【0】
間車の喧騒も届かぬ隣町。
高級住宅街のある家、その玄関にて。
「お父さま――どうか外出を、考え直して!」
娘が、父親を引き留める。
彼女は、もうほとんど幼児退行している。
「あなた……どうかご無事で」
妻も、夫を引き留める。
娘に似て情深い妻は、両目を潤ませて父親を見送る。
「そんな大げさな……ちょっと、急ぎの仕事が入っただけだからさ」
父親は、夫は、巻き毛の髪をくしゃくしゃと掻きながら妻子を宥める。
「……ほんとう? お父さま、葵に、ウソつかない?」
ほとんど幼児退行した娘は食い下がり、部屋着姿のまま、革靴を履き終えた父親にすがりつく。
父親は「大丈夫だから」と口にして、優しく娘の肩に手を置くのだが、その胸中はひりついていた。
なにせ、『仕事』と告げたのは、ほとんど嘘なのだから。
「なるべく早く帰ってきて頂戴。」
「大丈夫、大丈夫。渋滞に引っかかったりしなきゃ、2時間ぐらいで帰れるから。ちょっと職場でトラブルがあっただけなんだ」
「そう……? でも、薫も、『今夜は外泊する』とメールしてきたから……」
今夜は長男もいないので、妻と娘の不安には拍車がかかる。
「そんなに不安がらないで……あ、そうだ。今度の日曜あたり、またみんなで観劇に行こう。ほら、帰りにパンケーキとか食べてさ」
「お父さま…………必ず葵の所に生きて帰って」
父親を慕うあまり、娘はまるで戦場に向かうかのように別れを惜しんでくる。
この家では毎度のことだが、胸を締め付ける罪悪感は確かに増していく。
「わかった、わかったから。じゃあ、行ってくるよ」
妻子を尻目に、一家の父親はガレージへ向かう。
一家の自家用車に大急ぎで乗り込むと、あたふたとキーを差し込み、歯ぎしりしながらハイブリッドエンジンの微振動に揺られる。
センター長に任命され、仕事が忙しくなった去年あたりから、娘はずっと、父親の不倫を疑っていた。妻もそれに煽られ、日に日に焦燥感を募らせている。
もちろんそんな疑いは事実無根だ。
が――――今夜に限っては「浮気をしていない」とは言い切れないのが、胸をしめつける。
父親は迷いを振り切るように、ペダルを踏みこむ。
そして自家用車で飛び出したこの父親――甘崎太一郎。
(すまない……葵、時子……)
彼は、公務員である以前から、夫である以前から、そして父親である以前から、ずっと自負していたアイデンティティがあった。
その病的とも言える情熱の炎は、時に職業選択において、時に旧友との関係において、ある意味では妻子への愛情をも凌ぐ影響力を持っていた。
(『隣町で、巨大幽霊が暴れている!』なんて聞いて……自宅の書斎に籠っていられるか!)
