「ラの国ハローワーク所長代理、ケンタ・イザナミくん」
議長から指名されたとき、頭は真っ白だった。
会議出席者だけではなく、傍聴者たちの視線が一斉に俺に集まるのが分かった。
あいつ、アイソトープらしいぜ。
アイソトープがハローワーク会議に出席してるのか?
これは訓練じゃないんだぜ。
そんな声があちこちから聞こえてくるようだった。
耳をふさぎたくなるが、そんなことはできない。
「ケンタ・イザナミくん?」
動かない俺に、議長がもう一度俺の名を呼ぶ。
ここで俺はへこたれるわけにはいかないのだ。
俺は静かに立ち上がり、傍聴席を眺める。
俺のことをいぶかしく思う視線の中で、最後列にカリンがじっと俺を見ている。
俺は一つ、カリンに向かって頷いた。
そしてマイクを持って、発表を始める。
「ラの国ハローワークの収支報告と、今後の活動方針を発表します」
大丈夫だ。俺はハローワーク所長代理、ケンタ・イザナミ。
「すごかったね! さすが所長代理!」
カリンは手を合わせて、まるで自分のことのようにはしゃいでいた。
すでに三々五々に傍聴者は退席しており、前方の出席者の机にカリンがやってきた。
「はぁ。緊張した……」
会議が終わり、俺は机に突っ伏していた。
緊張の糸が解け、一気にやってきた脱力感。
「まったく書類も見ずに発表してたじゃない! いつの間にぜんぶ覚えてたの?」
「先週からずっとこの書類とにらめっこしてたから、覚えちゃったんだよ」
そう、俺はシャルムから託された書類を見ずに、すべて空で覚えて発表を行ったのだ。
もちろん、最初はそんなことするつもりはなかったのだが、あのソの国のハローワーク所長がアイソトープをバカにしたようなことを言ったので、少し反抗する意味でもあった。
「決算の細かい数字も、全部覚えてたのはすごいよ! ケンタくんを見直しちゃった!」
バチンと俺の背中を叩くカリン。
若干痛かったが、その痛みも今は誇りに思えてくる。
「間違ったらいけないし、ちゃんと見ながら読もうと思ってたんだけど、つい勢いでさ」
「【暗記】スキルも目覚めるかもね! さすが所長代理!」
カリンが気持ち悪いくらいにほめるものだから、俺も悪い気はしない。
「じゃあ、行こうか。やっと肩の荷が下りたよ」
ようやく立ち上がり、会議場を後にしようとしたところ……。
「ケンタくん、ちょっといいかね」
声をかけられて振り向くと、そこにはプロキス――ソの国のハローワーク所長が立っていた。
「なんですか?」
まず反応したのはカリンだった。
さっきまで機嫌がよかったのに、腕を組んでプロキスをにらみつけている。
いやいや、そんなにあからさまに敵対心持っちゃだめだって!
「いや、そんなに睨まんでくれ。私は謝りに来たのだ」
後頭部をさすりながら、申し訳なさそうに眉根を下げるプロキスに、俺とカリンは顔を見合わせる。
「さっきは軽率なことを言って申し訳なかった。この通りだ」
プロキスは俺とカリンを交互に見て、頭を下げた。
「あ、その、謝らないでください! 別に、気にしていませんから!」
むちゃくちゃ気にしていたが、もう終わったことである。
あれがあったからこそ、俺も発表がうまくできたといってもいい。結果論ではあるが。
「いや、こういうケースは初めてだったので、私も口が滑ってしまった。さっきの発言は取り下げさせてほしい」
さっきとは違い謙虚なプロキスに、カリンもようやく留飲を下げたように肩を下す。
「私もハローワークの所長として、アイソトープのことを見直さなければならないと、君たちを見て反省させられたよ。聞いたところによると、先般のアレアレアの事件にも君たちが関わっていたと?」
どこから聞いたのか、あの事件で俺たちが絡んでいたことは隠されているはずだ。
俺とカリンもどう答えていいのかわからず、口を閉じてしまう。
そこへ、さっきの会議を仕切っていた議長がやってくる。
「一般人は知らない話だが、ハローワーク協会界隈では有名な話だよ。シャルムのところのアイソトープはいつも優秀なんだ」
そう言う白いひげを蓄えた議長は、どこかスネークさんを思い出させるような老人である。
「あれは、俺たちは別に何もしていないですよ。たまたま、あそこにいただけで……」
俺は謙遜ではなく、事実を話す。
