「困ったわねぇ……」
仕事の薪配達から帰ってきたら、リビングでシャルムが頭を抱えていた。
そもそもこの時間にシャルムが事務所にいることは珍しいことである。ここ最近のシャルムは何かと多忙で、シリウスへの訓練も午前中だけで午後からはどこかへ出て行って夕食まで帰ってこないからだ。
たった一人でこのハローワークを切り盛りしているので当然ではあり、もちろん俺も責めるつもりはない。
どう考えても、人手不足なのは俺たち訓練を受けている側からしても明らかである。
「ホイップ、どうしたんだ?」
こちらはこちらで夕食の準備に忙しそうなホイップを呼び止めて聞いてみる。
シャルムに直接聞くのは怖いからな。
「シャルム様ですか? 今日はずっとあんな感じです。こういうときは触らぬがナントヤラってやつです」
こういった状況には慣れているようなホイップは、悠然と放置を決め込んでいるようだった。
それならばと俺も前例に従い、見つからないように二階の自室へ戻ろうとする。
どうせハローワークの経営的なことで悩んでいるのだろう。アイソトープでバイト生活の俺ではなんの相談にも乗れないのでさっさと逃げよう。
そう思った時である。
「ちょっと、ケンタ」
階段を上ろうとしたところで呼び止められる。
「な、なんですか?」
「ちょっとこっちに来なさい」
ちょいちょいと手を招くシャルム。その視線はテーブルの書類に向けたままだった。
俺は嫌な予感がして、ここ最近なにかやらかしていないか思いを巡らす。
カフェ・アレアレの配達の仕事では特に怒られていないし、遅刻もしてないよな? この事務所用の薪もちゃんと運んでるし……。
まさか、この前カフェの店長にもらったお小遣いを報告しなかったことがバレたのか?
俺は恐る恐る、シャルムの向かいのソファに座る。
「あなた、来週、暇よね?」
「へ? 来週?」
足を組んで、眉間にしわを寄せるシャルムが上目遣いで俺をにらんでくる。
「一応、今のバイトは今週いっぱいまでの契約ですけど……」
現在俺は短期バイトをしているのだ。朝から裏山で薪を拾い、それをアレアレアまで配達している。
「そうよね? 来週からは暇よね?」
シャルムは嬉しそうにぱちんと手を叩く。
あまり暇とか言わないでもらいたいところである。
このカフェ・アレアレへの薪の配達のバイトは最初から一か月の短期契約だった。
ちょうど今週いっぱいで、契約は満了する予定になっているのだ。
「もしかして、バイトの延長ですか? 俺の働きが認められて、長期の契約のオファーがきてるとか?」
俺は失職するくらいなら、もう少しこの仕事を続けてもいいとは考えていた。
カフェ・アレアレの店長はいい人だし、お小遣いももらえるし、最近では馬の操縦にも慣れてきて楽しくなってきたところだった。
ま、モンスターに遭遇していないからだけど。
「そんなわけないわよ。もともとあなたはいつも配達していた人がケガをしたから、その間に雇われただけなんだから。もうその人も復帰するらしいから、あなたはもう必要ないわよ」
あまりにもはっきりと事実を突きつけてくるシャルム。
どうやら来週から俺はまた無職が確定した模様です!
「じゃあ、何があるんですか? 新しいジョブのオファーが来たんですか?」
「大したスキルもないあなたに、そんなにしょっちゅうオファーが来るわけないでしょうが。今回のジョブも奇跡みたいなものだったのに」
「奇跡とか言わないでください! 俺、これでもがんばってんすから!」
俺が認められている数少ないスキルのうちのひとつが【配達】スキルである。
これと【薪拾い】のスキルの組み合わせが奇跡的に認められて、今の仕事を与えられたのだ。
「だから、暇でしょ? 暇よね?」
テーブルの上の書類をペンでトントンと叩きながら、俺に確認してくるシャルム。
完全に俺が暇であってほしいみたいだった。
「暇っていうか、前みたいに裏山で薪拾いするくらいしかすることはないっていうか……」
そこまで言って、俺は背筋に悪寒が走った。
俺が暇だったとして、シャルムは何を言いたいのか、察しがついてしまった。
そう、戦闘訓練だ。
俺は先日、モンスターに襲われて戦闘スキルの習得をほんの少しだけ考えたことがあったのだ。
加えて先日、地下の道場でシャルムから告げられたあの一件を思い出す。
俺が【蘇生】の魔法を使ってシリウスを生き返らせたかもしれない疑惑である。
あれからその話には触れられなかったから、てっきりシャルムの冗談だったと思い込もうとしていたが、まさかあの【蘇生】の魔法を本格的に習得するための訓練を始めようというのか?
