「誠に申し訳ございませんでした! てっきり変態だと思いまして!」
ソファに寝かされている横で、派手な赤いドレスを着た彼女が、きっちり腰を90度に曲げて謝っている。
変態という言葉が彼女の口から出たことに、変な汗が出てしまう。
さっき裏山で石をぶつけられて、俺はしばらく意識を失ってしまった。
なんとも情けない話であるが、シリウスに背負われて事務所に帰ってきたらしい。窓の外はすっかり暗くなっている。
「なんで変態だと思われるかなぁ。安心させようと思っただけなのに……」
俺はぼやきながら、おでこにできたたんこぶを氷嚢で冷やしている。
「本当にごめんなさい! 勘違いしちゃって!」
彼女は体が折れてしまうというくらい、腰を曲げて謝罪してくる。
このダジュームに来て何度目だろう、変態と呼ばれたのは。
そりゃこれまでは裸で街の真ん中で眠ってたり、妖精のパンツを見ようとしたり、洞窟から出たら真っ裸だったり、それなりの理由はあった。
変態と呼ばれるべき行動をしていたのだ! って、やかましわ!
なのに今回はただ助けようとしただけなのに……。ぐすん。
「【変態】スキルなんて身に着けても、役に立たないわよ」
「そんなスキルいりませんから!」
ソファで足を組んでふんぞり返っているシャルムが茶化してくる。
まんざら冗談になっていないところがつらい。頼むからそんなスキル、身についてくれるなよ!
「へらへらして近寄ったら誰だって不審者だと思うわよ。たんこぶくらいで済んでよかったと思うのね。私だったら一撃で仕留めてたわ」
「怖いこと言わないでくださいよ!」
シャルムならやりかねない。生きててよかった。
俺なりの会心の笑顔だったのにさ!
「どうぞ、お茶です。カリンさん」
シリウスがお盆に乗せた湯飲みを、テーブルに置く。
俺はこの女子の名前がカリンであることを知った。
「あ、あ……! ありがとう……ございます!」
カリンが胸の前で手を合わせながら、恥ずかしそうにシリウスに礼を言う。俺とはえらい違いじゃねえか……。
俺は両手で湯飲みを包むようにして持つカリンを見る。
年はおそらく、俺たちと同じくらいだろうか?
服装こそシャルム顔負けのドレス姿なので年齢が読みにくい。だが、仕草は丁寧で上品なので、大人っぽく見えてしまう。
流れるような黒髪は艶があり、整えられた眉や、黒目がちな瞳は無垢そのもの。今もふんわりとした春霞のような上品な笑顔をまとっている。
初対面で石を投げつけてこられたこと以外は、見た目通りお嬢様だ。。
お上品だからこそ、俺が変態に見えたのか……って、バカ!
「あ、ケンタさん。こちらカリンさんです。僕たちと同じ、アイソトープです」
シリウスに紹介されたカリンは慌てて湯飲みをテーブルに置き、きっちり俺のほうを向き直す。そしてお腹の前に両手をそえ、深々とお辞儀をした。
「あらためまして、シラサギカリンと申します。先ほどは失礼を……」
「シラサギ、カリン……。もしかして、日本人?」
俺はおでこのたんこぶを擦りながら、尋ねる。
仕草や黒髪でそうかもと思っていたが、その名前を聞いて確信した。
「ええ、そうです。ケンタさんも、日本の方なんですね?」
カリンは自然な動作で顔を上げ、綺麗な黒い瞳で俺の顔を見つめてきた。
ドキリ。
緊張している場合ではないが、女子にこうやって見つめられるのには慣れていないのでつい目が泳いでしまう。
「そ、そうだけど……」
俺は思わずシリウスに助けを求める。なんだか顔がポッポするが、これは大きなたんこぶのせいだ。
「いろいろ教えてくださいね?」
ぐいっとカリンが俺の顔に近づいてくる。
さっき変態扱いされたのに、今はこの距離感。これがコミュニケーション能力の高さというやつなのか?
