【件名:塩垣桃太様の孫、塩垣一華様へ】
突然の連絡をお許し下さい。
先日、桃太様の葬儀に参列し、ご挨拶に伺った者です。
この度はご愁傷様です。
どうかくれぐれも、お気持ちを強く持って、ご自愛くださいませ。
本題ですが、先日申し上げた通りです。
おじいさまに関して、重要なお話があります。
五月十二日 午後八時半
六門公園にてお待ちしております。
立会人を伴っていただいても、構いません。
火急の用故、私と直接お話し下さるよう、お願い申し上げます。
合掌
追伸:
僭越ながら、忠告をさせてください。
不審な人物の接触や、見慣れぬ現象に、ご用心を。
ご自身とおじいさまの身の安全を第一に、お考えください。
もし万が一、上記のような事態に遭遇した場合、
どうかためらわず、私に折り返しご一報を下さい。
三叉寺 鈴音
【1】
塩垣一華は、夜道を歩いていた。なんてことはない、単に近所のコンビニに向かっているのだ。
ベージュのカーディガンを羽織り、ジーパンを履き、自宅のマンションから出てきた。
葬儀の後片付けが終わり、香典の整理も半分は終わった。
骨壺は、ひとまず自宅の和室に安置した。本人たっての希望で、仏壇などは用意していない。埋葬や散骨の問題は、先送り。そういえば、郵便もいくつか届いていたな。
スマホを手に取り、授業担当の教授から欠席連絡に返信が来ているのを確認。葬儀業者の人からの連絡も確認。一応祖父の遺品のスマホも電源を入れ、妙なメールを再確認。
祖父の遺骨と向き合い、今日はこれぐらいにして食事で一息つこうと思った。そう、その矢先。
ティッシュが切れていたことに、気が付いた。
街灯が照らす夜道。雲の合間の月は、上弦の三日月。歩道には、人の姿がちらほら。
夜分に出歩くのは危ないし、やめておこうかと一度は思った。変な噂も聞いたし、妙なメールの事もある。
ただ、一華は不安だった。
夜中に急に鼻をかみたくなったら?
寝ている間、枕が濡れるほど涙を流したら?
ありえなくはない事態だ。後者は一度あった。
空腹なのも事実だ。葬儀で忙しく、食材の買い出しもしていない。ティッシュのついでに弁当を買って、済ませよう。メールの件も、ついでだ。
一華は足早に歩く。
そしてとうとう、問題の「六門公園」に通りかかる。
(ここで待ってるって、書いてあったな)
思い返すのは、祖父のスマホに届いていた妙なメール。
そして、差出人であろう「ドレッドロックスの男」のこと。
参列者に交じり、ドレッドロックスの髪をしたアジア人で、「後で重要な話がある」と言っていた、あの男。
送られてきた妙なメールの差出時刻は、昨日。
本文を一通り読んで、一華は「なんだこれ!?」と思った。
文面が丁寧な「お悔やみ状」スタイルなのはもう突っ込んでいられないが……
まず、夜中の公園に来いと書いてある。指定は近所の公園。まさか住所がバレている?
人を連れてきてもよいと書かれているが、気付いたのは今日。こんな時間に『立会人』など用意できそうもない。マンションのお隣さんに話したら変に思われるだろう。
あの、名刺をくれた甘崎さんは――――却下。
立会人がいないなら公園に出向くのは当然一人。だが、この不気味な誘いに、一華がのこのこ一人で顔を出す道理などない。
そして、追伸。
『警告』?
『不審な人物』?
『見慣れぬ現象』?
『ご自身とおじいさまの身の安全を確保してください』?
一体……これは何のことだ?
不穏な警告付きのお悔やみ状が、この地上にあるだろうか。いや、たぶんない。第一、自分はともかく、祖父はとっくに死んでいる。『身の安全』など祈られても仕方がない。
一番の『不審な人物』はこの差出人だろうし、『見慣れぬ現象』とはこのメールそのものではないか。それでいて、そういうのに出会ったら連絡してほしいと書かれている。
「あんたが一番怪しいよ」と送るべきか、迷う。
これは不謹慎で変に手の込んだイタズラか?