このままでは血と汗がにじむ地獄の毎日が訪れてしまう!
「いやいや、訓練はだめですって! まだ俺の心の準備が……」
毎日しごかれているシリウスを見て、あんな訓練は俺に耐えられるはずがない!
「何言ってんのよ。私は忙しくて、今はあなたの訓練までする暇はないわよ。シリウスだけで手いっぱいよ」
ぎろりと、上目遣いのにらみが飛んでくる。
確かに、このシャルムの多忙っぷりを見ていると嘘ではなさそうだ。
午前中だけに訓練を減らされたシリウスは、今も裏山までランニングに行っているらしいし。
「じゃ、じゃあ俺に何をさせようと……」
ほっとするが、話の先が見えずに不安になってしまう。
「あなたにできることといったら、配達くらいでしょうが」
「は、配達?」
確かに俺にできることといったらこれくらいなんだけど、なんだか切なくなってしまうのはなぜでしょう?
「そ。ま、これはジョブってわけじゃなくて、私の個人的なお願いなんだけど……」
シャルムがにこっと笑う。
俺は反射的に身構えてしまう。
なんだか不穏な流れじゃない?
「ど、どこに何を配達すればいいんですか?」
俺は恐る恐る確認する。
配達の仕事ができるだけでもありがたく思わなければいけない。
これもカフェ・アレアレでの配達の経験がものをいっているのだ。最初は何もできなかった俺が、こうやって求められるようになるとは、少しくらいは誇ってもいいかもしれない。
「実はちょっと首都に用事があってね。本来なら私が行く予定だったんだけど、他に大事な用事ができちゃったのよ」
ここは少し申し訳なさそうに頭をかくシャルム。
急な用事だったのか、それともダブルブッキングをしてしまったのか。
そもそもこのハローワークの仕事をシャルム一人ですべてやっているのだ。ホイップがいるといっても、彼女は雑用が中心で実務はこのシャルム一人でさばいている状態。
それを考えると、俺も断り切れないというか、むしろ手伝いたい気持ちがないわけではない。
「首都ですか? 首都まで何を運べばいいんです?」
俺も話だけは聞こうと、身を乗り出す。
このダジュームに来て、首都にはまだ行ったことがなかった。
アレアレアの町は馬車でだいたい1時間くらいだが、首都までは5時間ほどかかるとスマイルさんから聞いたことがある。
「今回はモノを運ぶんじゃなくて、私の代わりとして、私の意志を届けてほしいのよね」
「……イシ?」
俺は目を細めた。
ストーン的な石のこと?
いや、モノじゃないって言ってるし、意志のこと?
「実は来週、各国のハローワークの所長が集まる会議があるのよ。国際ハローワーク協会主催の。今年はこのラの国の首都で開催されることになっててね。それに行ってほしいのよ、私の代理として」
シャルムが俺の配達の内容を説明してくれる。
ハローワークの所長の会議があって、それに俺が代理で参加だって……?
「はぁ? なんで俺が!」
俺はソファから転げ落ちそうになった。
予想の遥か上を行く内容に、もはや配達の範疇を超えているではないか!
ていうか、そんなもん配達って言わねえよ!
「シャルムの代わりにハローワーク所長代理として会議に出席って、そんなの俺にできるわけないでしょうが!」
俺は席を立って、自室に戻ろうとする。
俺はハローワークで訓練を受けているただのアイソトープである。
そんな会議に出席なんて、意味が分からない。
「ちょ、待ちなさいケンタ! そんなたいそうなことじゃないのよ! 会議っていってもただ座って私の書いた文章を読んでくれるだけでいいの!」
シャルムも慌てて俺の服をつかんで引っ張ってくる。
「それでも嫌ですよ! 会議なんて、高校生の俺がそんな大役務まるわけないでしょ!」
元の世界ではただの高校二年生だった俺が、会議に出るなんて恐ろしい!
学校ではクラスの日直で「起立、礼」の号令をするだけでも緊張してたのに!
