【1】
猫。
食肉目ネコ科ネコ属。我々と同じ、哺乳類。可愛らしく、気高く、しなやかで、すばしっこい生き物。高所からの落下に耐え、魚を好むとされる、小柄な動物。
愛玩動物として人気が高く、家畜化の歴史は長い。
古くは、エジプト文明のヒエログリフにも人と猫の交流が見て取れる。ちょこんと座った猫の象形文字は、とてもかわいい。
かわいい猫たちが太古より人類の友であったのは確かだ。
猫とは家族であり、愛すべき隣人。
そして、「異種族」である。
【2】
塩垣一華は、鬼の後を追っている。
青白い火の手の方向に向かい、2人は駆けていく。先を走る鬼は、とある荷物を背負っていた。
やや“サイバー”な見た目のこの鬼、出発前にこの荷物を持ち出していた。ベンチから立ち上がると、背後の雑木林にごそごそ分け入り、“謎の物体”を持ちだした。
(こいつは、かさばるんでな)
鬼の荷物は直径1m弱で、平べったい〈鍋〉のような物体だった。
(邪魔になりそうだったんで、置いておいた)
ところどころに鋲《ボルト》が打ち込まれた蓋つきの〈鍋〉には、取っ手のように太い紐が渡されており、たすき掛けで背負うことができる。
「あの……その荷物は?」
「あー、ええと、地獄の同胞だ。……息が切れるぞ、口を閉じて走れ」
公園でのことを思い出しつつ、黙って鬼の後を追う一華。
夜道ですれ違う近所の人々は狂乱し、叫んでいる。
最初に向かう予定だったコンビニをとうに通り過ぎ、そしてとうとう、青白い炎の火元にたどり着いた。そこで一華は、驚愕の光景を目の当たりにした。
「う、うそ……?」
「ほほう?」
二人の巨人が、市街地で暴れている!
方や、馬頭を象る兜をかぶり、右手には穂先のえぐれた馬上槍《ランス》のようなものを持ち、四本足で住宅街の合間合間を跳ね回る。
伝承の中の“ケンタウロス”のようなシルエットの巨体――――これは、〈人馬〉。
方や、“ほっかむり”を被ったような頭、左手で錫杖のような長物を持ち、法衣を思わせる“装甲”を身にまとい、路面にどっしりと仁王立ちする。
“喉仏”の骨を思わせる末広がりのシルエットの巨体――――これは、〈僧兵〉。
この二つの巨大な影――――固い鎧に身を包んだような影が、市街地の空中で、地上で、ぶつかり合う。
手にした得物で互いの急所を狙い、突き、薙ぎ、閃光を放つ。鍔迫り合いで青い火花を弾けさせ、狙いの外れた閃光が街に落ちるたび、青い火の手が上がる。
〈僧兵〉の放つ“閃光の弾”を間一髪でかわし、住宅の屋根を足場に跳ね回り、4本の足による巧みな“足さばき”で迫る、〈人馬〉。
〈人馬〉の猛烈な乱れ突きを錫杖でいなし、体をそらして“後ろ蹴り”を防御し、路面を蹴って距離をとる、〈僧兵〉。
間車市の市民――――夜の街に出てきた罪なき群衆は、この戦いを間近で目撃した。
近所のご婦人は、恐れおののいて頭を守る。
鎖間院の若い僧侶は手にしたビニール袋を取り落とし、「南無三」と唱える。
コンビニ店員の兄ちゃんは、自宅の方は無事かとはらはらする。
物好きな女性は、目の前の光景をスマホで撮影し、SNSに投稿する。
悲喜こもごもの群衆の端には、サイバー鬼と、一華の姿。
「これはこれは、やはり“閻魔帳”に伝え聞く通りか!」
「知ってるんですか!?」
「“実物”を見たのはおれも初のこと。一華も、知らんのだな?」
「知るわけないでしょ! こんな、こんな――――」
夜の市街地を舞台に、戦い続ける巨人。
馬上槍の放った突きが、〈僧兵〉の肩をかすめる。
法衣の隙間から放たれた光が、〈人馬〉の脇腹を焼く。
鬼には「知らない」と言ったが、一華はこれを見たことがあった。
しかし、それは現実の出来事ではない。
(これって……)
夜の街と巨人の戦い。
剣戟と光線のやり取り。
怯えまどう群衆。
この光景は、見たことがあった。
そう。あれは、祖父との思い出の――作品。
(…………アニメ?)