それともオカルト詐欺か?
あるいは本当の本当に危険なナンパの類か? これは自意識過剰?
差出人の「三叉寺 鈴音」とは何者か? 女の名前? しかし、『重要なお話』ということは、あの「ドレッドロックスの男」なのか? 差出人の欄はメールアドレスだけで、手掛かりが無い。
とにかく不審すぎる。身の安全を考えるなら、待ち合わせなど無視すべきではないか。
しかし――――本当に、待っていたら?
相手の目的はどうあれ、待ち人を放置するのも気が引ける一華であった。「六門公園」はコンビニへの道すがら通るし。
ただ、怖い。待ち合わせに出向くのはかなり、怖い。何をされるか分からない。一華は腕っぷしに自信が無いので、夜の公園で掴みかかられでもしたら、勝ち目はない。
とはいえ、『おじいさまにとって重大なお話』というのも気になる。事実なら、孫の一華が申し出を無視して、他に誰が話を聞くのだろうか? 何か大変な事態が起きていたらどうしよう?
恐怖と、亡き祖父への想い。
板挟みになった一華が導き出した、妥協案とは――――
(とりあえず、チラっとだけ様子見て、コンビニに行く!)
そう、様子だけ見て、相手の姿だけ確認して、そのまま素通り。相手があんまり困ってそうなら、状況を見て、声はかける。身元は明かさない。
つまりは、安全策をとる!
【2】
この惑星に住む、「垂流人」の話は聞いたことがある。
実家に出入りしていた仲介屋が、酒の肴に話した、ちょっとした与太話だ。観測の安定しない恒星系と、辺境の原住民、電波――――そして富を築いた行商人の物語。
現地時間、20時12分。
間車市内、住宅街の片隅の「六門公園」にて。
周辺で最も背が高い建物は、14階建ての集合住宅。明かりが灯る部屋は半分ほど――今、一つ消えた。
雑木林を背にしたベンチに、一人の男が座っている。
この男、髪型はケーブルのように振り乱したドレッドロックスで、顔立ちは彫りが浅く、目が細い。この土地では恐らく「アジア系」と認識されるだろう。
痩せた体を包む服装は、ややサイズの大きい黒い着物、白袴、そして右肩掛けの五条袈裟。
いわゆる、法衣である。
喪主の女性との接触から、48時間以上が経過した。
男は内心焦っている。3日前の戦闘その他のせいで、「仕事」の計画に遅れが生じているのだ。
撃退には成功し、式場には到達できた。だが、こちらもタダでは済まなかった。小破した〈商売道具〉の修復と、周辺の安全確認に、ずいぶん時間を取られてしまった。安全確認と言っても、潜伏中の奴らを探し出す方法は無いので、せいぜいが見回りだが。
葬儀場もこちらの予想を超えていた。人目が多かった。更に、受付での『宗教的弔問、禁止』の説明。あの場で下手にことを起こすわけにはいかなかったのだ。だから、偵察と記録に留めたのだ。
――――できる限り早く、彼女と話をつけなければならないというのに。
夜風が吹き、男は立ち上がる。 人工皮膚越しに冷たさは感じない。この公園にまだ人影は現れない。
待ち人は現れない。
公園内に垂流人――一般住民の姿も見えない。
鬼女の使いは、襲ってこない。
――――怖い。
男は恐怖している。顔には一切出さない(構造上出せないというべきか)。
これまで場数は踏んだ。辺境惑星に足を踏み入れたのは、一度や二度ではない。そういう仕事だ。危険を冒し、足で稼がなければ、たちまち食い詰める。
鬼女の使いの猛攻にも、耐えた。辺境に湧く、あの軍勢のことだ。誰が「ヴァルハラ」とやらに行くものか。
野蛮な敵対者への侮蔑と反抗心、それは変わらない。向こうが仕掛けてくるのなら、啖呵をきり、迎え撃つ。
だが、「如来の真言」すら通じない者たちが再び現れた時、自分は果たして生きて戻れるだろうか?