最近の若い女子はこれが普通なの? ああ、笑顔がまぶしい……! こんな俺みたいな変態に、ありがてえ!
「あ、ああ。よろしく……」
俺はカリンの圧にちょっと引きながら、少し不愛想に答えた。
いろいろ教えてあげたいのは山々だが、シリウスが転生してきたときにペラペラしゃべってしまったことを反省していた。
ダジュームに転生してきたアイソトープということは、元の世界で死んでしまったということなのだ。
そんな過酷で陰鬱な記憶を思い出させ、さらに異世界に転生したなんて、すぐに受け入れられるわけがない。
こんなデリケートなことをいきなり告げてしまっては、混乱してしまうに決まっている。
きっとシャルムもこれまで大勢のアイソトープを受け入れてきた経験から、まずは質問を受け付けずに資料を読ませて本人に判断させるという方法を取っているのだろうと、俺はようやく納得していた。現状把握にも順序がある。
だからこのカリンに対して、シャルムの方針に従って慎重にいかねばならない。
「……どうなされたんですか?」
黙ってしまった俺に、カリンは小首をかしげて尋ねてくる。
その無邪気そうな表情に、俺は心が痛くなる。シリウスとは違い、カリンは女の子なのだ。
きっとまだここがどこで、自分がどういう存在なのか理解していないはずだ。
感覚的には目覚めたらいきなりあの裏山にいた、ということくらいしか分かっていないはずだ。
まさか自分が死んでしまったなんて……。
「カリン……」
とりあえず転生やダジュームのことは、プロのシャルムに任せよう。
そう思い、口を結んだところ。
「ケンタさんも亡くなられてこっちの世界に来られたんですよね。聞きました。なんと申していいものか。お悔やみ申し上げます」
「え?」
言いにくい話題を、カリンのほうから切り出してきた。
シャルムに目をやると、黙って頷く。
「どこまで聞いたの?」
「すべてです。このダジュームのことも、私がアイソトープと呼ばれていること、そしてなぜ転生してきたのかも」
決して動揺しているわけでもなく、カリンはにこっと笑った。
「彼女はね、はっきりと最後の記憶を覚えていたのよ」
俺が迷っていることに気づいたのか、シャルムが状況を補足してくれる。
最後の記憶とは、すなわち元の世界で死んだときのこと。
俺がカリンを見ると、こくりと頷く。
「私、元の世界で死んだからこの世界にやってきたんですってね。不思議な経験です。今は生きてるのに」
カリンは自分の体に両手を回して、ぎゅっと抱きしめた。
まるで自分の体温、自分の形、自分の存在、自分の命を確かめるように。
だがそれは自分の死を悲観しているのではなく、どこか前向きに聞こえる、
きちんと自分の死を受け入れているようだった。
「生きているのよ。あなたはこれからも生きていくの」
シャルムがそっと、カリンの肩に手を置いた。
普段はあまり見せないシャルムの真剣な顔に、少し切なさと優しさが見えた。
俺やシリウスの時と違うのは、やはりカリンが女子だからだろう。
このシャルム、いつも厳しいことばかりの一辺倒な性格と思いきや、きちんと相手を見て対応している。やはり異世界ハローワークの所長としての経験を感じさせる。
「私、がんばらなきゃいけませんね! 今度はひとりで生きていくんですから!」
ぐっと拳を握り、顔を上げたカレンは満面の笑みだった。
それは強がりややけくそで作っている笑顔には思えなかった。
俺にはむしろ、このダジュームに転生してきたことが嬉しいような、そんな素直な笑顔に見えたのだ。
「シャルムさん、契約しましょう! 私のお仕事を探してくださいな!」
「分かったわ、奥の部屋に行きましょう」
物わかりのいいカリンはシャルムに連れられて、奥の部屋に向かってしまった。
三人目のアイソトープ、カリン・シラサギ。
彼女も俺たちと同じく、このダジュームで生きていくためにこの異世界ハローワークと契約することを選んだのだった。
リビングに残された俺とシリウスは、黙ってお茶を飲み始める。