祖父――塩垣桃太は古今東西の「映像作品」を好んでいた。
一華もビデオを見せてもらったことがある。ちょっと怖いのもあった。
実写映画や社会派ドラマ。
時にはSFアニメ――そう、“ロボットアニメ”である。
ロボットと言っても、今回の場合は等身大ではない。
主役は、巨大なロボットである。
物語が始まると、主人公は「機械の巨人」に出会い、パイロットとなり、戦いに身を投じ、悩み、陰謀の闇に迫っていく。
そんな“エンターテイメント活劇”。伝統ある日本の大衆芸術。
『主人公』はさまざまだ。
『銃を握ったこともない科学者の息子』
『戦うことしか知らない少年兵』
『過去に苦しむ退役軍人』
『鉄道マニア』
老若男女は、“愛機”とともに自らの運命に立ち向かう。作品は個性豊かだが、それはおおむね共通するモチーフだ。
――――そういえば、気に入って何度も再生した作品やエピソードもいくつかあったな……
――――タイトルは、なんだっけ?
目の前の出来事に呆然とし、回想にふける一華。彼女がこうして呑気にしていられるのは、この戦いをアニメで見ていたからではない。
隣の鬼の目が光っているのと、足がすくんで動けないのも否めないが、理由はもう一つ。
一華は無意識に、この戦いは安全だと判断していた。
何故か?
夜の市街地の戦い。
〈僧兵〉は錫杖を片手で握り、相手の突きを切り伏せ、もう片方の手で掌底を繰り出す。体重を乗せ、〈人馬〉に突き刺さる打撃。
この体術を繰り出すにあたり、道路に深く踏み込んだ足には巨人の自重が乗り、直下の舗装をひどく――――踏み荒らさなかった。
〈人馬〉は猛烈な打撃に姿勢を崩し、近くのマンションに激突。
青い火花が弾け、マンションは巨体の質量で倒壊――――しなかった。窓の明かりが、まばたきのようにチカチカするだけ。
戦場となった町はこの戦いで火の海とガレキの山に――――なっていない。光線の落ちた市街には青い火の手が上がりこそすれ、火事一つ起きていない。
この戦いは、安全だった。
(これ、「立体映像」? プロジェクション、マッピング?)
巨大ロボットが大暴れすれば、町は見る影もなくなるはずだった。目に映る映像と被害のない町の矛盾に、混乱する一華。隣の鬼は、薄紅色のグラデーションがかかった長髪をもて遊んでいる。
「人里に被害が出ていない。これは良かった」
「そ、それは…………そうですけど。でも……」
鬼の言葉に戸惑う一華。そんな一華に、鬼は笑って見せる。
「しかしこの騒ぎ。おれも、黙ってはおけんなぁ」
一華の隣で不敵に笑う鬼。機械の鬼。
「この体は“借り物”だが、これは最早……止むを得まいな? 住処での狼藉と思うと、我慢ならん…………!」
彼女は、背負った〈鍋〉を夜道に降ろした。
どっしりと道路に横たわった鋼鉄の円盤は、街頭の光を反射する。明かりの中で観察すると、それは、何かの装置に見える。
二人から離れたところに群がる野次馬の市民たちは、目の前の戦いに夢中であり、背後の出来事になど気付いてはいない。
鬼は、一華に背を向けた。
「一華よ。これから、あれらの狼藉者を折檻する。話に応じればいいが、大人しく聞くとは思えん」
「え……はい」
「これは、お前のじいさんにも関わることだ。よぉく見ておけ」
「……はい」
反射的に返事をする一華。浅慮だが、やっぱり「鬼」は怖い。
鬼はというと、小さな端末――スマホのようなものを取り出し、ケーブルで自分の“首筋”と繋ぎ、画面をつついて何かを操作している。起動しているソフトウェア・インターフェースは、見たこともない。
(鬼もスマホ、使えるんだ……)
しゃがんだ鬼が〈鍋〉の外郭の一部を開くと、そこには操作盤のようなものがあった。そのスイッチを叩きだす、鬼。
一華は、鬼の“小さな背中”を見守った。
角を持ち、怪力を発揮し、“機械のような体”をしていると言えど、見た目にはほんの女の子に見える。
鬼は、〈鍋〉の前で一人何かの作業を続けながら一華に語る。
「そう案ずることはない」
一華は見守る。
鬼は、準備を続ける。
「家族を亡くし、珍妙な争いを目にし、さぞ不安であろう、人の子・一華よ」
一華は見守る。
鬼は、準備を続ける。
「先ほどの、“お前のじいさんが人殺し”という話も……紛れもない事実だ」
一華は見守る。
鬼は、準備を続ける。
「だがな、一華よ。案ずるな」
一華は見守る。
鬼は、準備を続ける。
「じいさんを、勝手に“地獄送り”にはさせん……!」
見守る一華に、鬼の表情は見えない。
しかし、小さな背中の発する、一つの言葉。
―――勝手に“地獄送り”にはさせん。
相変わらずわけが分からないが、どこか安心する。
頼もしい響きの、気遣いの言葉。
(このひとは……なんだろう?)