どれだけ危険に晒されようと、生物である以上、本能的な恐怖は消せない。消せないなら、ひたすら精進し、恐怖に耐えるだけしかない。
(この辺境で、父ならどう行動した?)
男は思わず、懐に手を入れる。真空パックされた依頼状に触れる。
単なる与太話に過ぎないと思っていた「垂流人と行商人の物語」。物語に登場する行商人と公園のベンチに座る男では、扱う商売道具も危険性も異なる。しかし今、それは心の中でリアリティを伴い、確かに重みを増していく。
自分は、その舞台に足を踏み入れたのだから。
ここで廃業するわけにはいかない。
その時、背後の雑木林で音がした。
男は素早く、懐の中を探り、〈数珠〉に手をかけた。
(奴らか?)
男はたじろぐ。
林内の茂みから姿を現したのは、四足獣である。
外見上の体の構造は、恐らく左右対称。全身が短い体毛に覆われている。
身体の後方(推定)では、縄のようにしなる尾が揺れている。
突起のある小さな頭部には、光を放つ器官が二つ。「目」か?
体長は――この星の単位でおよそ40cm(目測)。
あれは――「ネコ」だ!
男は安堵する。危険な生物ではない。こちらを観察しているが、手を出さなければ襲われないだろう。
――――そういえば。返信が来てはいないだろうか?
男は、今度は懐からスマホを取り出す。
そこで、重大なことに気が付いた。
【3】
チラッとだけ。
そう、チラッとだけ。
問題の公園を覗こうと決意した一華。
しかし、いざ「公園」の入り口に差し掛かると、なかなか踏ん切りがつかない。
姿勢を低くし、生垣から門へ。門の端から顔を出し、チラッと見る。
これで、バレないだろうか?
公園をのぞく時、公園もまたこちらをのぞいているのだ。
向こうから近寄ってきて話しかけられたら? もう話すか、全力で逃げるしかない。式場で会った「ドレッドロックスの男」なら、一華の顔を覚えているはずだ。遠くからこちらの姿を見つけて、積極的に接触してくるかもしれない。
これはいくらなんでも怯えすぎか? メールの文面は丁寧だし、変な警告でこちらの身を案じている。話すだけ話せば、素直に帰してもらえるだろうか? ただ、万が一があったら困るし…………
塩垣一華は、小心者である。
人の顔色をうかがい、和を乱さぬことを第一にして、生きてきた。少しでも相手の機嫌を損ねたらどうしようかと、常に怯えている。仲のいい友人と話すときも、“地雷”を踏んで嫌われてしまうのではないかと、内心怯えている。
この地域の治安が良いのは重々心得ている。暴漢などの出没は、報告されていない。が、実は夜一人で出歩くのも、まだ少し怖い。
祖父と引っ越すマンションは、オートロックを第一条件にして選んだ。そうしたら今度は、鍵を忘れて締め出されやしないかと、怯える日々が始まった。
塩垣一華は、小心者である。
そして、一介の女子大生である。すなわち、小市民だ。
たとえ祖父への想いが本物であろうと、恐怖に打ち克てるほど強い戦乙女ではないのだ。
(おじいちゃんなら、どうするだろう?)
一華は祖父のことを思い出す。
その時である。
「失礼?」
突然、野太い声で呼び止められた。
一華はびくり、と大きく震え、恐る恐る振り返る。
「ドレッドロックスの男」が、一華の近くに立っていた。
――――見つかった。
「は、はい……?」
一華は震えを抑えて返事に務める。
間違いない。葬式で会った男だ。ドレッドロックスの髪型、細い目、日本人のような顔立ち――――やはり、この男はどこか異様だ。いや、今回は殊更に異様だ。
数珠どころじゃない。ドレッドロックスに――――法衣を着ている!
