ペリクルには何もするなと言われた。
ただこの森で隠れ続けていればいいと。
ダジュームでは俺を探して、勇者と魔王軍が戦闘を始め、いったんは収まったものの今もデンドロイの町ではにらみ合いが続いているという。
おそらく、俺が妖精の森に逃げ込んだことは双方にはバレていない。いや、バレたからといって外からこの森に入ることはできない。俺にとってこの森は、唯一の安全圏なのだ。
「だからって、じっとしてたらまたダジュームに被害が出ちゃうじゃないか……」
妖精たちが暮らす集落から、ちょっと離れた森の中に自分の生活スペースをこしらえたものの、基本的にはただの野宿で体も休まらないのに、考え事が絶えずにずっともやもやしている。
とりあえず分かったのは、俺は魔王軍には捕まってはいけないこと。
今現在、魔王軍も一枚岩ではなく、二分されているようだ。
魔王は俺の【蘇生】スキルを使って自分の兄を生き返らせたいと考えているらしい。これを支持するのが、俺を監視していたジェイドとペリクルである。
一方、魔王軍の参謀ランゲラク。こいつはどうやら一筋縄でいかない老獪な魔法使いらしく、自分の地位を守るために魔王の兄を生き返らせたくないらしい。だから、勇者と争うふりをして俺を殺してしまいたいみたいだ。
魔王側に捕まれば俺は兄を生き返らせて人類の敵を増やしてしまうことになるし、ランゲラク側に捕まれば問答無用で殺されてしまうだろう。
とにかく、俺にとって魔王軍は悪も悪、絶対に捕まっちゃならない。
「でも、勇者も何を考えているのか分からないんだよな」
俺は勇者クロスには会ったこともあるし、二人で話をしたこともある。
だから信頼できるかどうかは分からないが、少なくともアイソトープとしては勇者側に肩入れしたくなるのが普通の感覚だろう。
なぜ勇者が俺を追っているか――。
俺が魔王の兄を生き返らせないよう魔王側に捕まらないようにと考えているのが、平和的な理由である。勇者にとって俺の【蘇生】スキルは薬にも毒にもなる存在だ。いや、現状は毒になる可能性のほうが高い。先代魔王の長男を復活させる、猛毒だ。
だけど、勇者は俺を捕まえてどうするかが読めない。
「俺のスキルが魔王に悪用されないようにするには……」
それ以上を考えると、恐ろしくて背筋が凍る。
勇者も俺を殺そうとしているのではないか?
ペリクルはこのケースを支持している。彼女は魔王軍の手下なのだから、勇者に敵対心を抱いていて当然だ。
確かに俺を殺してしまうのが一番手っ取り早い。これで魔王の兄が生き返ることはないのだから。
だけどだけど。ダジュームを平和にしようと戦う勇者がそんなことを考えるだろうか?
性善説で考えると、勇者ってキャラはそんな恐ろしいことをしないはずだ。俺がこれまでやってきたRPGやラノベの勇者は、俺みたいな存在を命を懸けて守ってくれた。
現実の、今俺が知っている勇者は、そうとは限らない。
世界の平和のために命を差し出せと言われたら、俺はどうすればいい?
死ねばいいのか?
いや、俺が死んだら今度は魔王軍の中で権力争いが起こってしまう。
ダジュームの平和のために、俺はどうすればいい?
ずっとこの森の中で、何もせずに、戦いが終わるのを待てばいいのか?
戦いが終わらなければどうする?
ダジューム全体に戦乱が広がり、憎しみの連鎖が生まれ続けたら?