この男――甘崎太一郎は――――――“オカルティスト”であった。
【1】
“巨大幽霊事件”は、更なる展開を見せた。
5月12日午後8時30分ごろ。
夜の街で繰り広げられた、巨人同士の猛烈な、しかし無害な戦い。
建物は原型を保ち、自動車は構わず走行し、街灯は一本も折れていない。
間車市の市街地に現れた巨影は、3つ。いずれも、目測で全長十数メートルの大きさ。
槍を持ったケンタウロスのような〈人馬〉。
錫杖を持った坊主のような〈僧兵〉。
そして――――途中で乱入した、〈大鬼〉。
この〈大鬼〉は、太い腕、筋張った脚をしており、肩幅の広い偉丈夫が、甲冑を纏ったような姿をしている。鉢金様の装甲に守られた眉間には、二本の角が並んでいる。
〈大鬼〉の右肩には、直径1メートル弱の薄い〈鍋のような物体〉が装着され、そこには小さな“機械の小鬼”が立つ。
風にはためく装束は布ではなくプラスチックのような質感で、人工物のような首筋からはケーブルが伸び、一見すると年若い少女のような装いと声をした、“鬼”である。
「――手はず通りに、だ。ぶっつけ本番だが試してみるぞ、八郎丸よ」
≪応。親方≫
肩に立つ機械の子鬼が檄を飛ばすと、「八郎丸」と呼ばれた〈大鬼〉が、轟くような声を発して返事をした。
そして〈大鬼〉は背中の両手剣――長方形の鉄塊――金棒を引き抜くと、二車線の道に大股で踏み込み、走り出した。
「……手負いの“坊主”からやるぞ! 八郎丸ッ!」
大小二体の鬼を迎え撃つ〈僧兵〉は、既に深手を負っていた。右腕は既に前腕半ばを蹴り裂かれ、得物の錫杖は左手一本で構えている。機械の小鬼に名指しされ、一層殺気立っている様子だ。
金棒を腰だめに構え、手負いの〈僧兵〉へと車道を突撃する〈大鬼〉。
相変わらず路面には傷一つつかないが、重々しいその歩みは、一歩ごとに激震の音を響かせている。
機械の小鬼は、〈大鬼〉の肩――〈鍋〉の紐に掴まっている。月明かりの逆光に、髪の長い少女の輪郭が浮かぶ。肩に掴まったまま、機械の小鬼は、ちらりと後方に目配せした。
「しかし、そこな馬面よ。お前も油断ならんからなぁ?」
≪親方。目標Aに霊験反応を感知≫
「お前の相手は後だ。馬面」
≪目標A、砲撃体勢≫
「首を洗って待っておれ」
目配せされた「馬面」――〈人馬〉。
警戒を解かぬこの巨影もまた、内部に操縦者を擁していた――――
【2】
「あれは……〈大鬼〉?」
目の前の“乱入者”をモニターに捉え、思わず口に出したのは、自らの故郷で言い伝えられる、“巨人”の呼び名。
〈人馬〉の操縦席に跨り、手綱――操縦桿を握るのは、金髪の乙女。レディース・スーツには土埃が付着し、切りそろえた前髪の合間からは汗が滴る。
彼女は、これまでのいきさつを一つ一つ思い返す。
――まず、夜のコンビニで喪主と接触を試み、待機。
――しかしそこに、“警戒対象”が出現。
――これを尾行したが気付かれ、警告。
――警告に対し、“警戒対象”は「再度の襲撃」などと不可解なことを口走った。
(この地域には……わたししか、いないはずなのに)
――やがて“警戒対象”は、降伏勧告の甲斐なく、数珠(武器)を抜いた。
――“警戒対象”を“敵対者”と認定。こちらも“スコップ”で応戦。
――両者、ついには〈心霊兵器〉を呼び出し、市街戦に突入。
――こちらの〈心霊兵器〉は敵の“経文弾”や掌底で傷を負わされるものの、付属肢……後ろ足のカッターによる奇襲を実行。敵の右腕ユニットを損壊させた。
(急所は外したけど……優勢に持ち込めた。でも、そこに……)
――戦闘中に突然、市街地から〈大鬼〉が立ち上がり、乱入。
――肩に立つ謎の人物は、「警告」を発し、「武装解除」を要求してきた。
――しかし、誰も従わない。
――決裂。〈大鬼〉は〈僧兵〉に襲い掛かった。
(あれは、何? 〈心霊兵器〉はこの「星」に存在しないと報告を受けていたのに……)
〈僧兵〉は間違いなく、敵の〈心霊兵器〉――――〈宗教行為支援装置〉だ。放つ攻撃が〈人馬〉に通じているのだから。しかし、新手の〈大鬼〉は何か? この星の“心霊テクノロジー”は未発達で、“霊的環境は原始的”だと聞いている。それゆえ、市街地での戦闘でも文明社会に大きな被害は出ない。
(あの変な髪形の男と同じ、異星人? 彼とは同族? それとも他の種族? ……それともまさか…………あの肩に乗ってるのは、原住民!?)
――――ありえない!
