シャルムに呼ばれ、地下の道場に向かう。
いつもここでシリウスが戦闘訓練を受けているのだが、俺がこの道場に入るのは初めてだった。
というのも意識的に避けていたというか、戦闘スキルを身につけるための訓練なんてまっぴらごめんだと考えていたからで……。
階段を下りていくと、次第に明かりがなくなって薄暗くなっていく。その階段の先には、一つの扉。
「し、失礼します……」
道場の扉を開けると、そこにあったのは何もない部屋だった。
何の内装もなく、ただのコンクリート打ちっぱなしのような、無機質な正方形。そんな部屋だった。壁際にはいくつか棚やタンスのようなものがあるが、それ以外は何もない。
まるでここでは訓練以外のことは何もできない、そんなメッセージが込められているかのようだった。
部屋の真ん中には、シャルムが腕を組んで俺を待ち構えていた。
「な、なんなんですか? いきなり訓練するとか言わないでくださいよ?」
俺は恐る恐るその何もない部屋に足を踏み入れる。
いつでも逃げられるように、扉は半開きにしておく。やばくなったら叫んで、シリウスに助けを求めよう!
「……手を出して」
なんだか冷たい声で、シャルムが言い放った。
「え? 手ですか?」
なんだ? 握手でもするのか?
俺は恐る恐るシャルムに近づき、言われた通り右手を差し出す。
「逆よ」
「は?」
「こっち」
と、シャルムは俺の左手をグイっとつかんだ。
「な、なにをするんですか?」
握手どころか、シャルムは俺の左手を、まるで手相でも見るかのようにじっと見つめている。
いきなり手を握られたもんだから、俺はちょっと顔が熱くなってきた。
「あなた、さっきのこと、もう一回詳しく話して」
俺の手のひらのしわをなぞりながら、シャルムがそんなことを言い出した。
「さっきのことって? あ、訓練を受けたいって言ったのは、本気にしないでくださいよ! あくまで気の迷いというか、ちょっとした思い付きであって……!」
「それじゃないわよ。シリウスが目を覚ました時のコト!」
「へ?」
訓練のことについて、呼び出されたんじゃないの?
「やっぱり、この腕輪が原因かしら……?」
シャルムが独り言のように呟きながら、俺の左手にはめられた白い腕輪を触る。
俺の左手には二つの腕輪がはめられている。
一つは、このダジュームに転生してきたときにシャルムからもらった黒い腕輪。これは俺たちアイソトープが魔法を使いやすくなるように、オーラの流れを助けるための魔道具だ。
そしてもう一つ。
これはあの大魔法使いスネークにもらった、白い腕輪。
スネークさんが亡くなってしまって、まるで形見みたいになってしまって俺はずっと付けていたのだ。
「スネークさんの腕輪が、どうしたんですか?」
俺はシャルムの言うことが理解できず、聞き返す。
「あなた、シリウスが死んだと思って、傷口を押さえたって言ってたわよね?」
スネークの腕輪を触りながら、シャルムが顔を上げる。
その目はいたってまじめで、さっきの夕食のワインの酔いもすっかり醒めてしまっているようだった。
「え、はい……。だって、シリウスは血まみれだったし、腹に大きな穴が開いて血が溢れ出てると思ったから……。でもあれはどうやら俺の気のせいだったみたいで……」
あれは一角鳥の返り血で、シリウスはかすり傷一つ負っていなかったのだから。
「で、手が光ったって?」
「はい。でもそれも気のせいですよ。俺、パニックだったから」
「気のせいなんかじゃいわよ。シリウスは一角鳥に殺されたんだから」
「……はい?」
シャルムがわけのわからないことを言っている。
やっぱり酔ってる? 今日もワインを三本くらい空けてたし、そりゃそうだよね?
だってさっきもずっとシリウスは生きてたじゃないか!
「あなたが、生き返らせたのよ。シリウスを」
シャルムの言葉に、俺はもう返事はおろか、相槌すら打てなかった。
やはり飲みすぎると、荒唐無稽なことを言ってしまうのだろう。酒とは恐ろしいものである。
俺は二十歳を超えても酒なんか飲まないでおこう。
酔っぱらっているシャルムがいいお手本である。
「……私が酔っぱらって変なこと言ってるって思ってるんでしょ? 私はあれくらいで酔わないし、いたって正気なんですけど?」
俺の考えていることをまるっとお見通しのシャルムは、ぎゅっと俺の左手を握った。
「イタイイタイ! そ、そんなこと思ってないですから!」
思ってました! すいません!
「正直、今のシリウスが一角鳥と戦ってかすり傷ひとつなく勝てるわけがないのよ。おかしいと思ったわ。毎日訓練をしていて、シリウスの実力は把握しているのよ」
俺の手を離し、シャルムがくるんと背を向けた。
「あのとき、シリウスは死んだっていうんですか? それを俺が生き返らせたって、意味が分かりませんよ!」
ゲームの世界なら仲間を生き返らせる魔法なんてやつがあるが、それはかなり高レベルな魔法のはずだ。
魔法どころか、しょうもないスキルしかない俺が生き返らせる?
