「理由は、行けばわかる。さあ、オーラの翼を出せ。お前はもう歩いて国境を超えることのできない犯罪者なんだ。空を飛んでいくしかないぞ」
バサッと、ジェイドの背中に黒い羽が現れた。これもオーラなのだろうか? そうは見えないほどまがまがしく、単純に強そうだ。
「ちょっと待って! まだ俺は飛べないし、それにラの国のハローワークに、なんで?」
「ごちゃごちゃ言うな。死なない程度にオーラを注入してやるから、歯を食いしばれ」
ジェイドは俺の両手腕を掴み、ぎゅっと握る。
「イタイイタイ!」
「我慢しろ! いくぞ」
するとジェイドの手がぶわっと光った。いや、明るく光るというよりも、くぐもった黒い光につつまれ、次第にその黒い光が俺の腕に吸い込まれていく。
「私のオーラを注入し、お前の体の中のオーラを活性化させる。自由に空を飛べるくらいの量だから、死にはしない」
「死ぬ可能性あるの? ちゃんとインフォームドコンセントしてよ!」
「うるさい。黙ってろ」
腕を握られ、俺はまったく動けないままジェイドの黒いオーラが体の中に流れ込んできた。なすすべなく、じんわりと、その黒いオーラは全身に血が巡るように、俺の体がひんやりとした気がする。
「よし。翼を出してみろ」
処置が完了したのか、ジェイドが離れる。捕まれていた手首が赤くなっているが、それ以外特に変化はなかった。
「そんな簡単にいかないから困って……」
と両手を広げた瞬間だった。
キュインという変な音が鳴って、背中が熱くなった。
「できるじゃないか」
「へ?」
俺の背中にはオーラの翼が広がっていた。
昨日、崖の上から飛び降りたときよりも、なんだか大きく、立派な青いオーラの翼だった。
「何も考えていないのに、翼が出た?」
「普段は無意識のうちに瞬きをして呼吸をしているだろう。それと同じく、オーラも無意識のうちに使いこなすものだ。お前には圧倒的なオーラ量がたりなかっただけで、これくらいは使いこなしてもらわんと困る。さあ、行くぞ」
そう言うとジェイドはバサッと羽を羽ばたかせ、空中へ飛び上がった。
「ほら、あとは気合いよ!」
それに続いてペリクルもキラキラと舞い上がる。
「でも、どうやって?」
昨日も翼は出たが、それを自由に動かすことはできずに風船みたいに浮かんでいただけだったのだ。空を飛ぶのと呼吸を一緒にしてもらっては困る。
「飛ぼうっていう意志よ! 早くしてよ!」
「意志ったって……?」
目を閉じ、自分が空を飛んでいる姿を想像した。
真っ青な空の中。見下ろせばダジュームの世界が小さく見える。二本足で歩いているのとは違う、体全体で風を切りながら、風と同化して、風になる。
「……飛べ!」
ふわり。
浮いた。
ふぁさり。
翼が揺れた。
「と、飛んだ?」
あとはもう、無意識だった。
空で舞っていたジェイドとペリクルのもとにふわふわと飛んでいく。
「やればできるじゃないの」
ペリクルが珍しく褒めてくれた
「よし。ラの国へは、飛べばすぐだ」
「まだそんなに速く飛べないから!」
「加減してやる。行くぞ」
表情を変えずに、ラの国へ向けて飛ぶジェイドに、俺はゆっくりついていく。大丈夫、俺は空を飛べている。まだ速くは飛べないけれど、馬車なんかに比べると断然速い。
さっき想像したときみたいに、地上が小さく見える。いつの間にか、町が見える。ファの国の首都だろうか? 空から見ると、位置関係がよくわからない。
「こっちだ。少しスピードを上げるぞ」
俺が慣れてきたと思ったのか、ジェイドが加速する。それに俺もなんとかついていく。
空を飛ぶなんて、元の世界にいるときは考えもしなかった。
できそこないであろうと、こうやって転生してきたおかげで手に入れた能力だった。
もしかしたら、俺にもできるかもしれない。
ちょっとだけ自信がついたような気がしたんだ。
途中、俺のオーラ切れがあって何度か休憩をはさみながら、ラの国に到着したのは夕方になっていた。馬車なら数日かかったと考えると、相当速い。
ただジェイドに必死でついていくだけだったので今自分が飛んでいる場所はまったくわからなかったが、途中に壁で四方を囲まれた街を眼下に見つけて、それがアレアレアの町だと気づいてラの国に入っていたことを知った。
アレアレアを見つけてからはものの数分だった。
荒野の一本道に沿って進むと、山を背にした小さな建物が見えてくる。
空の上から、その建物を見て俺は緊張してきた。
――帰ってきた
俺が最初に、このダジュームでの生活を叩きこまれたハローワーク。
一人こっそりここを出て数か月が経っていた。
シャルムはその間、俺の失踪届を出していないみたいだった。一体どういうことなんだろう?