金髪の乙女は警戒と観察を続け、乱入者の正体を探る。〈人馬〉の操縦席モニターに映るのは、外界の光景。窓明かりが点々と灯る市街地の風景。まばらに街灯の並んだ夜道には、戦闘に怯える原住民――市民の姿。
鉄塊のような武器――“金棒”を抜き、道路を進撃した〈大鬼〉は、もう一体の敵、〈僧兵〉と接触した。
錫杖の片手打ちでは〈大鬼〉が放つ金棒の打ち込みを止められないと察したか、〈僧兵〉は“経文弾”――――光弾状の〈対心霊武装〉を上段に発射する。二条の閃光、鬼へと殺到。
「八郎丸、腰を落とせ!」
機械の小鬼の指示に従い、〈大鬼〉は屈んで敵弾を回避する。
「よし。脳天に、打て!」
『応《ラジャ》』
答えた〈大鬼〉は、そのまま金棒を振りかぶり、縦に打ち込む。
衝撃。
しかし〈僧兵〉は“足さばき”を駆使し、軸をずらした。破壊された右腕を金棒がかすめたが、直撃は回避した。〈僧兵〉は、半身のまま片手で錫杖を突き出す。狙うは、〈大鬼〉の頸部。振り抜いた隙に差し込む。
槍を構えたままこれを静観する、〈人馬〉。
(はっ。しまった。こちらも――――「警告」しなければ!)
戦いを見ていた金髪乙女は、乱入者に向けて警告――降伏勧告を試みる。
まず、〈霊感通信〉を準備。
≪――――聞こえますか。乱入者の〈大鬼〉!≫
……応答、一切なし。では、外部スピーカー……大気振動で伝えるしかない。
外の様子を見る。
突きから金棒で防御した〈大鬼〉は、既に反撃に移っている。
その背に向け、金髪乙女は音声による警告を送る。
「――――聞こえますか! 乱入者の〈大鬼〉!」
『……とろーる?』
振り向いたのは〈大鬼〉ではない。そちらは前方の敵に集中している。
後方の声に振り向いたのはその肩に立つ――小鬼。年端もいかぬ、角付きの少女。その大声が、大気振動センサーによって拾われ、操縦席に響く。歌姫のような澄んだ声。
『用向きは? 馬面。降参する気になったか?』
「…………乱入者。言葉は通じますね?」
『通じるぞ。……下段突きが来る、八郎丸!』
〈僧兵〉の錫杖突きを、〈大鬼〉が一蹴する。
「武器を納め、退去する気は?」
『論外。……坊主が火を噴くぞ、八郎丸!』
〈僧兵〉が放つ至近距離射撃を、〈大鬼〉は左肩の鎧で受け止める。
「さきほど貴女はおっしゃったはずです。『これ以上の騒ぎは本意ではない』と」
『そうだ。気が変わったのなら、得物を捨てよ。……土手っ腹に蹴りだ、八郎丸!』
〈僧兵〉の隙を見て、〈大鬼〉は前蹴りを見舞う。
「……敵がもう一体。武装解除はできません」
金髪乙女は、警告し続けた。
〈大鬼〉に乗る機械の子鬼も、戦闘指示の片手間に応えた。
しかし、もはや話し合う余地などなかった。
再び、決裂。
「ならば、今夜はとことん付き合え。人様の土地で暴れたことの、報いを受けよ。…………馬面!」
「そうですか! では――――貴女も、埋めます。…………巨人よ!」
乱入者との交戦を決意し、金髪乙女は〈人馬〉を駆る。
【3】
宣戦布告に伴い、三つ巴の戦いが始まった。
金髪の乙女の操る〈人馬〉。
三叉寺涼音の操る〈僧兵〉。
そして小鬼の指示をうけた〈大鬼〉。
この三者が、街中で激突する。
まず〈人馬〉、高く跳躍。〈大鬼〉背後の路上に着地。そのまま突撃。槍を前方へ突き出す。損傷は受けているが、〈僧兵〉よりは軽い。脚部は無事で、未だ敏捷性を維持している。
〈大鬼〉を挟んで反対側、〈僧兵〉にも動きがあった。蹴りの衝撃から回復した〈僧兵〉は再び後方へと距離をとり、経文弾の発射準備にかかっている。
「――馬面が後ろから来るぞ! 坊主はおれが見ておく!」
≪八郎丸、了解≫
肩に乗る小鬼から警告を受けた〈大鬼〉――「八郎丸」。返事をするや否や、重々しい体さばきで動き出す。右腕に持つ金棒は、〈人馬〉の方へ向ける。
(これは――挟み撃ち!)
