【1】
「……は?」
「だから、『帰れ』ってのは気が早いぞ」
「いや、だって……」
機械の身体を持つサイボーグ鬼――泰良は確かに言った。
「『お引き取り下さい』というのは、ちょっと待て」、と。
しかし一華も言った。「祖父の魂は誰にも渡さない」、と。
もう戦わせないし、如来真言宗のお経も結構――――喪主・塩垣一華は、確かにそう主張した。
もし遺族の声を尊重するなら、この3人の弔問客たちは、大人しく帰るべきではないのか。そうでなくとも、この“地獄の鬼”とやらが、ワルキューレと宇宙葬儀屋を引き留める道理はないのだ。
しかしこの鬼・泰良は、あろうことか新たなる波乱を巻き起こそうとしている……!
「一華も、そこの二人も、よぉく聞け! …………一華のじいさん、塩垣桃太の魂は――――狙われている!」
泰良の美声によって発せられる、驚愕の事実。
その衝撃は、八畳の和室を、骨壺を、その前に集った4人を、震わせた。
「あの、それは今に始まったことじゃ――――」
「人の子・一華よ。これは、星圏革命軍のワルキューレだの、宇宙葬儀屋だののことではない!」
大音声で告げる泰良。
一華に続き、推測を口にするのは、イザベル。
「じゃあ、他にも敵対勢力が、イチカ殿の周辺に? 三叉寺……さんを襲った人物でしょうか?」
「それもあるが……恐らくは別。他にもいる。……ワルキューレ・ゴンドゥルよ」
「気やすくその名で呼ばないでッ!」
抗議するイザベルを掌で制する泰良。
その隙に三叉寺も、言葉を発する。
「貴女は知っているのか? その、新たな敵勢力を」
「うむ。疑うなよ、変な髪形の男?」
「名前を覚えたらどうだ、泰良」
「ど忘れした。もう一回言って?」
「うぅ……鬼よ。俺は、三叉寺涼音だ」
無表情のまま呆れた様子の、三叉寺。
再び緊張が高まるかとおもえば、どこか気の緩んできた塩垣家。
鬼のマイペースさには、異種族ではついていけない。
「一華よ、骨壺を守れ。これは言い辛いが……墓を建てるのも後だ。今すぐにでも、じいさんの遺骨を隠した方がいい」
「祖父の遺骨を―――隠す? なんで!?」
「もたもたしてると、奪われるぞ。遺骨とは、亡者を探し出す最大のよすがぞ!」
奇怪な横やりが入ったとはいえ、一華の中で、祖父を弔う段取りは整っていた。葬儀は終わり、遺産の整理に取り掛かり、次は墓標……というところで「墓は後回しにしろ」、ときたのだ。
これは寝耳に水である。言葉のあやではない。睡眠不足の一華は、現に寝ぼけ眼なのだ。
混乱は極まり、疑問は自然と口をついて出る。
「だから、誰がおじいちゃんを探すんですか?」
「狙っとるのは、過激派の鬼どもだ!」
――――「過激派の鬼ども」。
泰良はそう告げるとこほんと咳払いし、混迷してきた場を収めた。
気ままにに場を乱し、そして収める。
ほんとうに、マイペース。
それが鬼か。
「過激派の……鬼?」
「あるいは、極右、保守派ともいう」
「は、はあ?」
「『最近の地獄は生ぬるい』と考えている連中だ。議論を待たず、勝手に生者の世界に踏み入り、片っ端から亡者をしょっぴこうとする、不届きな奴らよ……!」
静かに、しかし怒りに任せて過激派を糾弾する泰良。
話を聞くに、地獄も近代化して久しいらしい。
「――――『亡者の権利を認めるから、地獄が衰退した』『地上の生者どもが“人権”なぞ広めるから、悪党が減った』だのとだのと、『相対的剥奪感』を訴え、そこかしこで幅を利かせておる」
「た、大変ですね」
「他人事ではないぞ、一華よ」
「はい?」
「お前のじいさんは――――奴らの第一目標だ!」
「ええっ!?」
「そんな!」
「なんと!」
衝撃の発言に、イザベルと三叉寺までがおののく。
地獄の鬼の"近代的怪談”は、まだ続く。
「過激派の鬼どもも、既にこの地に飛んできたことだろう。史上稀にみる『大量殺人者』を力づくでも奪い去る、と心に決め、あの〈八郎丸〉のような“鬼造の大鬼”を伴ってな…………」
「大量……殺人者……」
一華はまた息を呑む。
喉が痛くなるほど呑み込もうとしても、物々しい祖父の罪科はだけは、喉を通らない。
「おれは、穏健派の鬼たちから役目とこの絡繰りの身体を託された。処遇が決まるまで、塩垣桃太の魂を、奴らから守らねばならぬ。そこで、だ」
泰良は、イザベルと三叉寺を直視した。
