この異世界ハローワークに向けて、一台の馬車がやってきた。
近づくにつれて、馬車を操っているのはスマイルさんだと気づく。
「誰が来るんですか?」
シャルムに尋ねるも、黙って馬車の到着を待つだけで答えてくれない。
こんな夜中に、誰が?
ジェイドとペリクルはどこかに行ってしまったし、戻ってくるとしても馬車を使うわけがない。
まさか勇者たちが、とも思ったがそれならシャルムが知っているのはおかしい。俺と勇者を会わせるつもりはないだろうから。
もちろんランゲラク軍なわけはないし、そうなると消去法的に……。
「まさか……」
俺は近づく馬車の蹄と車輪の音が大きくなってくるにつれ、胸が高鳴ってきた。
間もなくして、馬車は俺たちの前に止まった。
「お疲れ、スマイル。無理言ったわね」
「いえいえ、これくらい」
馬から下りるスマイルさんに、俺も頭を下げる。
「お久しぶりです」
「やあケンタくん。元気そうでよかったよ」
笑顔で握手を求めてくるスマイルさん。俺もこのスマイルさんに命を助けられたこともある。こう見えて、むちゃくちゃ強いんだ。
そして馬車の荷台の扉が開いた。
俺は緊張している。そして、どんな顔で会えばいいのかわからない。
俺の予想が正しければ、馬車にいるのは……。
「カリン……」
馬車から下りてきたのは、ここで一緒に暮らしていたカリンだった。
「ケンタくん……」
さっきの話だと、今はアレアレアの町で観光ガイドの仕事をしているらしい。
その姿は数か月前に最後に会ったときから、少しあか抜けた感じがした。ジョブに就いたからだろうか、なんだか俺だけが置いて行かれたような気がする。
だが、俺を見た瞬間、その表情が変わった。
「バカ! どこ行ってたのよ!」
怒ったのではない。顔をくしゃくしゃにして、カリンは俺の胸に飛び込んできたのだった。
「カ、カリン……」
「心配したのよ! なんで何も言わずに出て行っちゃうのさ!」
俺の胸に顔を埋めながら、両手で俺の顔をぽかぽか殴ってくる。
抵抗するのも悪いし、なんだか恥ずかしくなるし、本当に申し訳なくなる。
ちらっとシャルムを見ると、鼻で笑って視線を逸らした。きっとシャルムが呼んでくれたんだろう。
「カリン、ごめん……」
カリンがどこまで知っているのかはわからないが、とりあえず謝った。心配をかけてしまったことに違いはないから。
「ケンタくんがいなくなって、私……」
俺の胸の中でずるずると鼻をすする音がする。そのまま顔を俺の服にこすりつけ、最後にちーんと鼻をかむ音が聞こえた。
……なんも言えねえ。
「じゃあ、私は事務所に戻るわよ。冷えてきたわ」
シャルムが肩をすくめて、事務所に入っていった。
「では、私はこれで。また明日の朝、伺います」
スマイルさんは馬車で引き返していく。
ということは、今日はカリンは事務所に泊まるのか。
「カリン……」
もう一度名前を呼ぶと、ようやく顔を上げるカリン。その顔は、涙と鼻水でべっしょりだった。もちろん、俺の服も……。
「バカ!」
もう一度カリンの大きな声が、月の下で鳴り響いた。
俺たちは無言のまま歩いていた。
月の明かりがかろうじて照らしてくれる道を、カリンが先を行き、俺は黙ってついていく。
どこに向かっているのか、予想はついた。
しばらくしてついたのは、裏山の入り口だった。
「カリン、これ以上先は危険だぞ」
そこでようやく、カリンを止める。山には夜行性のキラーグリズリーが出没する。
「ちょっと、話しましょ」
するとカリンは切り株を見つけて、腰を下ろした。俺も向かい合うように、地面に腰を下ろす。
「大体、シャルムさんから聞いた」
さっきまでは泣いていたのに、二人きりになってからはムスッと頬を膨らませているカリンが、話を切り出した。
大体、というのがどこまでなのかはわからないので、俺は「うん」とだけ頷く。
「私たちのことを守るために、事務所を出ていったんだって?」
月明かりの下、俺を見つめるカリン。
「そのつもりだった……」
俺が【蘇生】スキルを持ってしまったことでモンスターに襲われた。このままだったら事務所にも魔の手が伸びると思い、俺は去ったのだ。
「何も言わずにね」
「そうだな……」