そもそもシリウスが死んだなんて……?
「……スネークは、死んだ人間を生き返らせる魔法が使えたのよ」
「え?」
背中を向いたまま、シャルムが小さな声で言う。
突然、スネークさんの名前が出てきて、俺は驚く。
「スネークが大魔法使いと呼ばれていた所以は、その蘇生の魔法を使えたからなのよ。おそらく当時、その魔法を使えたのはダジュームでもスネークだけだった。それで、勇者のパーティーに招かれたのよ」
「蘇生の魔法……」
俺はその言葉を繰り返す。
「そ。スネークは攻撃魔法に関しては、大した魔法を使えなかった。でも、蘇生の魔法だけは完ぺきだったわ。でも、そのことはほとんど誰も知らなかったんだけど」
かつてスネークの弟子であったシャルムは、その時のことを語りだした。
俺は黙って、自分の左手の腕輪を触りながらその話を聞く。
「人を生き返らすことができる魔法なんて、いわば禁忌なのよね。人の運命や人生を変えることができてしまう。だからスネークは誰にも言わなかった。何よりも恐れたのが、自分の魔法を魔王に利用されることだったから」
蘇生の魔法は人だけでなく、モンスターにも効くとなれば、魔王がスネークに狙われかねない。
だからそんな魔法が使えることを隠していたというのは理解できる。
「あるとき、私が可愛がっていた猫がモンスターに襲われて死んでしまったの。私、泣いちゃってね。その時、スネークが蘇生の魔法を使って生き返らせてくれたの。そこで初めて私も、スネークの魔法のことを知ったのよ」
死んだ猫を生き返らせた……。
「スネークはね、私にも蘇生の魔法を伝授させたかったのよ。スネークの唯一の弟子だし、彼が死ねば蘇生の魔法はもう誰も使えなくなるから。でも……」
シャルムは壁際のタンスの引き出しから、何かを取り出した。
そして振り返って、俺に取り出したものを見せる。
「白い……腕輪?」
シャルムは小さな、白い腕輪を持っていた。
大きさは違うが、俺の左手についているものと同じように見えた。
「これはスネークが作った魔道具。蘇生の魔法を使うために作られたのよ。幼い私もこれをつけて、スネークから蘇生の魔法の訓練をずっと受けさせられていたの」
シャルムはその腕輪を、ぎゅっと握った。
そして、奥歯をかむような、どこか恨むような表情が一瞬現れたのを俺は見逃さなかった。
「蘇生の魔法……、死んだ者を生き返らせるなんて、そんなに簡単なものじゃないくらい、あなたでもイメージはつくわよね? もちろん才能や訓練は当然として、その魔法を使うには、引き換えにするものがあったのよ。犠牲といってもいいわ」
「犠牲?」
「そ。自らの寿命よ。自分の寿命を削って、他者を生き返らせることができるの。だから、そう簡単に使えるものでもなかったし、スネークが隠していた理由もわかるでしょ?」
「誰かを生き返らせるためには、自分の寿命を削る必要があった……」
俺はその蘇生の魔法のすごさと、引き換えにするものの大きさを知る。
「その白い腕輪は、体中のオーラを集めるものじゃないの。自分の寿命を、集めるのよ。そしてその寿命を、死んだ者に与えるための魔道具なの」
自分の寿命を集めて、死者に与える――?
そして、シャルムがさっき言っていたことを思い出す。
「ちょと待ってください! その蘇生の魔法を、俺が使ったっていうんですか?」
「……その可能性があるわ」
シャルムはいたって冷静に答える。
俺は体中から汗が噴き出す感覚になるが、シャルムは続ける。
「私はスネークからどれだけ訓練を受けても、蘇生の魔法を使えるようにはならなかった。魔法を使うには才能が必要っていうことは、あなたももう知ってるでしょ? 私はどちらかというと攻撃魔法の才能しかなかったのよ。結局、蘇生の魔法は伝授されないまま、スネークは勇者パーティーに入って、私のもとから離れていった」
ふと、天井を見上げるシャルム。
蘇生の魔法を使うための訓練は相当厳しかったものではないかと、俺は想像する。
しかもこのシャルムでさえ、使えるようにはならなかったのだ。
「そもそも私は自分の寿命を削ってまで、だれかを生き返らせるつもりはなかったわ。ていうか、そんな犠牲が必要だって知ってたら、あの猫を生き返らせることにも反対してたわよ……」
スネークが猫を生き返らせた時も、寿命が削られていたことを後悔しているようだった。
「私が実際に見た蘇生の魔法は、そのときだけよ。スネークは死んだ猫を両手に抱いて、そしてその手が光り輝いたの。そしてその光は、猫の死体に吸い込まれ、猫は生き返ったの。まるで何事もなかったようにね」
衝撃の事実に、俺は全身の力が抜けたようになっていた。
手から光が出て、死体に吸い込まれるだって?