今度はしたり顔ではない。真剣な面持ちである。
「ここは一つ、“共同戦線”を張らないか? そこな二人」
鬼は人差し指を立て、提案を告げた。
「我々3人が、共に、この遺骨を守るのだ」
【2】
「――――あなたがたの、地獄の内乱に、手を貸せと!?」
「そうではない。お前らの利益にもなる!」
「そんな巨人的な!」
最初に口火を切ったのはイザベル。相も変わらず気が短い。いや、ここは素直というべきか。
「巨人的」という言い回しの意味合いは、相変わらず一華には分からない。
「一華のじいさんを連れていかれては、困るだろう? 恐らく、お前たちの求める“魂”と、地獄に向かう“亡者”は、同一のもの」
「くっ……それはたぶん、そうですが」
「過激派鬼に先を越されては、『ヴァルハラ』とやらには連れて行けなくなる。連中は、この世が終わるその時まで、塩垣桃太に責め苦を与える気だ」
「責め苦」という単語に反応したか、三叉寺も黙ってはいない。
彼は、即席であっても僧侶の端くれなのだから。
「だが、貴女も同じではないか? 死霊を連れ去り、量刑を与えると言った」
「お前も手伝うんだ、変な頭」
「三叉寺だ」
一向に名前で呼ばれず、調子を狂わされた三叉寺をよそに、鬼はあくまで冷静に説く。
「だから、まだ議論の最中だ。量刑も、放免するか否かも。この未曽有の亡者をどう扱うか、まだ結論は出ていない」
「では……」
「過激派鬼は、それすら待たん輩だ。暴挙を許すのは、地獄の沽券に関わる」
「沽券だと?」
三叉寺は、にわかに目を見開いた。
「そうだ。汝も矜持ある葬儀屋であり、僧侶なら、故人の安息に手を貸してくれ! 顧客を地獄に送られたら――――謝礼も受け取れんだろう?」
「よもや、地獄道の鬼に、そんなことを説かれるとは……」
(宇宙仏教にも鬼、いるんだ……)と本題から意識を逸らす一華。この急展開にはついていけない。まだ眠いし。
一方泰良は、とうとう頭を下げだした。
「〈八郎丸〉は傷を負い、完治までに襲われたら、連中を追い払えるか怪しい。三叉寺を襲った謎の人物もいる…………図々しいのは承知だが、頼む! この通りである! 力を貸してくれ!」
助けを請われた残りイザベルと三叉寺の回答は――――――
「私の一存では、無理です! 現地の紛争に武力介入するなんて……しかも、一度は敵対したのに」
「論外だ……俺の〈機動仏壇〉も、まだ自己修復が済んでいない。貴女たちにやられたのだ」
「おお、昨晩は、悪かった! ちょ、一寸やりすぎた! あれは、実力を確かめようと思ってだな…………謝る、この通りだ!」
鬼の頼みを、ワルキューレと宇宙葬儀屋は、あくまでも突っぱねる。
一華は、どうすべきか判断がつかない。
土下座する“女の子鬼”は少々可哀そうだが、助けに入るには……眠い。
繰り返すが、塩垣一華はラップ現象で睡眠不足なのだ。霊のささやきや奇怪な物音に安眠を妨げられ、これ以上理路整然と話す体力は残っていない。
「無理です」
「論外だ」
「頼む!!」
何度かの押し問答の末、鬼はようやく、頭を上げた。
「…………そうか已むを得んな。では、交渉はこれまでか――――なあ、一華よ」
「えっ、はい?」
「この二人はともかく、おれは――――この地獄の外交鬼・泰良は、お前のじいさんを守る。これからも、変わらずな」
「え、ええ……」
昨晩の戦闘と祖父の顔を思い出し、迷う一華。
祖父をお願いしますと言うべきか、冗談じゃないというべきか。
「おれに任せろ。赦しを請うなら、伝えておこう」
泰良の借りた美しい体は、美声を放つ。
……しかし、続く彼女の言葉は、底冷えのするものだった。
「そして、閻魔に誓って勝手は許さん。――――そこの二人もな? 抜け駆けしたら、おれがまた、出陣する」
泰良に睨まれ、また睨み返すイザベルと三叉寺。
壁に背を預けた〈鍋〉――――〈大鬼〉の器。
すくみ上がる一華。
明朝の塩垣家には、今一度緊張が走った。
「とにかく、共同戦線は不可能です」
イザベルは、首を振った。
「わたしはもう行きます。…………イチカ殿、どうか考え直してください。ヴァルハラなら、ひとまず安全です。脅威が迫っているのは、事実のようですから。何かあったら、お渡しした電話番号に、ご連絡を…………」
「……あ、はい。お気をつけて…………」