どちらが先に話し出すか、お互いが迷っているような微妙な空気になっている。どんな話になっても、笑えるような話題にならないことは分かっていたから。
この無言の状況に耐えられなくなったのは俺のほうだった。
「シリウスは、あの子のこと、どこまで聞いたんだ?」
俺は裏山で石をぶつけられてからついさっきまで意識を失っていたのだ。まずは状況を知っておきたい。
「僕はケンタさんをおぶってましたんで、詳しい話は知らないんです。帰り道、シャルムさんとカリンさんはお二人でお話されていたんですが」
シリウスが申し訳なさそうに話す。
俺なんてここまでシリウスにおぶられて帰ってきたことも、記憶にないのが情けない。
「じゃあ帰り道にシャルムがぜんぶ説明したってことか? あの資料も読まずに、えらく物わかりがいい子だな?」
さっきのカリンの様子では、転生してきたことを悲観することもなく、すっかりこの状況をうけいれていたように見えた。
この異世界ハローワークのことも理解した上で契約をして、ひとりで生きていく覚悟を持っているようだった。
「ここに帰ってきてから、僕も自己紹介されただけなんです。ケンタさんと同じ日本人で、名前はカリン。パーティーに出ていたのであんな格好だったらしいです」
日本人であんなドレスを着るようなパーティーに出ていたというと、かなり状況が限定されそうである。だが今の俺には結婚式くらいしかシチュエーションが思いつかない。
「あの子、自分が死んだときの記憶があるって言ってたな。それがパーティーのときなのか……」
結婚式で死ぬというシチュエーションの悲壮さを思い浮かべようとするが、高二の男子みたいな俺では想像しきれない。
「……そうでしょうね」
シリウスが口元を手で覆いながら、言葉を詰まらせる。
そうだった、彼も言葉にはしないが死んだときの記憶があるのだ。
「すまん、シリウス」
軽率な発言を詫びる。
俺はシリウスの最後の記憶のことはまったく知らない。この話になるとシリウスは分かりやすくテンションが下がるので、なるべく触れないようにしていた。
俺は死んだ記憶がないまま、このダジュームに転生してきた。
おそらく寝ている間の突然死だったと思われるが、実はそれは幸せなことだったのかもしれない。
死んだときの記憶があるということは、おそらくその瞬間の痛みや苦しみも覚えているということだ。
そんな最悪な記憶を胸に抱きながら、シリウスやカリンはこのダジュームで生き続けなくてはいけないということなのだ。
絶対に忘れられない自分の死の記憶とともに生き続ける――。
これがどれほどつらいことか、俺には想像もできない。
「なんでケンタさんが謝るんですか。カリンさん、きっとつらい記憶があるはずなのに、そんな素振りも見せないんですよ。いつも笑顔で、強いですよね」
最初に発見したときも、事務所に戻ってからも、カリンはずっと笑顔を絶やさないでいる。
きっとそうやって、自分の気持ちを保っているのだろう。強がりとかではなく、これが彼女の防衛本能だと俺は考えていた。
俺だってダジュームに来た当時は、あることないこと考えすぎて、なんとか自我を保とうとしていたのだ。
そんな俺に比べると、カリンは強い。
つらいときに笑えるということは、強いということだ。
笑顔を振りまいて、自分よりも周りの人間のことを考えているのだから。
「ほんと、俺も強くならなきゃな。いろんな意味で」
俺とシリウスは黙って、湯飲みのお茶を飲んだ。
すでに冷めていたが、気持ちを落ち着けるにはちょうどいいぬくもりだった。
ダジュームに来て一週間。
俺はまだ何もできていない。
知らないこと、知るべきこと、知らなくてもいいこと――。
ただ、ひとりでは何もできないことだけは、知っている。
ここで生きていきたい。
それは俺だけじゃなく、シリウスやカリンも同じ気持ちだろう。
過去を振り切って、俺たちは生きていかねばならないのだ。
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