すでにシリウスは勇者パーティーに入ったのでいないはずだ。
ガイドを目指していたカリンはどうなっただろうか? もしかしたら新しいアイソトープを保護している可能性もあった。
あと、ホイップも。
ちらっと隣を飛ぶペリクルを見ると、少し緊張した面持ちだった。
ペリクルも自分の育ての姉であるホイップに会えるのだ。数十年ぶりの再会だ。
「よし、着いたぞ」
先を行くジェイドが、黒い翼の動きを止めた。
真下に見えるのは、異世界ハローワーク。
なぜか魔王の命でここに連れられてきたが、その理由は分からない。ジェイドですらよく知らないらしい。
まさかシャルムが何か知っているのだろうか?
シャルムには殴られるかもしれない。何も言わず、すべてほっぽりだして逃げたわけだから。
なのに今はモンスターを連れてのこのこ帰ってくるなんて……。
「ちょっと待って!」
ジェイドが下りようとするところで、制止する。
「……どうした?」
「いや、その、心の準備が……」
事務所に近づくにつれ、恐ろしくなってきたのだ。
勝手に飛び出して家出状態だった俺が、いきなり帰ってきたらシャルムはどう思うだろう? 殴られてしばかれることくらいは覚悟ができているが、俺の場合はただの家出ではないのだ。
この【蘇生】スキルのせいでモンスターに狙われていると知り、ハローワークに迷惑をかけないようにと飛び出した。
だが、そのことについては何も解決はしていない。解決したどころか状況はもっと悪くなっている。
俺一人が最悪魔王軍にさらわれればよかった問題が、今やダジューム全体を巻き込んでいるのだ。
魔王軍はおろか勇者にさえ捕まるわけにはいかず、今や俺は犯罪者でお尋ね者なのだ。
始まりの妖精シャクティに会って、アイソトープは妖精になれなかったできそこないだって聞かされたし、ジェイドからは魔王軍の内乱を沈めるために魔王の兄を生き返らそうとしてるって話も聞いたし、その中心にいるのが俺で、なぜか世界の抑止力だし……。
わけのわからない状況を山ほど背負って、俺は帰ってきてしまった。しかもジェイドとペリクルを連れて。
これからどんな顔をしてシャルムやカリンに会えばいいのだろうか?
みんなを巻き込みたくないといいながら、巻き込むことにならないだろうか?
「もう遅いわよ。あなたは逃げられないし、ダジュームの命運を握っているのよ」
ペリクルが、俺の考えていたことをズバリと指摘してくる。
「そうだけど、なんでハローワークに行くんだ? 今さら俺は戻れないよ」
直前になって弱音が出る。
「魔王様の命だ。逆らうことは許さん」
ジェイドは脅すようなことを言ってくる。
「逆らうって、俺は魔王軍じゃないし! なんで魔王がこのハローワークのこと知ってるんだよ?」
「覚悟を決めなさい! うじうじする男は嫌いよ!」
べしんと俺の横腹に蹴りを入れてくるペリクル。
「よし、下りるぞ」
もう俺の泣き言を無視するように、ジェイドがすぅっと地上に降りていく。
俺とペリクルは、互いに何も言わず目を合わせる。
もう行くしかないのか。
魔王のことを信じているわけではないが、もしかしたらシャルムなら打開策を持っているかもしれないというのが、俺の中にあるかすかな希望でもあった。
いや、さすがにシャルムでもこんなダジューム全体を巻き込んだ争いを絶つなんて無理か……。
「よし、行くぞ」
俺も覚悟を決め、ゆっくりと降りる。
地上に降り立った俺たちは、まっすぐハローワークの事務所に向かって歩き出す。
帰宅、といっていいものか。
俺はダジュームにおける、自分の家に帰ってきた。
すると、ガチャリと事務所の扉が開いた。
まるで俺たちがここへ来るのを知っていたかのようにタイミングよく、中から現れたのは――。
「遅かったわね、ケンタ」
ハローワーク所長、シャルム・ヴァイパー。
その目はまっすぐ、俺を睨んでいだ。
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