「あ、おかえりなさい!」
事務所の扉が開き、帰ってきたシャルムにホイップが飛び寄る。
すでに外は暗くなっており、俺たちアイソトープの三人はリビングでくつろいでいた。
カリンの足の怪我は、幸いにも軽い捻挫のようだった。ホイップに薬草を塗ってもらってしばらく経つと、もう一人で歩けるようになっていた。
「遅くなったわ。ああ、疲れた」
珍しく表情に疲れが見えるシャルムがどかっとソファに身を沈める。
今日の服装はきちんと胸元が閉じられていてスカートにスリットも入っていない。
ワープの魔法で帰ってきたはずなのに、なぜか長旅をしてきたような疲労感が見える。
「お疲れ様ですー! すぐ食事の用意しますね!」
「ああ、食べてきたから夕食はいいわ。それよりワインをちょうだい」
ホイップがキッチンへ飛んでいく。
俺たちはすでに夕食は終わらせていた。
「ああ、あのクソ野郎が!」
いつもより露出の少ない服装だが、口調はいつもより激しいようだ。
髪をかき上げながら、明らかに機嫌が悪いご様子だ。こういうときは触れないほうがいい。
「どうしたんですか? お城で何かあったんですか?」
シリウスが荒ぶるシャルムに尋ねる。そっとしとけばいいのに!
俺はとばっちりが飛んできそうなので、逃げるように資料の本に目を落とす。
「ここの予算を削るとか言い出したのよ。財政緊縮のあおりを受けて、ここがやり玉にあがってるらしいの」
「ここのハローワークがですか?」
「そ。予算をカットするとかしないとか」
この異世界ハローワークはラの国の公的な支援を受けている施設である。
国からアイソトープの保護と訓練を委託されているため、運営資金は国からの援助に頼っているのだ。
「そのことで今日呼び出されたんですか?」
カリンが首をかしげながら聞く。
「それだけじゃないけど、そういう噂が流れてるらしいのよ。うちのアイソトープ保護率が他の国に比べて低いんだってさ。知らないっつーの!」
ホイップからワインを受け取りポコンとコルクを開けたシャルムは、ドバドバとグラスに赤い液体を注ぐ。その勢いで軽く一杯目を飲み干した。
「それって、保護できていないアイソトープが多いってことですか?」
「らしいわ。でも考えてみてよ? この広いラの国でハローワークはここだけなのよ? 私一人で転生してきたアイソトープを全員保護するのは物理的に無理なことくらい分かるでしょ? 隣のソの国なんか、ラの国より面積は半分以下なのにハローワークは三件もあるのよ? そんなとこと比べたら保護率が下がるのは馬鹿でも分かるでしょ!」
シャルムの愚痴は止まりそうにない。すでにワインは二杯目が注がれている。
「あーあ、こんな貧乏な国にハローワークなんて開くんじゃなかったわよ! 保護率を上げたかったらもっと予算を寄こせって話よね! そう思わない?」
ビシッと指をさされたシリウスは、苦笑いを浮かべながら頷く。
確かにここラの国は、ダジュームの中でも相当な広さを持つ国らしい。
国土のほとんどが山で、人が住む町は少ないのだが、このすべてをシャルムだけでフォローするには明らかに手が回らない。
第一、アイソトープはどこに転生してくるかは分からないのだ。
以前、アイソトープが転生してきた瞬間に50%はモンスターに襲われて死んでしまうと言っていたのは、これが原因だろう。
ラの国のハローワークの少なさはもはや社会問題である。
「予算が減らされたらどうなるんですか?」
俺は本を読みながら、軽く聞く。
「経費削減のためにあなたが契約を切られてここから放り出されるだけよ」
「えーーーー! なんで俺!?」
ぐびりとワイングラスを傾けながら容赦のないシャルムの言葉に、俺は絶叫する。
「ケンタさん、またモンスターの餌になるんですか。かわいそうに!」
相変わらずの毒舌のホイップである。
「なるか! ちょっと、冗談でもそういうこと言わないでくださいよ! 契約者をもっと大切にしてくださいよ! ジョブが見つかるまで面倒見るのが仕事でしょ!」
やはりのとばっちりである。シャルムは俺にだけ厳しすぎる!
