「ダジュームに行くって本当ですか?」
魔王の間に入って来るや否や、魔王ハデスに詰め寄ったのはベリシャスであった。
ベリシャスは魔王ハデスの実の弟である。しかし魔王の意向から、ベリシャスは幹部会議には出席させてもらえず、魔王軍の中枢からは一歩引いたポジションを与えられていた。
これはハデスの兄として、弟には血なまぐさい部分を見せたくなかったからだ。手を汚すのは魔王である自分だけでいいと、家族へ向けた思いやりだったのかもしれない。
しかしベリシャスは自分だけが蚊帳の外に置かれている現状には不満で、今回も兄のダジューム行きの件を知ることになり、こうやって慌てて会いに来たのだ。
「兄さん、どうなんです?」
ハデスは玉座に座ったまま、弟の姿を見る。
「ああ、本当だ」
「何をしにですか?」
「勇者のほうから対談の申し入れがあった」
「なんでそんな大事なことを教えてくれなかったんですか? 兄さんが行く必要ないんじゃないですか?」
魔王ハデスが直々に勇者ウハネに会いに行く。
このことがベリシャスの耳に入ったのは、ミラの世話役であるフェリスからであった。フェリスもベリシャスには伏せておくようにと言い含められていたらしく、彼女がうっかり口を滑らさなければ最後までベリシャスには知らされていなかったかもしれない。
「これから言おうと思っていたんだ」
「また嘘を。それなら僕も幹部会議に出席させてくださいよ!」
ベリシャスが机に両手をつき、抗議をする。
ハデスはこのことを弟に伝えるつもりはなかった。反対されることがわかっていたからだ。
「黙っていたことはすまなかった」
「じゃあ僕もダジュームについていきますよ。魔王の弟として、勇者と対談します」
「お前まで来る必要はない」
「じゃあなんでミラさんとシャルムちゃんを連れていくんですか?」
ハデスは小さく舌打ちを打った。
ミラとシャルムを連れていくことは極秘事項で幹部も数人しか知らないことだった。きっとフェリスから聞いたのだろうと、推測をつける。
「お前には私がいない間、魔王城を守ってもらわねばならん」
「そんなとってつけたような理由で、ごまかさないでくださいよ。勇者との対談に、ミラさんとシャルムは関係ないでしょう? 危険すぎますよ!」
ベリシャスが心配することも理解できた。ハデスは新たな言い訳を考えながら、これまでの経緯を思い返す。。
勇者ウハネとの対談が決まったのは数日前の幹部会議のことだった。
例の噂の通り、勇者側から正式に対談の申し込みが来たのだ。
勇者ウハネからの要望を抜粋すると、このようなものであった。
・このまま戦い続けてはお互いが消費するばかりで得るものがない。一度、今後の関係性について建設的な体談を行いたい。
これにはランゲラクをはじめとする侵略派の幹部たちは憤慨をした。
戦いを続けても魔王軍が消費することなどありえはしない。これは魔王軍への侮蔑であると、この期に及んで立場をわきまえない勇者と話し合う余地はないと息まいたのだ。
ランゲラクは今すぐにでもダジュームに向かって、全滅させるべきと提案したが、ハデスはこれを却下した。
それは次の条項からだった。
・もし休戦を受け入れるなら、ダジュームの約半分の土地を魔王軍に明け渡す。
勇者側が差し出してきたのは、ダジュームの半分の土地だった。
これは魔王軍としても予想よりもはるかに多い条件であった。侵略派の幹部の中にも、費用対効果を鑑みて心を揺らす者もいた。
何もせずとも半分の土地が手に入るのは、効率的であることは確かだった。
「しかし、永久的な休戦を受け入れるわけにはいきませんぞ。あくまで一時休戦という形にすべきです。我ら魔王軍の目的は、ダジューム全土の征服です」
とは、ランゲラクの意見であった。彼も少なからず、この条件には魅力を感じたようだった。魔王軍のモンスターであっても、命は大事である、家族もいる。無駄な戦死は、誰も望んではいないのだ。
ただ、魔王軍が本気を出せばダジューム全体を侵略することは容易である。そのための余地を残しておきたいというのが、侵略派のランゲラクが譲歩するラインだった。
これにはハデスも首を縦に振る。
一時的休戦であれど、これはモンスターと人間の間の協和に向けた大きな一歩となり得るからだ。それにモンスターとしての矜持も守ることができる。
そして、最後に示された要望がこれだった。
・対談はダジュームで行う。出席者は魔王ハデスと、その家族。
この一文を読んだとき、ハデスのオーラが乱れた。
ハデスから溢れたオーラに圧倒された幹部たちは死を覚悟するほどであったのだから、よほどのことであったろう。
勇者との対談が実現すれば、ハデスは自ら赴く覚悟はしていた。それがダジューム側に見せられる誠意であり、魔王が出席すればプレッシャーを与えることができるだろう。
しかし、家族まで連れて来いとは?
だがハデスもその勇者ウハネの要求を横暴だとは思わなかった。戦力的には勇者側は圧倒的に劣っているのだ。魔王軍側をダジュームに呼んで、安全である保障はない。そのための人質的な手形として、魔王の家族を同席させようとしているのだろう。
それに、勇者側は魔王の妻が人間であることを把握している可能性がある。
弱者は自らを守る保証を欲しがるものだ。ここは強者である魔王軍側が譲歩すべきところかもしれない。
だが――。
家族たちを戦いに巻き込まないように、協和を目指してきたはずであった。だが、ミラとシャルムを連れていくとなると、巻き込んでしまうことになる。
どうするべきか?