金髪乙女は勝利の糸口を掴んだ。
彼女の〈人馬〉は、直進の途中で手ごろな雑居ビルを蹴って方向転換。二車線道路を空中で横切り、対岸でまた方向転換。稲妻が空に走るような軌道で〈大鬼〉に迫る。迫りつつ、射撃。槍の先からは「光線」が放たれる。
更に、装填の終わった〈僧兵〉が、射撃の構えをとった。足を開いて錫杖を路面に突き立てると、「五条の閃光」――多重・経文弾が放たれた。その軌道は放物線を描き、敵へと殺到する。
路上で挟まれた〈大鬼〉。
右手側には〈人馬〉の撃った「光線」。
左手側には〈僧兵〉の放った「五条の閃光」。
金棒を向けているのは――――迫りくる〈人馬〉の方向。
しかし、肩から小鬼の指示が飛ぶ。
「今だ――――坊主の方へ走れッ!」
号令を受けた〈大鬼〉は姿勢を低くし、金棒をひきずるようにして、人馬とは反対――――〈僧兵〉の方へと向かった。その足取りは、機敏。
(一度武器を向けたのは……欺瞞!)
〈人馬〉が槍から放った光線は、一直線に走る〈大鬼〉の太ももをかすり、路面に落ちる。光が弾ける。
金髪乙女は視界に〈大鬼〉の後ろ姿を収める。そして、もう一度槍で照準……しかし、〈大鬼〉は進路を変えない。
(……あの動き。もしかして背後は見えていない?)
〈大鬼〉は〈僧兵〉へ一直線。肩に乗っている小鬼も、そちらの方を見ている。〈大鬼〉の背後にも視界があるような様子は、ない。どちらかかが背後の射線を察知することも、
金髪乙女は、勝利を手繰り寄せようと、〈人馬〉で追撃を開始する。
一方、〈僧兵〉。放った「五条の閃光」のうち、3本は市街地に着弾。向かってくる鬼には―――2本命中。一つは金棒に防がれたが、最後の一本は「右肩」を抉る。
しかし、数瞬前までそこにいたはずの小鬼の姿は、ない。
射撃にひるまず、高速で突っ込んでくる〈大鬼〉。
傷を負ってはいるが、まだ撃破には満たない。
小鬼の姿は見えない。肩にあった〈鍋のような物体〉も、消失。
〈僧兵〉はまだ後ろに下がることもできたが、あえて踏み止まる。経文弾を再装填していては間に合わない、と判断したのか。
同時に、左腕で弓引くように錫杖を振りかぶる。体幹のひねりを駆使し、片手打ちの非力さを補う腹積もりである。
ついに〈僧侶〉の元へとたどり着いた〈大鬼〉。後ろ手に引きずっていた金棒を持ち上げると、〈僧侶〉の頭部を狙って一直線に「突き」を繰り出した。突進の勢いが乗りに乗った一撃である。
狙われた〈僧兵〉。体ごと傾け、すんでのところで頭部への直撃を回避。左手の錫杖をひきしぼり、無防備な〈大鬼〉へ反撃を見舞おうとする。
しかし、背後――――かわしたはずの金棒の先端から、声が。
「こっちだッ!」
金棒の先端には〈鍋のような物体〉と――――そこに掴まる小鬼の姿。
〈大鬼〉が、突き出した金棒を引き戻す。
金棒ともども戻ってきた小鬼はすれ違いざまに――――僧兵の後頭部を蹴飛ばした。
小鬼の思わぬ攻撃に〈僧兵〉は動揺し、よろめき、準備していた反撃を中断。
蹴りを繰り出した小鬼と〈鍋のような物体〉は、金棒や鬼の丸太のような腕をするする伝い、再び〈大鬼〉の肩へと戻っていく。
(心霊兵器に――――生身で、蹴り!?)