考えれば考えるほど、答えは見えてこない。
ただただ、俺はここでじっとしていることしかできなかった。
また、何度目かの夜を迎える。
森の外がどうなっているのかは分からない。
あれ以来、シャクティからの呼び出しもない。もしかしたら、また勇者と魔王軍が戦っているかもしれない。
何もすることがない夜は、いつもより空が忙しく見える。
まるで俺の時間だけが止まっているようだ。
仰向けで眠れずに空を見ていると、遠くから小さな光が近づいてくるのが見えた。
「ケンタ、寝た?」
羽をきらめかせながらやってきたのは、ペリクルだった。
「……いや。寝られないよ」
「そう」
上半身を起こして木にもたれかかると、ペリクルも地面にぺたんと座り込んだ。
「なんか用か? お前は寝なくてもいいのか?」
「妖精は寝なくても生きていけるの。アイソトープみたいに弱くないから」
「そうだな。俺たちはできそこないだもんな」
「そんなこと言ってないでしょ! ネガティブな男は嫌いよ!」
何もやることがないとネガティブで卑屈になってしまうのは仕方がないことだ。
思えばダジュームに来て間もないころもそうだったが、薪拾いをしていたら無駄なことを考えずに済んだのは意外と助かっていたのかもしれない。
訓練をしてスキルを習得、ジョブに就いて生活するというサイクルが、今はどこかへ消えてしまった。
「はぁ。なんでこんなことに……」
「あなたが変なスキルを身につけちゃったからよ。あなたの【蘇生】スキルのせいで、魔王軍も二分する危機に陥ってるんだからね。ほんと、迷惑」
「うるさいよ。俺もこんなスキルを身につけたかったわけじゃないんだよ!」
薪拾いや配達ばかりしていたのに、なんでいきなりこんなたいそうなスキルが身についてしまったんだろうか?
「スキルなんて、もともとの素質によるものが大きいから。シャクティ様がおっしゃってたように、本当にあなたは救世主なのかもね」
「だけどこんなスキルでどうやって世界を救うんだよ? 今んとこ、混乱のきっかけにしかなってないし」
「知らないわよ。それは自分で考えなさい」
やはり俺には厳しいペリクルである。
「そんなことを言いに来たのか、お前?」
「落ち込んでると思ったから様子を見に来ただけよ。鬱になって余計なことをされたら迷惑だし」
「そうですか。わざわざありがとうございます……」
心配してくれてありがたいが、余計なことをしないように見張られているようなものだ。
「でもネガティブにもなるよ。こんな生活……。はぁ」
今の森暮らしもそうだが、ハローワークで生活していた時のことを考えると、懐かしくてため息が漏れてしまう。
あんなに訓練なんて嫌がっていたのに、当たり前の日常がこんなにも尊いことだったと、身に染みる。
シャルムは相変わらず、俺の捜索願を出していないのだろうか? 今さら出したって、俺はこんな次元のはざまにいるので関係はないが。
カリンは料理がうまくなったかな? 旅行ガイドをしたいって言ってたけど、進展しているだろうか?
シリウスはどうやって勇者パーティーに入ったんだろうか? あいつも俺を殺そうとしているとは考えたくもない。
そしてもう一人。
俺はふと頭に思い浮かべる。
「ホイップ……」
あの口の悪い、ダジュームで初めて会った妖精の顔が思い浮かんだ。
ホイップに会った時は、まさか俺がこんな妖精の森に来るとは思ってもいなかった。
しかも妖精のなりそこないがアイソトープだなんて。あいつはこのこと知ってたのかな? そりゃ知ってるよな。あいつもこの妖精の森で、シャクティから生まれたはずなんだから。
「ホイップって、どのホイップ?」
懐かしい顔を思い出していると、ペリクルが俺のつぶやきを拾った。
あたりは真っ暗なので、ペリクルの表情まではよく見えない。
「どのホイップって……。俺がいたハローワークにいた妖精のことだよ。元気にしてるかなって思っただけ」
ま、心配しなくてもあいつは元気にしてるだろ。
「どこだって?」
「は? いや、ハローワークに……。俺たちアイソトープはハローワークっていう施設に保護されて訓練を受けるんだよ。それで……」
「そんなこと知ってるわよ! ホイップが、ハローワークにいたって?」
ペリクルは珍しく地面を歩いて、俺に近寄ってくる。
その声が、真剣だったもので俺も自然と背筋を伸ばしてしまう。
「お前、ホイップを知ってるのか?」
ペリクルが近寄ってきて、その顔がようやく見えた。
ペリクルの頬に、涙が流れていた。
「私の、姉よ」
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