カリンとはその日の夕食のときに会ったのが最後だった。
翌日の朝起きて、俺がいないことに気づいたのだろう。それはシャルムもシリウスも、ホイップもそうだろう。
「あの日、モンスターに連れて行かれそうになったんだってね」
「……ああ」
「【蘇生】スキルって、ケンタくんすごかったんじゃん」
「それは、どうかな」
どうやらカリンは俺のスキルのことも聞いているようだった。隠した方わけではないが、なんだかむず痒くなる。
「巻き込みたくなかったから、できるだけ早く出ていかなきゃって思ったんだ。またいつモンスターが俺を狙ってくるかわからなかったし……」
「わかってる。ケンタくんの気持ちは」
カリンはぎゅっと膝を抱える。
「ケンタくん、優しいからね。寂しかったけど、私もケンタくんの立場なら同じことしてたよ」
「カリン……」
俺はカリンのやさしさに甘えることしかできない。
「カリンは、アレアレアでガイドをしてるんだって?」
「そう。ミネルバさんに手伝ってもらって。覚えてる? 土産物屋してたミネルバさん?」
「もちろん」
俺たちと同じハローワーク出身のアイソトープでもあるミネルバさんは、アレアレアの町で働いている先輩だった。
そして町の護衛団の団長のボジャットさんと結婚をしているのだ。
「今はミネルバさんの家の一部屋を借りて、事務所にしてるの。アレアレアに来た人をガイドしてるんだよ」
「立派に働いてるんだな」
「でもまだまだ儲けなんてなくって、いつも赤字よ。だから仕事のない日はカフェ・アレアレでバイトさせてもらってるの。覚えてるでしょ? ケンタくんが薪を納入してたカフェ! あそこでパンを焼いてるのよ!」
「パン作りまでやってるのか? ちゃんとやりたいこと、やれてるんだな」
「アイソトープのパン、っていって結構評判なのよ? 町の外からも買いに来てくれるお客さんもいるのよ。ガイドよりこっちのほうが今は本職みたい!」
カリンははずかしそうに笑う。
ちょうど俺がハローワークを去る日の夜、カリンが夢として語っていた。ガイドになるって。
俺がいない間に、カリンは夢を叶えていた。
「すごいな、カリンは。夢を叶えて」
俺は素直に尊敬している。
有言実行なんて、俺は今までやったことがない。自分の夢なんて、口にしたこともなかった。
それはひとえに自分に自信がなかったからだ。
夢なんて人前で語って笑われたらどうしようという気持ちは、今でも俺の中にある。
「私の夢なんて小さなものだよ。シリウスくんは本当に勇者パーティーに入っちゃったしね」
「らしいな。あいつもすごいよ」
その経緯は知らないが、勇者と面識もあったわけだし、シリウスならあり得ない話ではないとは俺は思っていた。
一度は勇者にボコボコにされたが、それで諦めるような男じゃないのは知っている。
「勇者と一緒にいればきっとケンタくんが見つかるはずだって言ってたんだよ、シリウスくん。僕が連れ戻してきますって」
「そうか……」
俺も妖精の森でシリウスが戦っている映像を少しだけ見ることができたが、実際にはまだ会えていない。
シリウスの気持ちはありがたいが、今や俺は勇者からも追われている犯罪者なので簡単には会うことはできなくなってしまった。
「ホイップちゃんはすごく怒ってたけどね」
そしてもう一人。
「ホイップの場所は分からないのか?」
シャルムの話だと、ホイップは俺を探しに行ったらしく、行方不明とのことだった。
ホイップに関しては心苦しく、責任しか感じない。
「ホイップちゃんは、きっと大丈夫だよ。いつか絶対に帰ってくるよ」
そう言いながら、カリンは遠くを見つめた。
その視線の先は真っ暗だったが、ホイップを思う気持ちが伝わってくる。
「なんだかんだ言っても、ホイップちゃんはケンタくんのこと好きだったしね!」
「そうか? いっつも俺にだけ厳しかったけどな」
「フフフ、愛情の裏返しよ」
俺たちは軽く微笑み、再び静寂が訪れる。
「……だからケンタくんも絶対に帰ってこなきゃダメだよ?」
カリンの目に、空の月が映りこむ。
その目は、まっすぐ俺だけを見ていた。
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