そこに、追いついた〈人馬〉。
(まさか、あの女の子の方も――霊体?)
金髪乙女は動揺するものの、追撃の手は緩めない。
「来たぞッ」
≪応!≫
小鬼の指示に、〈大鬼〉が反応する。
〈人馬〉が〈大鬼〉の背中に向けて繰り出すのは、槍技の嵐。
突き、突き、突き、払い、突き、突き、払い――――――
抉れた槍の穂先が、空中に残像の帯を引き、〈大鬼〉に襲い掛かる。
乙女が手綱を握るのは、逞しい暴れ馬。臆病で愛らしい仔馬などではない。
「――――――右! 下! 上! また上! 次は横薙ぎ――」
背後を見ていた小鬼は、〈人馬〉の〈大鬼〉に指示する。構えを見ながら。
〈大鬼〉は、身をひねり、足を下げ、首を傾け、金棒で受け止める。
だが、横薙ぎに続いて放たれた、振り向きざまの“後ろ蹴り”――馬の後ろ足を用いた一撃――は、直撃。両後ろ足が、鬼の胴体を蹴り上げる。
「“指示”が遅れた。すまぬ、八郎丸っ!」
体勢を崩す〈大鬼〉。肩にしがみついて謝罪する小鬼。
――――――「指示」。
金髪乙女は強く手綱、もとい操縦桿を引き、猛る〈人馬〉を御する。
そして、必殺の一撃に
勝利はもう目前まで手繰り寄せた。あとは、機会を待つ。そして、前進。
“コンバット・ハイ”の中、半ば無意識に「作戦」が組みあがっていく。
背後の〈僧兵〉が立ち直り、挟撃を目論んだようだ。体勢を崩した〈大鬼〉に、錫杖で突きを繰り出す。さきほど試みていたものより威力はないが、体勢を崩した〈大鬼〉には危険である。
〈大鬼〉は、今度は近距離で挟み撃ちにされる。
「――――来たぞ、八郎丸!」
肩の小鬼の指示。
蹴りでたじろいでいた〈大鬼〉は、突きを振り向きざまに打ち払う。そのまま〈僧兵〉に正対し、すかさず反撃に移った。
同時に、背後の〈人馬〉には、無防備な背中を晒す。
肩の小鬼も、〈僧兵〉の方を見ている。
(これを――待っていました)
金髪乙女は、ほくそ笑んだ。狭い操縦席の中で。
彼女の〈人馬〉は、槍を構える。
四本足で路面に根を張り、踏ん張る。
〈大鬼〉は前方の敵に集中している。
〈大鬼〉の向こうの〈僧兵〉は、一度阻止されたぐらいで攻撃の手を緩めない。
小鬼は〈僧兵〉方を向き、指示しない。
(格闘距離での、挟み撃ち)
〈人馬〉は、槍を構える。
アスファルトを踏みしめた前脚が、きしむ。
〈大鬼〉は前方の敵に集中している。
〈大鬼〉の向こうの〈僧兵〉は、二段目を繰り出そうと構えている。
小鬼は〈僧兵〉の方を向き、指示しない。
(背後の見えない巨人)
〈人馬〉は、槍を構える。
四本足のばねを効かせ、大きく踏み込む。
小鬼は〈僧兵〉の方を向き、指示しない。
(前方に集中する巨人が頼れるのは――――仲間の指示!)
金髪乙女は、好機を掴んだ。
――――思えば。
――――小鬼はずっと、口頭で〈大鬼〉に指示していた。
――――〈大鬼〉……「八郎丸」の背後に気を配りながら。
〈人馬〉は、そのまま一気に踏み込んだ。
そして、渾身の突きを、放つ。
(このまま――――)
小鬼はようやく〈人馬〉の方を振り向いた。
そして、奇襲の突きを目の当たりにする。
しかし…………何も指示しない。
(――――刺せる!)
