいらしい。殊勝な男である。
俺たちアイソトープが転生してきて一か月経つが、俺以外の二人は着々とスキルを磨いているようで、俺だけが取り残されている状況に焦りがあるのは嘘ではない。
俺はシリウスと違って、戦闘スキルよりもまったりスローライフを送れる生活スキルを身につけたいんですけどね。
「でもダジュームで生きていくには、戦闘スキルもちょっとくらいは身につけなくちゃいけませんからね。丸腰でモンスターに会ったら、2秒でエサですから!」
相変わらず恐ろしいことをさらっというホイップである。
俺も厳しい訓練なしで魔法が使えるようになるんだったらいいんですけどねぇ……。
「そうだ、さっきアレアレアからの帰りにさ……!」
「なんの話をしてるの? ケンタくん、アレアレアに行ってきたんでしょ? 楽しかった?」
そこへ顔を洗ったカリンが戻ってきた。
すっかり俺のよく知っている、笑顔が明るいカリンに戻っている。
「ああ、大変だったんだよ! アレアレアからの帰りにさ、馬車がモンスターに襲われちゃっって!」
「ええ、ほんと?」
カリンはびっくりしたように口を手で押さえた。
俺の帰りがこんなに遅くなってしまったのは、それが原因だったのだ。
スネークの家で雑談をした後、夕方には町を出て馬車で小一時間、暗くなる前に帰ってくるはずだったのだが、まさかのモンスターとのエンカウントしたのだった。
「でもケンタさん、まったく怪我をしていないようですよ? いまのケンタさんがモンスターに襲われて、生きて帰ってくるほうが不思議じゃないですか?」
俺がこうやって無事に帰ってきたことを疑うホイップである。
こいつ、俺にどうなってほしいんだ? 血だらけで帰ってきた方がよかったですか?
「馬車の御者のスマイルさんがいてくれて助かったんだよ!」
帰りもスマイルさんの馬車だったのだが、これが功を奏したというか……。
「なんだ。じゃあ大丈夫ですね。心配して損しましたよ」
ホイップがその名前を聞いて納得したというか、同時にがっかりしたような表情をする。こいつめ……!
「え? え? スマイルさんがどうしたの?」
俺とホイップの会話に入ってこれなかったカリンが、交互に顔を見合わせる。
ホイップさんとは異世界ハローワーク御用達の馬車の御者さんで、出かけるときに専属で手配しているのだ。もちろんカリンも、面識はある。
「いやな、すごいんだよ、スマイルさんが!」
俺は手を広げ、さっきモンスターに襲われた顛末を説明しようとしたら。
「遅かったじゃないの。町でサボってたんじゃないの?」
地下から階段を上がってきたのは、シャルムとシリウスだった。
「おつかれさまですー。すぐご飯にしますねー!」
シャルムたちに気づいたホイップが、再びキッチンに戻って行った。
毒舌や皮肉は一流だが、ホイップはこう見えて立派な雑用係である。仕事は早い。
「サボってないですよ! 帰りにモンスターに襲われたんですって!」
「あっそ」
俺にだけ厳しいシャルムは興味を示さずに、テーブルにつく。
もうちょっと心配してくれてもよくない? あなたに頼まれて行ってきたんですよ?
「ちゃんとスネークに荷物は届けてくれたんでしょうね?」
「それはもうきっちりと!」
宅配も訓練の内なので、ここはきちんと報告せねばならない。
「お、おつかれさまです……」
そこへ続けてシリウスがやってきた。
「あ、シリウス……。今日もお疲れだな?」
先日から【格闘】スキル習得のための訓練を受けているのだが……。
「……はい。死にそうです」
言葉通り死にそうな声を絞り出すシリウスは、両腕が落ちそうなくらいに肩が下がり、足取りも重そうにテーブルに向かう。
「お、おつかれ……」
格闘訓練を受けるシリウスが日に日に弱っていくのを見ると、俺のほうが気がめいってしまう。一体どんな訓練を受けているのだろうか?
やはり俺は絶対に戦闘スキルなんて習得しないぞ!
進め、草食系アイソトープ!