「同じだ……」
俺は手のひらを広げて、自分の手を見つめる。
「やっぱりね……」
シャルムも得心したかのように、ふぅ、と息をつく。
「俺が、シリウスを生き返らせたんですか? でも、なんで俺がそんな魔法を……?」
何のスキルも才能もない俺が、いきなりそんな大魔法を使えるなんておかしすぎる。
もし本当に俺が蘇生の魔法を使ってシリウスを生き返らせたのだとしたら、俺の寿命が削られたというのか?
でも、シリウスが生き返ってくれたのだったら、それはそれでよかったけど……。
「それはあなたに蘇生の魔法の才能があったということよ。それ以外にないわ」
腕を組んで、ゆっくりと言うシャルム。
「俺に、才能……?」
何もできないし、何もしようとしなかった俺にそんな才能が?
信じるとか信じないとか以前い、俺は自分のことが分からなくなってきた。
「あなたとシリウスは相棒みたいなものでしょ? その相棒がいきなり死んでしまったことであなたの中の何かが覚醒したのかもしれない。そしてスネークの腕輪があなたの覚醒に反応して、蘇生の魔法を使えるようになったのかも……」
じっくりと分析するシャルムだが、はっきりしたことはわからないようである。
「もう一度同じことをやろうと思えばできる? 何か自分の中でスイッチというか、魔法を使えるようになった意識はある?」
「いえ、何も……。意識してできるとは思えません……」
それが俺の素直な気持ちであった。
俺が魔法を使えるなんて、夢にも考えなかったことだ。それに蘇生の魔法なんて……。
「でしょうね。覚醒なんて、何がきっかけで起こるかはわからないのよ。それに才能なんて、誰にもわからない。……まさかあなたにそんな才能があるなんてね」
驚くというより、感心するようなシャルム。
少しだけ、俺を見る目が変わったのかもしれない。
「でも、どうしましょうか? 俺、どうすればいいんですか?」
しかし俺は俺で大混乱である。
いきなり蘇生の魔法の才能があるといわれても、どうしようもないではないか!
「どっちにしろ、このことは誰にも言わないで。シリウスにも黙っておいたほうがいいわね。彼も受け入れられるとは思わないし。それに蘇生の魔法が使えるなんて誰かに知られたら……」
「し、知られたら?」
「あなた、魔王に狙われるわよ?」
それはスネークがひたすら隠していたことと同じことが起きかねないのだ。
俺が自由に蘇生の魔法を使えるかどうかなんて関係なく、魔王に利用されるかもしれないのだ。
魔王もモンスターを生き返らせるために、蘇生の魔法を使える奴がいたらほうっておいてはくれないだろう。
それにあいつらが俺の寿命なんて気を使ってくれるわけもないし、完全に使い捨てにされるのは目に見えている。
だってあいつら、この世の悪の権化、魔王だし!
「……絶対に言いません」
俺は心の中に、今日の出来事は完全に密閉する決意をした。
「スネークは自分の死期を悟っていたのかもね。そこへあなたが来て、もしかしたらあなたの才能を見抜いていたのかも。それでその白い腕輪を託した……」
「そんな……」
シャルムはそのまま道場を後にしようと、扉に向かった。
「出来の悪い弟子には伝授できなかった蘇生の魔法を、あなたに使える才能があったなんてね」
最後にぽつりとつぶやき、そのまま道場を出てしまった。
「シャルム……」
俺は何を思えばいいのだろうか。
死んだシリウス俺が生き返らせた?
シャルムにも使えなかった蘇生の魔法を俺が使えた?
しかも俺の寿命が削られた?
突然で突拍子もないことばかりが起きて、気持ちの整理すらできない。
でも……。
「シリウスが今も生きてくれているだけで、それでよかったよな?」
誰にだって死んでほしくない。
シリウスや、カリンは俺の家族なんだ。
そう、シャルムやホイップも、俺には大切な家族。
その家族の一員を守れたんなら、俺もこのダジュームで生きていく目的ができたんじゃないかと、そう思えた。
「いや、まだ俺が蘇生の魔法を使えるとはわからないんだけど……」
俺は左手をぐっと握り、道場を出た。
第四章 完。
少しだけダジュームで生きていく目的を見つけたケンタ。
だけど日常は変わらず、薪拾いと配達にいそしむ日々だった。
そんな中、シャルムに頼まれてカリンと二人でラの国の首都へ行くことになる。
これって、デートってやつじゃないのか? しかも、泊りがけですって?
次回、第五章「異世界が前提のラブコメ」、始めます。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!