ほとんど体当たりのような、全身全霊のひと突き。
突き立てば、ひとたまりもない。
巨大な切っ先が向かうのは――――無防備な〈大鬼〉の、背中!
(まずはこの〈大鬼〉を倒して――次にあの僧侶にトドメをさす)
〈大鬼〉は、回避するとき、必ず「口頭で指示を受けていた」。
そう、身体にしがみついている小鬼から。
恐らく、そうして死角をカバーしているのだろう。実際、突進中に背後から狙っても、一切気付く様子が無かった。金髪乙女はそこに気付いた。いや、気付いてしまった。乱入者に宣戦布告した緊張と、興奮の中で。
そしていつの間にか、ほとんど無意識に、「指示がなければ〈大鬼〉は動かない」と錯覚していた。
彼女の〈人馬〉が捨て身同然の突きを放った時、小鬼は、何も言わなかった。
金髪乙女は錯覚していた。
このひと突きはかわせまい、と。
隙だらけの突きを放とうと、安全だ、と。
そう、ほとんど無意識に。
「――――成功だな? 八郎丸」
≪是。親方≫
しかし、何の指示も受けず、〈僧兵〉の攻撃をいなすのに夢中で背後も見えていなかった〈大鬼〉は――――――しかし動いた。
見えないはずの〈人馬〉による、背後の奇襲を察知して。
(…………「成功」?)
金髪乙女はその言葉を、会話を確かに聞いた。
大気振動センサー越しに。
そして、気付く。
(――――――まさか! しまっ――――)
鬼の策に気付いたときは、もう遅かった。
もう、踏み込みすぎていた。
打ち込んだ槍は、今更――――引けない!
「馬面よ。“後ろ蹴り”は……見事だった。
挟み撃ちで、“小細工”も通じなかったら、勝てるか分からなんだ」
〈大鬼〉も小鬼も、自分自身の背後は見えない。これは「本当」。
しかし――――
小鬼が〈大鬼〉に、口頭でしか指示を飛ばせないのは、「嘘」。
口頭では警告されていないはずの、背後からの、不意打ち。
……しかし、〈大鬼〉は〈別の手段〉で情報を受け取っていた。
〈人馬〉の渾身の突きを、〈大鬼〉はひらりとかわした。
その脇を、槍の切っ先が浅く切り裂いて通り過ぎる。
行き場を失った穂先は直進し――――そのまま〈大鬼〉の背後にいた〈僧兵〉の胴体に突き刺さった。
「こちらの“小細工”が通じて、命拾いしたな八郎丸よ。無茶をさせた……いや、ほんに」
≪損傷、許容範囲内≫
「しかし、“霊体兵器”とやらに我らの力が通用すると知れたのは、僥倖」
≪親方、トドメを≫
渾身の突きが思わぬところに刺さり、隙だらけの〈人馬〉。
槍で深々と貫かれ、もう戦うことはできない〈僧兵〉。
対する〈大鬼〉の肩では、小鬼が笑う。
この小鬼は、借り物の身体に仕込まれた〈無線〉で相棒と会話できる。
警告や指示をいちいち口に出す必要など、ない。
【4】
間車市、六門公園周辺。喧騒に包まれる夜の住宅街の路上。
市民のある者は逃走し、ある者は家にこもり、ある者は野外で見守り続けることを選んだ。この“巨大幽霊事件”を。
彼ら彼女らの素性はまちまちだ。
鎖間院の若い僧侶、物好きな女性、帰宅途中のサラリーマン。
近所の老人、親の静止をふりきった8歳児、そしてコンビニ店員。
「怨霊が増えた! やはり“世も末”だ!」
「いいやこれは、“あの国”の陰謀だ! エイリアン由来の秘密兵器だ!」
「違う、自衛隊だ! 〈馬みたいなの〉は、日本語で警告していた!」
「土地神だ! 間車の土地神様が、“天女”を伴って降臨なされた!」
「あれは、『マスキュラ』だ! 『マスキュラ』だ!」
「これは、悪夢だ! そうに違いない!」
狂騒する市民。街で暴れる〈巨大ロボットのような幽霊〉について、人々は口々に憶測を述べる。しかし、誰一人としてこの戦いに割って入る能力はなかった。