「ねえねえ、スマイルさんがどうしたのよ!」
魔法訓練を受けてもまだまだ元気なカリンが、さっきの話の続きを催促してくる。
「ああ、食事しながら、な?」
逸るカリンをなだめて、俺もテーブルにつく。
全員が揃ったところで、俺もいろいろ話したいことがあったので、ちょうどよかった。
ホイップとカリンが料理を運んできて、ようやく夕食が始まった。
今日はサンダーバードの串焼きがメインディッシュで、ホーラン草のスープと、カリン特製のパンがメニューだった。
このパン、カリンの魔法で焼いたのだろうか? ちょっと焦げ気味だがいい匂いがしている。
「いただきまーす!」
腹が減っては戦は出来ぬと、俺は食事にがっつくが、相変わらずシリウスは疲れ切ってフォークを持つ手も重そうだ。
食欲がなくなるほどの訓練を受けるって、なんともおそろしい。
その訓練をしているシャルムを見ると、シリウスのことなど気にもしないように上品にスープをすくっていた。
……やっぱりこの人も底が知れないな。絶対逆らっちゃならねえ。
「ねえねえ、ケンタくん! さっきの話!」
食事が始まって間もないころにカリンが急かしてくる。
「そうそう、ここに帰ってくる途中にさ、モンスターに襲われたんだよ! いきなり馬車が止まったと思ったら、空からでっかい鳥に襲われたんだって!」
「大きな鳥? まあ大変!」
カリンが口を押さえる。
ちらっとシャルムを見ると、興味なさそうにスープを飲んでいた。
……もう心配してもらうのは諦めよう。
「一角鳥っていうらしいんだけど、大きな角があってさ? 窓から外を見たら、まっすぐ馬車に向かってくるんだよ! 俺は馬車から逃げ出そうとしたんだけど、外は草原だし逃げ場なんかないじゃん?」
「ふんふん、それで?」
カリンだけが目を輝かせて、俺の話を聞いてくれる。
俺はついさっき起こった惨劇を思い出す。
「そしたらスマイルさんが長い槍を持って、馬車の前で構えてんだよ。俺は目を疑ったね、あのいつもニコニコして優しいスマイルさんが、すごいスピードで滑降してくる一角鳥に狙いを定めてるんだよ」
「スマイルさんが!」
「相手は馬車よりも大きい鳥だぜ? さすがにスマイルさん一人で太刀打ちできるのかと、俺も飛び出そうと思ったんだよ。……でも決着は一瞬だったのさ」
「一瞬?」
ゴクリという音がカリンの喉から聞こえる。
俺はじっくり間を溜める。
「勝負は一瞬、飛んでくる一角鳥にえいやぁと槍を一閃。一角長は次の瞬間には串刺しになって地面に転がっていたんだよ。こんな風に……」
俺は皿の上に乗っているサンダーバードの串焼きにフォークを刺して、カリンに見せた。
「スマイルさんがモンスターを一撃でやっつけちゃったんだ!」
「そうなんだ。そりゃ見事にね!」
俺は自分の功績のように、強く拳を握った。
あのときのスマイルさんはすごかった。
このダジュームに来て、まともにモンスターとの戦闘を見るのは初めてだったので、実は恐怖で動けなかったのが本音である。
だけどスマイルさんはまったく動じることなく、冷静に一角鳥を退治してしまったのだ。そのあと、なんでもないように再び馬車を運転するのだから、慣れたものであった。
モンスターが当たり前にいる世界をまさに実感した瞬間であった。
「我が物顔で語ってるけど、あなたは見てただけじゃないの」
シャルムがチクリと釘を刺してくる。
おっしゃる通り、俺は馬車の中で震えていたのだ。だけど、飛び出す暇もないうちに、すべてが終わってしまったのは事実で……。
「そ、そうなんですけど。でも俺も助太刀する暇もなかったんですよ!」
「スマイルさんはああ見えて、昔はアレアレアで護衛団の団長さんだったんですよ! ケンタさんの助けなんて邪魔になるだけだから、
じっとしてて正解でしたね!」
またもホイップが毒づいてくる。
「へえ、スマイルさん、護衛団の団長だったの? すごーい!」
俺が何もしていないことには触れず、カリンはスマイルさんに興味津々である。
俺もスマイルさんには何度も馬車で送ってもらっていたが、あんな戦闘をするところを見たのは初めてで、度肝を抜かれたのだ。人は見かけによらないというか……。
助けてもらっておいてなんだが、スマイルさんの強さに俺はただただ圧倒されたわけで。
「ずっと言ってるでしょ? ダジュームで生きていくにはモンスターと戦えて当たり前。スマイルだけが特別じゃないのよ? 馬車の御者だからって舐めてたんでしょ、ケンタ?」
「そ、そういうわけでは……」
シャルムの言うことに図星の俺は、言葉を詰まらせる。
「ここではいつモンスターに襲われてもいいように、みんなが緊張感を持って生きてるの。スマイルだって客を守るため、そして自分を守るために努力してるのよ。それがダジュームで働く基本ってワケ」
シャルムがあらためて異世界ダジュームの生き方の基本を諭してくる。
スローライフを送りたい俺だが、戦闘スキルの必要性をこうもまざまざと見せられては言い返すことができない。
ダジュームで生きていくには、スマイルさんのようにモンスターと戦えるのは当たり前のことなのだ。今の俺では自分のことさえもろくに守れないのだから。
「戦闘訓練を受けたければいつでも言いなさいね? 私が優しく手取り足取り、教えてあげるから」
にこりと笑うシャルムに、俺は愛想笑いで返すしかできなかった。
訓練でしごかれてズタボロになっているシリウスを見ると、もうこのシャルムが鬼教官にしか見えない! ていうか鬼そのもの!
ここは話を変えようと、もうひとつの話題を取り出すことにする。むしろこっちのほうが本題だ。
「そ、そういえばスネークさんが言ってたんですけど、来週勇者がアレアレアに来るって!」
「……勇者?」
さっきから一口も食べれないほど憔悴しきっているシリウスが、ぽつりとつぶやいた。
「勇者って、魔王と戦ってる、あの勇者?」
好奇心旺盛なカリンが、またも身を乗り出した。
「ああ。俺が今日荷物を届けに行ったスネークさんっていう人に、勇者が会いにくるらしいんだ。……知ってました?」
カリンに答えながら、シャルムに尋ねる。
スネークさんには口止めされていたが、シャルムになら聞いても大丈夫だろう。
「言ってなかったっけ? あの爺さん、あれでも昔はすごかったからね。勇者が頼るのもありえる話よ」
シャルムが食事の手を止め、ふと懐かしむような、どこか寂しそうな目をする。
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