疑問の答えを探すように、市街地に目を移す。
“ロボットアニメ”のごとき戦いは新たな局面を迎えていた。
掌底を食らった〈人馬〉は、既に反撃体勢に移っている。
火花の中から立ち上がり、よろけながら、四本脚で路面をしっかりと踏みしめる。
対する〈僧兵〉。両手で錫杖を構える。
睨み合う両者。流れるつかの間の静寂。
この戦いは互いの尾を追い回す「犬の喧嘩」にはたとえられない。
互いに睨み合い、腹の内を探り合い――――そして、動きは敏捷に、一撃必殺の“ネコ・パンチ”を繰り出す。これは……「猫の喧嘩」である!
そして睨み合いの静寂は破られる。
馬のような足で路面を蹴り、突如正面へ走り出す〈人馬〉。
〈人馬〉は無謀なる突撃を敢行し、〈僧兵〉の胸へ手にした槍を打ち込む――――ふりをして――――下半身の“後ろ足“で、“回し蹴り”を繰り出した!
〈僧兵〉は迎え撃とうとしたが――ついに間に合わなかった。
〈人馬〉の技は、不自然な蹴りであった。生きた普通の馬であれば持ち得ないはずの関節が曲がり、伸び、薙ぎ――――〈僧兵〉の右腕に、深々と突き刺さった!
「ほう! 馬面もなかなかやるな! これは血がたぎる。この体には通ってないが」
戦いを目にして感心する鬼。
相変わらず呆気に取られている一華。
鬼は、彼女のほうを振り向いた。
「一華、離れておれ。5間……じゃなかった。10メートル、ぐらいだ」
「……はい」
「終わったら、あの公園で落ち合うぞ」
――――この鬼は、やはりどこか優しい。
鬼の言葉に従う一華は、夜の街でそう思った。
【3】
日本語を解する、親愛なる読者の皆様へ。
激戦の最中にちょっとお時間をいただき、質問タイムを挟みたい。
いや、質問の前にまず、この場を借りて謝辞を述べさせていただきます。
本作をご覧下さり、まことにありがとうございます。
今後も執筆活動に邁進し、良き作品を書けるよう鋭意努力していきたいと考えております。感想を頂けると、励みになります。
謝辞を述べたところで、質問に移りたい。
これは哲学的な議論の誘いではないし、信条や宗教にまつわる問いでもない。「心霊テクノロジー」や〈SFガジェット〉は関係ない。「ラグナロク」も〈量子回線〉も登場しない。リラックスしてお付き合いただけると、幸いである。これは単なる閑話なので。
前置きが長くなったが、さて質問。
――――あなたは、猫を見分けられるだろうか?
そう、猫を。
「一家の一員だ。“我が子”を見間違えるはずがない」
「たとえ同じ品種でも、猫ごとに個性がある」
「迷子になっても分かるよう、首輪をつけている」
愛猫家のお怒りは、痛いほどによく分かる。
たとえ野良猫であろうとも、何度も見かけるうちに愛着がわき、特徴を覚える。部外者に好きなものを「全部似たようなもんじゃないか」と言われてしまえば、猫好きに限らず憤るだろう。
しかし、愛猫家の方々もここはひとつ仮定し、想像していただきたい。
“ある条件”をつけ加え、今再び質問。
――――あなたは、“一度見ただけの猫”を、見分けられるだろうか?
胸に手を当て、自分のこととして、考えてみてほしい。
この猫は家族ではない、赤の他人――いや、赤の他獣。
この猫は品種の同じ猫、数十匹の中に混じっている。あなたはそこから数枚の写真を頼りに、“葬式で見ただけの猫”を、探さなければならない。
「自分は超・愛猫家だ。それでも見分けられる」と豪語する方向けに、条件を更にもう一つ付け加えたい。
この猫、「首輪」を毎日自分で、つけ替えている。
【4】
彼が葬儀場で一度見た「猫」とは、名を「塩垣一華」という。
この「猫」を見分ける必要のあった、ドレッドロックスの男。今彼は、〈僧兵〉――〈8006式機動仏壇〉の操縦席に腰掛けている。
操縦桿である数珠を握る手には、力がこもる。
「糞ッ!」
劣勢だ。
右腕ユニットが文字通りお陀仏になり、悪態をつくドレッドロックスの男――――三叉寺涼音。彼こそ、怪文書の送り主である。
〈機動仏壇〉内の障子に映る敵は、右腕の槍《シャベル》で追い打ちをかけてくる。
≪優婆塞戒経、復号プロトコル≫
障子に、“心霊兵装”の火器管制メッセージが展開される。
≪“不邪淫戒”装填。砲火準備、照準補正完了≫
三叉寺が引き金を引くと、彼の操る機動仏壇は〈経文弾〉を連射し、突撃してくる敵から身を守る。
(やつの手の内は知れているが……)
敵の巨大な〈人馬〉――ワルキューレどもの心霊兵器は、戒めの火線をかいくぐり、市街地の中で機敏に追い打ちを仕掛けてくる。法衣装甲を、繰り出された切っ先が浅く抉る。
(こちらの傷も深い。後れをとったか!)