彼ら彼女らは、「観衆」である。
その観衆から離れ、鬼と待ち合わせる六門公園に向かっていた、塩垣一華。
彼女は「三つ巴の戦場」から遠ざかりつつ、ときどき立ち止まっては背後の戦いの様子を窺っていた。恐怖や混乱の山はとうに過ぎ、今や理不尽な現実の理解に務めていた。
戦いの結末は呆気なかった。
槍を抜こうとした〈人馬〉は、〈大鬼〉に金棒で殴り飛ばされた。腹を横薙ぎに一撃。これは痛い。もう立ち上がれない。
腹部を槍に刺し貫かれた〈僧兵〉は、〈大鬼〉に鉄拳を食らう。裏拳を顔面に一発、ノックダウン。
(あの鬼、やっちゃった……)
公園で出会った機械の鬼と、彼女が〈鍋〉から呼び出し、突如乱入した〈大鬼〉。
彼らは大鬼小鬼の連携で、対する2体の巨人を手玉に取った。何度か反撃を受けて傷を負いつつも、最後には巧みに攻撃を誘導し、勝った。
(でも……)
終わりを見届け、夜道を急ぐ一華。
行先の六門公園は、戦闘の現場からやや離れている。騒ぎの現場を見に行く人々は、皆反対方向へ向かい、すれ違う。街灯の明かりは頼りなく、照らす足元は薄暗い。
一華は、来た道の方を振り返る。青白い火の手も、もう上がらない。夜の間車市街は、いつの間にやら本来の静けさを取り戻していた。
(あの鬼、これからどうするつもりなんだろう……)
ようやく約束の六門公園にたどり着いた。
門に入り、雑木林を背にしたベンチに腰掛ける。
街灯の照らす園内に、人気はない。聞こえてくるのは、雑木の枝葉がなびく音だけ。
――――鬼との対話。
――――祖父の殺人歴。
――――謎の“巨大幽霊”。
今夜起きたことを頭の中で整理する一華。
結論は出ず、いたずらに時間だけが過ぎていく。
ベンチに座ってしばらく待ち続け、いい加減帰ろうかと思った頃。
「おーい。あの幽霊の『中身』を連れてきたぞ」
例の機械の鬼が公園に帰ってきた。
“二人の人影”を引っぱって。
「抵抗されて、遅くなった。……ほれ、喪主だぞ」
鬼は、街頭の明かりの下に同行者を引き出す。
一華は、まじまじとその姿を見た。
そして、彼らのくれた「香典」のことを思い出した。
【5】
宇宙のあるところに、「ワルキューレ」がいました。
彼女はがんばりやさんで、とても素直。素直すぎるほどに。
騎兵学校を出たばかりで、まだまだ経験が足りません。
そんな彼女が、ついに“初仕事”を任されました。
『“ある英雄”の魂を、とってこい』、と。
【6】
宇宙のあるところに、「葬儀屋さん」がいました。
彼は貧乏で、ちょっとドジだけど、とても真面目。
星々を渡り、多くの種族にお経を上げてきました。
そんな彼のところにある日、“依頼”が舞い込みました。
『“ある英雄”が、葬儀屋として君をご指名だ』、と。
【7】
地獄のあるところに、「鬼」がいました。
彼女は、強くて、物知りで、気さく。でも少々ガサツです。
地獄の鬼たちは、揉め事が起きると、みんなこの鬼を頼りました。
そんな彼女はある日、仲間の鬼から聞きました。
『閻魔帳に、“とんでもない亡者”のことが書かれている』、と。
【8】
地球のあるところに、女の子がいました。
彼女は臆病で、“おじいちゃん”のことが大好き。
しかしある日、そのおじいちゃんが死んでしまいました。
女の子は泣きました。
でも、泣いてばかりもいられません。
彼女は、喪主なのです。
「奇怪な弔問客」にも、対応しなければなりません。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!