「謙遜することはない。ラの国のハローワークは、いつも評価が高いのだよ。シャルムの手腕もあるが、君たちの頑張りも大きいのだろうね。これからもがんばりなさい」
議長は俺とカリンを励まし、会議場を去っていった。
「議長もおっしゃったように、ラの国にハローワークはひとつしかないので保護されるアイソトープは少なくて実績は出にくいのだが、シャルムはその中でもアイソトープの教育とジョブ斡旋の数字はずば抜けているんだ」
プロキスはシャルムのことも絶賛する。
確かソの国にはハローワークが三つあると聞いていた。
「我々のソの国のハローワークは保護するアイソトープの数は多いが、その分就業率はなかなか上がらないのだ。シャルムがうらやましいよ」
これは以前、シャルムもぼやいていたことだ。
国からの補助金はアイソトープの保護数によって支給されるらしく、シャルム一人でラの国のアイソトープをカバーするのは難しいと。
その観点ではプロキスのほうが儲かっているのは間違いない。
「私たちはシャルムさんを信頼して訓練を受けてますからね!」
カリンが言い返す。
「ああ、それは十分伝わってくるよ。じゃあ、シャルムによろしく伝えてくれ。困ったことがあったら、いつでも言ってくれと」
それを最後に、プロキスも会議場を後にした。
「……やっぱりシャルムはすごいんだなぁ」
プロキスや議長がシャルムのことをほめているのを聞いて、改めて感心する。
ドSで金にうるさいところもあるけど、アイソトープのことを考えてくれているのは確かだし。あと、俺にだけは厳しいけど。
「そうね。私たち、ラの国に転生してきてよかったのかもね!」
カリンもうなずく。
「じゃ、ケンタくんも立派に一仕事終えたし、ホテルに戻ろっか!」
「あ、ああ。そうだな……」
一仕事終えて肩の荷が下りたとはいえ、また新たな問題に直面している。
カリンと二人で、あのホテルに泊まるのだ。
同じ部屋で、男女が二人……。
やばい、また緊張してきたんですけど?
ホテルに戻りフロントでカギを受け取る。
俺はさっきからカリンの顔がまともに見れなくなっていた。
「ごゆっくりどうぞ」
フロントの女性の笑顔に、俺もひきつった笑いを返す。
俺は完全にカリンを意識していた。
同じアイソトープとして、俺たちはスキルを身につけるために一つ屋根の下で生活している。今までの共同生活で、そんなこと考えたこともなかったのに、なぜかカリンを女性として意識してしまっているのだ。
俺とカリンは同い年。
もとの世界で出会っていたら、普通の男子高校生と女子高校生として、どのような関係になっていたのだろうかとすら考えてしまう。
いや、この異世界に転生したからこそ、出会ってしまったのだ。
それが今はこうやって一泊二日の旅行に来ている。
こんなの、まるでカップルじゃないか?
「ケンタくん、どうしたの?」
部屋の鍵を握りしめてフリーズしている俺に、カリンが話しかけてくる。
ちらっとカリンの顔を見ると、俺の懊悩などまるで気づいていないかのように,くいっと口角を上げて微笑んでいた。
「い、行こうか」
何とか平常心を取り戻そうと歩き出すが、右手と右足が同時に動いてしまう。
しっかりしろ、俺!
俺とカリンは家族みたいなもんじゃないか! それを、カップルとか変な風に考えちゃいかん! けがれているぞ、俺の感情!
「あ、ケンタくん! 待って!」
部屋へ向かう俺の手をつかむカリン。
「ど、どうしたんだ?」
ぴたっと石化したように制止する俺に、カリンはどこかを指さしている。
その指が示す先には……。
「まだ部屋に行くには早いし、あそこでお茶していこうよ!」
ホテルの中にあるカフェを指さし、有無を言わさず俺を引っ張っていくカリン。
「そ、そうだな!」
このまま部屋に行って二人きりの状況になってしまったら、俺の中の何かが暴走してしまいかねん。
ここはカフェでお茶でもして、心を落ち着けようではないか。
もしかしたらカリンも同じ気持ちなのかもしれないな。
そして俺とカリンは、カフェに向かうのであった。
俺はハローワーク所長代理として会議に来ただけで、カリンとどうこうとかは考えてませんから!
この一泊二日に、ラブコメ要素はありませんからね!
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