ちらと見やると、足元には光沢。
ブーツだ。
頭はドレッドロックスで、足元は革のブーツ。体は法衣。8:2ぐらいの和洋折衷ファッション。これはやはり……異常事態だ!
ここは、「パリ・オートクチュール・コレクション」の会場でもないし、今は5月で、ハロウィンの時期ではない。ファッション的異常事態だ!
一華は混乱している。様子を見るどころか、相手に先手を打たれたのだ。「小心者の安全策」は頓挫し、彼方に消え去った。
ドレッドロックスの男は、一華をじっと見ている。巌のような顔は、蒼白で、無表情だ。
この男の目的は何か。
突然葬式に現れ、
不穏な警告を送り付け、
夜の公園に呼びつけ、
暗がりで呼び止め、
そして今、法衣姿で、一華の目の前にいる。
一華の恐怖と混乱は、最高潮に達しようとしていた。
返事をしたまま固まった喉は、悲鳴も上げられない。
(何を、考えている?)
ドレッドロックスの男は、一歩踏み出す。
(何を、しようとしている?)
男は、重々しく口を開く。
(私に、何を、望んでいる――――)
一華は身構える――――
「『コンビニ』は、どこに?」
「……はい?」
流暢な日本語で、男は続ける。
「驚かせてしまったのなら、申し訳ない。『コンビニ』への道筋は?」
「あー、あそこの橋を渡って、歩道を右に曲がって、しばらく歩くと、郵便局が見えるので、左に曲がると、見えます」
思わぬ相手の言葉に、一華は冷静に、しかし的確に道案内した。
「感謝する。急いでいるので、これで」
そう言うと男は、コンビニの方向へ走り去っていった。
【4】
一体何だったのか?
そもそも、一華に『重要な話』があるのではなかったか?
一華だと気付かなかったのか?
(もしかして、待ち合わせは……あの人じゃないの?)
なんだか気の抜けた一華は、あっさりと公園に歩み入る。
公園内に、人の姿はない。もぬけの空である。
広々とした敷地はは雑木林に隣接し、芝生は照明に照らされている。外れには、滑り台やジャングルジムといった遊具。そして砂場。
雑木林を背にするように、ベンチ。
(バカバカしい。メールはやっぱりイタズラだったんじゃないか)
一華はベンチに腰掛ける。冷たい。
自分は何を怯えていたのか。
あのドレッドロックスの男は、あそこで危害やらなにやらを加える腹積もりは毛頭無かったのだ。
単に、慣れない土地でコンビニを探し、困っていただけだ。公園内にトイレはあるが自販機はないので、買い物だろう。自分が小心者だと知っていた一華も、これほど空回りしてしまっては、なんだか鼻白む思いだ。
再会して早々、詐欺師だのナンパだの不審者だのと疑ってしまって、あの男に申し訳なくなってきた。
背後でガサガサと音がする。少し驚く。
(野良猫かな?)
もう変に怖がることは無い。
ただ、ドレッドロックスの男が話があると言っていたのも確か。そう、葬式の時に。
改めて、会う機会があるだろうか? もしかしたらメールの差出人はやっぱりあの男で、ここで待っていたのでは? コンビニでの用事を済ませて戻ってくるかもしれない。
あんまり長いこといると、鉢合わせる。
彼には、悪いが、もう少ししたら自宅の方へ引き返そう。ちょっと遠くなるが、遠回りして別のコンビニに行こう。やっぱりここで話すのは怖い。一華は決めた。
まあ、とにかく――――
「あーあ。変に用心して、損したな」
「おや。用心して、損はなかろうよ?」
人気のない公園で、突然聞こえた女の声。
一華は辺りを見回し、声の主を探す。
誰もいない。
これは……と思い当たり、恐る恐る、振り向く。
暗い雑木林。暗い木々の間。
夜風に揺れる枝葉の隙間に、「鬼」が、見えた。
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