ダジュームとの協和のためには、受け入れるべきか?
万が一、勇者たちの罠だとしても自分がいれば、どうとでもなる。裏の世界やダジュームすべてを合わせても、ハデスに敵う者などいないのだ。
家族に危険が訪れたときは、協和などない。すべてを破壊すればいい。
勇者がなんだというのだ。恐れることはない。勇者を舐めているわけでもない。人間に対してもリスペクトはしているつもりだった。あくまで平等な対話を目指そうとはしている。
だが、私は魔王。すべての頂点に立つ存在。それだけは絶対である。舐められるわけにはいかない。
「ハ、ハデス様……?」
しばらく続く沈黙に耐え切れず、誰かがついその名を口に出してしまった。
「私を名前で呼ぶな。私は、魔王。それ以上でもそれ以下でもない」
すっと、ハデスからまがまがしいオーラが消えた。
「も、申し訳ございません、魔王様!」
幹部たちはもう魔王に意見を言える雰囲気ではなくなった。
このときすでにハデスは決断を下していたのだ。
家族を守り、勇者と対談をする。それができるのは、魔王である自分だけだと。
その魔王ハデスの決断に異議を申し立ててきた弟ベリシャス。幹部たちには強く出られたが、こと血がつながる弟に対してはそうもいかなかった。
「勇者はミラさんやシャルムを人質にするつもりじゃないんですか? そんな要求に乗るなんて、兄さんらしくないですよ!」
ベリシャスも勇者の思惑には気づいているようだ。
「それは百も承知だ。だが勇者も、丸腰で我々魔王軍と交渉などできぬという気持ちはあるのだろう。戦えば勝てる相手ではないと、それくらいの計算くらいはできるだろう。こういう交渉事には駆け引きが重要なのだ。こちらが要求をのむことで有利にことが進むこともある」
もうごまかすことは辞めて、ベリシャスには本心を伝えて説得することにした。
「未だ魔王軍内は父の目指したダジューム侵略派のモンスターが大勢いる。放っておくと、魔王軍は分裂しかねない。そうなると、ダジュームは火の海だ。ベリシャス、私はダジュームを侵略するつもりはない。これは魔王としての意見ではなく、兄の意見として聞いてくれ」
「分かってるよ。分かってるけど、でも……」
ベリシャスも父のダジューム侵略には反対だった。
兄が二代目魔王になってその目標を破棄してくれるかと期待したが、それも難しいのは現状を見ても理解している。
「だからって、魔王軍の事情にミラさんたちを巻き込まなくても……。それにミラさんは人間なんですよ? 万が一のことがあれば……」
「万が一のことなどあるか。私がいるのだぞ?」
ハデスは弟を叱るように、口調を強めた。
「もし勇者がミラやシャルムを人質にとるようなことをすれば、そのときは私はダジュームを滅ぼすつもりだ。家族を引き換えに協和などは望んではいない。家族を守るのに、私では物足りないと言うのか、ベリシャス?」
「そんなことはないよ。兄さんに敵う奴なんて、いるはずがないだろ。ましてや人間なんかに……」
ベリシャスは口ごもる。彼とて、ハデスがいれば何の心配もないことはわかっていた。ただ、なんの根拠もない嫌な予感だけがするのだ。
「だけど、モンスターにとってはダジュームはまだ未開の地なんだよ?」
ベリシャスはまだダジュームへは行ったことがなかった。そのことが嫌な予感の原因になっている。
「最初にダジュームを見つけたのは誰だと思っているのだ。私だぞ? 私の【空間移動】のスキルでダジュームとこの裏の世界を繋げたのだ。何を恐れることがあるというのだ」
「そうだけど……」
ハデスの言う通りだった。
魔王軍の中でダジュームに一番精通しているのはだれあろうこのハデスなのだ。
魔王ハデスは【空間移動】のスキルを持っていた。異なる別世界を移動できるスキルであり、ダジュームを見つけて初めて移動した「ファーストムーバー」はハデスであった。
ハデスは二つの世界を繋げ、【ワープ】によって誰でも移動できるようした。それによりモンスターはダジュームへ向かい、初代魔王によるダジューム侵略が始まるきっかけになったのだ。
今ではハデスは二つの世界を繋げたことを後悔している。戦乱のきっかけを作ってしまったからだ。
だが、ダジュームに行ったことでミラという愛する人間を見つけ、シャルムという愛する娘を得ることができたのだ。
そして魔王となり、ハデスは自分が起こしたこの争いの後片付けをしようと考えている。
お互いの世界が、憎しみの連鎖を起こさないように協和できる世界に戻す。
「何も心配することはない。ベリシャス、私たちが留守中の魔王城を任せたぞ」
ハデスは弟の肩に優しく手を置いた。
数日後。
魔王ハデスはその妻ミラ、娘シャルムと数名の幹部たちを連れてダジュームへと向かうことになった。
「兄さん、ご無事で……」
留守中の魔王城を任されたベリシャスはその一行を見送っていた。
だがこれが兄の姿をみる最後のときになるとは、誰も思いもしなかった。
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