「あなたにもメリットがあるのよ? ほら、これ!」
と、シャルムは俺を無理やりソファに引き戻し、テーブルの上の書類をペンでたたく。
いやいやその書類を見ると、それは何かのチケットだった。
「な、なんですか、これ?」
「あなた、首都に行くのは初めてでしょ? これね、首都にあるテーマパークのチケットよ」
「は? テーマパーク?」
まさかそんな単語を、この異世界で聞くとは思わなかった。
ダジュームにもそういった観光レジャー施設があるとは考えもしなかったのだ。
「そ。ダジューム・アドベンチャー・ワールドっていってね。ダジュームにあるいろんな国の名所を体験できるテーマパークなのよ。このチケットが、実はここにあるってワケ!」
シャルムはニコニコとしながら、そのチケットをひらひらとさせる。
「……会議に出たら、そのチケットをくれるってことですか?」
「そ。どう? 行く気になった?」
まるで買収するように、悪い顔で微笑むシャルムである。
だが俺もこんなもので釣られるほどピュアなわけはなく……。
「ここから首都まで馬車で5時間かかるんでしょ? それに会議に出てたら、そんなテーマパークで遊ぶ暇なんてないでしょうが!」
首都まで往復10時間である。しかも会議がメインなので、遊んでいる暇なんてどこにあるというのか!
「一泊二日で行けばいいじゃないの。一日目は会議、二日目はテーマパークで羽を伸ばしてきなさいな! 特別に許可します!」
返す刀で、シャルムが泊まりの出張を勧めてくる。
「一人でテーマパークなんて行ってたら寂しすぎるでしょ! そんなの泣いちゃいますよ!」
俺だって健全な男子である。思春期である。
さすがに一人テーマパークで楽しめるほどの胆力はない。映画に行くのにも、ビビるくらいだ。
これにはシャルムも図星をつかれたというか、買収失敗を感じたようである。
「じゃ、じゃあ、誰か付き添いがいれば行くわよね? 一人じゃなければ、いいのよね?」
何かを思いついたように、シャルムがぴんと俺を指さす。
シャルムの考えそうなことである。
「どうせシリウスと二人で行けって言うんでしょ? 男二人のテーマパークの侘しさは一人以上に……」
「カリン! ちょっと来なさい!」
俺の言葉を遮るように、キッチンで夕食の準備をしているカリンを呼ぶシャルム。
ま、まさか?
「はーい。何ですか」
エプロンで手をふきながら、カリンがリビングにやってくる。
「カリン、あなたテーマパークとか好きよね?」
「大好きです!」
「旅行とか、観光とかも大好きだもんね?」
「大好きです!」
「来週、暇よね?」
「暇です!」
「じゃ、これ。首都まで遊びに行ってきていいわよ」
シャルムはさっきのチケットを、カリンに見せる。
「ダジューム・アドベンチャー・ワールド……? はい、行ってきます!」
カリンはびしっと敬礼、表情からは嬉しさが溢れていた。
「そういうことだから、ケンタ。カリンと二人で首都へ行ってきてね」
そう言い残し、シャルムは立ち上がった。
「ちょちょ、ちょっと待ってください! カリンと二人で? 二人で一泊二日で首都に行くんですか?」
まるで予想外の展開に、俺は戸惑ってしまう。
カリンは同い年であり、年ごろの女子である。
目的は会議だが、これはカリンと泊りがけで旅行にいくようなものである。
年ごろの男女が一泊二日の旅行……?
こんなもん、ラブコメのにおいしかしないじゃないか!
「楽しんでいらっしゃい。カリン、これガイドブック。ホテルはちゃんと予約しといてあげるからね」
「ありがとうございます! シャルムさん!」
カリンはすでに行く気満々に、ガイドブックを受け取った。
「カリン、いいのか? お前、俺と二人だぞ?」
「どういう意味よ? ケンタくん、一人じゃテーマパークに行けないんでしょ? じゃあ私が一緒にいてあげるから、安心しなさい!」
「それ、お前が行きたいだけだろうが!」
「超楽しみ! さ、予定立てよっと!」
と、俺が心配することなどまったく気にしていないのか、カリンはガイドブックを読みながらキッチンに戻っていく。
「ていうか、シャルムは何の用事があるんだよ! ハローワークの所長会議に出れないくらいの大事なことがあるのかよ?」
俺は混乱しながらシャルムに聞く。
「……いや、私はあれよ。ちょうどその日に合コンが入って……」
髪をさらりと書き上げながら、ちょっと気まずそうなシャルム。
「はぁ? ご、合コン?」
「じゃ、夕食まで部屋に戻るわね。ああ、忙しい忙しい!」
「待て、シャルム! 会議より合コンってどういうことだ!」
俺の叫びはむなしく、リビングにこだました。
なんということでしょう!
来週、俺はカリンと二人で首都へ一泊二日の旅行に行くことになりました!
合コンに行くシャルムの代わりに、ハローワーク所長代理として!
嬉しいというか、恥ずかしいというか、俺はどうすればいいんでしょうか!
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