この男・三叉寺は、仕事先の地球に降りてから既に一度、襲われていた。恐らく襲撃者はワルキューレ、鬼女の使いの戦闘員。
相棒である心霊戦術兵器、〈機動仏壇〉はこの一度目の襲撃で小破し、供養による応急修理を施しただけであった。この戦いは、二度目の襲撃。
(片付けて、逃げなければ。こんなことをしている場合では、ない!)
三叉寺は、仕事の最中に「大ポカ」をやらかしていた。
その「大ポカ」とは――――
心霊テクノロジーの残滓を感知され、最初の襲撃を許したことか?
違う。
四足獣の「ネコ」を警戒したことか?
違う。
この惑星のエネルギー技術を過信し、スマホの電池を切らしたことか?
違う。
公園で待てばよかったのに、返信を受け取れないのを恐れたことか?
違う。
金髪乙女の監視に気付かず、コンビニで買ったバッテリーを開封したことか?
違う。
金髪乙女に尾行され、なんだかんだで互いに剣を抜いてしまったことか?
違う。
事前に知っていたはずの、“不自然な蹴り”をもろに食らったことか?
違う。
どれも、違う。
この男、三叉寺の真の大ポカとは――――
『公園前で道を聞いた地元の女性が探していた喪主・塩垣一華その人であることに気付かず、放置してそのままコンビニに急いで向かったこと』
三叉寺にとって、この惑星の原住民は「地球人にとっての猫」みたいなもんである。
葬儀の折に撮影(盗撮)はしていたのだが……暗がりでコンビニを探していたので、冷静に見分けることは叶わなかった。一華の服装も、喪服ではなかった。
そして今、喪主と早々に話をしなければならないのに、“馬野郎”に襲われている!
既に“除霊”されてしまった右腕ユニットは、使い物にならない。
これ幸いと、目の前の馬野郎――――〈人馬〉は、とどめの一撃を準備している。
(まずい…………)
数珠を固く、固く握る。
精神を安定させ、機動仏壇の姿勢を立て直す。
三叉寺が死の恐怖に立ち向かわんとした、その瞬間――――
『お前ら…………双方、そこに直れ!』
声。
外からの声。センサーが拾った、大気振動。
『お前らの名は知らんが、馬面。……そして、坊主!』
声の主を視界からさがす。
『ひとつ、話し合う気はないか?』
障子に移るのは、3番目の巨人。
頭に“角”を持ち、甲冑のようなものを逆三角形の体にまとう、巨人。
背中には、太い武器らしきものを背負い。
そしてその肩には――――新たな「猫」が立つ。
『おれとて、これ以上の騒ぎは本意でない。……得物を捨てよ』
――こいつはまたも、「ワルキューレ」の仲間か?
――それとも、自分とは別の、新たな異邦人か?
――まさか……この惑星の原住民か?
――武装解除しろと言っている。
――あり得ない!
三叉寺は操縦し、応戦の構えをとる。
何者かはわからないが、“武器”を持って現れた乱入者に素直に従う道理などない。下手に武装解除すれば、だまし討ちを食らうかもしれない。
〈機動仏壇〉が持つ錫杖を片手で持ち、構える。
ちらとみやると、〈人馬〉もこの乱入者の方に向き直り、同様に応戦の構えをとっている。
『大人しく聞くつもりなど、ないか。ま、仕方ない。こっちも“金棒”を持っておるからな……』
乱入してきた「猫」は日本語で言う。
だが、三叉寺は応戦の構えは解かない。
〈人馬〉も同様。
『仕方あるまいな………』
角のある巨人と、「猫」は――――肩をいからせる。
この惑星では珍しい色の、「猫」の頭髪。
のろしのように、夜風になびく。
『ではお前ら……折檻の時間だ!』
「猫」が、殴り掛かってきた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!