「国が問題にしているのは保護率なのよ。すでに保護したあなたを放り出しても、数字上は変わりはないわ。こういう上辺の数字だけで判断するのがもうお役所仕事ってコト! いやんなっちゃう! お代わり!」
ワインをすでに一本開けてしまったシャルムは、すかさず二本目を要求し、ホイップが地下のワインセラーに飛んで行った。
「国は保護率だけを問題にして、そのあとの就業率は評価してくれないんですか?」
「それがケチって言ってるのよ。国の中を何も知らないアイソトープがウロウロするのがイヤなんでしょうね。さっさとハローワークに保護だけさせといて、あとの訓練でどんなジョブに就くかなんて興味がないのよ」
そういえばシャルムが契約の時に言っていたが、このハローワークと契約したアイソトープの就業率は限りなく100%に近いらしい。
ダジュームの他の国のハローワークと比べても圧倒的な数字らしいのだが、いかんせん保護率だけで見られると立場が弱いらしいのだ。
こればかりは人手が足りていないのが原因でもある。
「じゃあ僕も早くジョブに就いて、お返しができるようにしなければいけませんね」
シリウスが膝の上でぐっと拳を握った。
今朝から【魔法】スキルの訓練が上手くいっていないことでへこんでいたが、少しは気持ちも盛り返しているようでよかった。
「ほんとそうよね。私たちがジョブに就けば、シャルムさんに恩返しができるってことだもんね! 早くスキルを身につけなくっちゃ!」
カリンも甲斐甲斐しく腕まくりをする。
シャルムの話を聞くと、国からの補助はアイソトープを保護した数で割りだされるらしい。ほかに収入となると、俺たちがジョブに就いて報酬から返却する訓練費くらいだろう。
異世界ハローワークも経営上、なかなか厳しそうだ。
「あ、そうそう。愚痴を言うために城に行ってきたわけじゃないのよ。オファーが来たの」
パチンと指を鳴らすシャルムに、俺たち三人の顔が一斉に上がった。
「オファーって、俺たちに?」
余計な口出しをしてまた契約を切るとか言われないように黙っていたが、俺は本をパタンと閉じて聞き返した。
シリウスとカリンも、興味深そうに視線を交わしている。
「当たり前でしょ。他国からのアイソトープへのオファーはすべてお城の労働局に入ることになっているの。私はそれを確認しに行ったのよ」
本来の目的を忘れるほど、よほど予算削減の噂への怒りが上回ったようである。
「ついに薪拾いから解放される日が来たんですね! どんな仕事ですか?」
一週間ちょっと、これで毎日薪拾いに明け暮れた意味があったというもの。
俺にどんなスキルが認められたのかは定かではないが、牧場経営や書店員のような穏やかなジョブをあてがわれたい!
「何言ってんのよ。なんのスキルもないあなたにオファーが来るわけないでしょ」
まるで石ころでも見るような目で、俺を見るシャルム。一刀両断である。
「でしょうね! 期待した俺がバカでしたよ!」
「じゃあ、モンスター討伐隊に欠員が出たとか……?」
続いてシリウスも期待に目を輝かせて身を乗り出す。
「戦闘ジョブはいつだって人手不足だから、求人はあるんだけどね……。まだあなたを紹介するのは早すぎるわ」
「そうですか……」
シリウスは分かりやすく肩を落とす。
今朝の話だと、シリウスには【魔法】の素質がないということで魔法訓練の打ち切りも検討されているらしいのだ。
魔法も使えないまま、戦闘ジョブに就くのは難しいのだろう。
シリウスにとっては残念極まりないものだったらしい。
「え、じゃあ……?」
「カリンにオファーよ」
シャルムのその言葉に、きょとんと眼を丸くするカリン。
カリンはまだダジュームに転生して来て数日。それに訓練なんてホイップと料理をしているだけで……。
「わ、私にですか?」
本人が一番驚くのも無理はなかった。
「そ。だから、ちょっと奥の部屋へ行きましょう」
ホイップが二本目のワインを持ってきたのと入れ替わりに、席を立つシャルム。
どうやら俺たちにオファーの内容をきかせたくないような素振りだった。
俺というよりも、へこみがちなシリウスにかもしれない。
「あれ、シャルム様?」
事情を把握していないホイップはテーブルにワインを置くが、シャルムはそのまま奥の武器庫のほうへ向かう。
だが、カリンはソファに座ったまま、膝の上に手を置いたまま動こうとしなかった。
足の怪我が痛むのかと思ったが、そうではなかった。
「カリン」
呼びかけるシャルムだが、カリンはギュッと拳を握りしめてようやく口を開いた。
「……みんなに聞かれたら、都合が悪いようなオファーなんですか?」
「いえ、そんなことないけど……。こういうのはプライベートなことだから」
なんだか思いつめたようなカリンに、片手を上げて応じるシャルム。
「なんだったら俺たちが外すぞ? なあ、シリウス」
「はい。部屋に戻りましょう」
原因が俺たちだったらと、立ち上がる。やはり男の俺たちはカリンとは少し立場も違う。
「待って。ここで話してください。私、聞かれて嫌なジョブには就きたくないし、それに……」
俯いていたカリンが、すっと顔を上げた。
「私、みんなのこと、家族だと思ってるから。ケンタくんやシリウスくんにも、聞いてもらいたいです」
カリンは笑っていた。
なぜかその笑顔は、素直でシンプルで、いつもよりも綺麗に見えた。
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