一華に一礼すると、ワルキューレ――――イザベルは玄関から出て行った。
スーツに不釣り合いな編み上げブーツを履いて。
「俺も、協力はできん。地獄の鬼など……」
三叉寺も、首を傾げた。
「そろそろ隠れ家に戻る。…………一華さん、ご用心を。俺は一層、“再葬儀”の必要性を痛感した。如来様の御許であれば、鬼の魔の手は迫らない。襲われたら、あのメールに、迷わず返信願う」
「……え、ええ。道、分かりますか…………?」
一華に合掌すると、宇宙葬儀屋――――三叉寺涼音は出て行った。
法衣におよそ不似合いな革のブーツを履いて。
一華と泰良の二人きりになり、再び静まり返る塩垣家の和室。
朝日の差し込む居間から、声はしない。
冷めた粗茶に手を付ける者は、もういなくなった。
【3】
「さて、と」
和室で立ち上がった泰良はすたすたと大股で居間に向かった。腰まで届く薄紅の髪がなびく。
台所付近までやってくると、彼女は重々しい〈鍋〉を持ち上げ、背負った。
「どっこらしょっと! 行くぞ、八郎丸」
≪応≫
(鍋が喋った!?)と今更驚く一華。
〈鍋〉を担いで玄関へ向かう泰良に、一声かける。
「あ、あの」
「一華よ、おれは見回りに行く」
「今から、ですか?」
「哨戒だ、哨戒。もう過激派の鬼が、来とるかもしれん。留守番を頼む」
「哨戒って…………その格好で?」
「え、何か変か?」
泰良は“ロボットのような見た目”をしている。
額の角ソケットや、回路基板のような模様を刻んだ蒼白の肌…………
しげしげと見られれば、人間でないと気取られかねない。
おまけに、この鬼、美形である。
見た目には、“十代の美少女”にも見える。
身を包む着物とも言えない装束や、強気な表情の美顔、頭頂から毛先までグラデーションの入った髪などは、とても目を引く。
このまま巨大な鍋を背負って出ていくのは、とても正気の沙汰ではない。
「その、変装とか」
「……それもそうだな。外明るくなってきたし」
(一体なんであんな身体借りたんだ……)とぼやきながら、クローゼットを開いた一華。
嗅ぎなれた古着の匂いの中から、祖父の使っていたヨット・パーカーを持ち出す。
「これ、どうぞ」
「守ると言った手前、かたじけないな……では、行ってくる。留守番がてら、ゆっくり休むといい」
ちょっとサイズの大きい祖父の遺品を着込んだ地獄の鬼――――泰良。
彼女は一華に軽く手を振ると、草履のようなものを履いて出て行った。
巨大な鍋を運び出すのに、難儀しながら。
再び訪れる、静寂。
嵐の後の静けさ。
襲い来るのは、睡魔の波。
塩垣一華は、一人自宅に残された。
2LDKマンションの一室には、もう誰もいない。
ワルキューレも、宇宙葬儀屋も、鬼も――――そして、祖父も。
乳白色のカーテンからは、朝焼けの光が漏れている。一華は、両手でカーテンを開いた。
ガラス戸の向こうでは、ビルの合間から朝日が出迎えた。暁光は、傷一つない間車市街を鮮やかにふち取り、塩垣家の居間に注ぎ込む
(写真……飾ろうかな)
振り返る。日の光が差し込む部屋。
戸棚の上には、電源の切れたデジタル・フォトフレーム。
スイッチを入れ、記録されている“アルバム”を、一枚一枚めくっていく。
『新生児を抱く夫婦』
『公園で笑う、両親と娘』
『はにかんた老人と、孫娘』
『小学校の門前に立つ、老人と孫』
『大学のキャンパスに立つ、老人と孫』
『一面に移った、老人の笑顔』
まだまだ『想い出の写真』は続く。
巨大な幽霊や、奇怪な弔問客など、どこにも写ってはいない。
できれば、全部夢だったと思いたい。しかし、静かになるとまたしても「ゴソゴソ」「クスクス」とラップ現象が聞こえてくる。
(ほんと、なにしてくれてんの…………おじいちゃん)
徐々に高くなってきた朝日が反射し、デジタルフォトフレームの画面が、白く輝く。
一人きりになった部屋の空気は、まだほんのりと温かい。
(分かりません、じゃ済まないよね…………さっきの話)
祖父と1年過ごした部屋には、もう一人だけ。
祖父の遺体は今や灰と骨になり、想い出はデータの中に残された。
しかし、葬式と供養は――――まだ終わっていない。
一華は、卓の前で立ち上がった。
そしてもう一度、ガラス戸の外を眺める。
――――全部本当かどうかは、まだ分からない。
詳しいことはまた今度話すと、あの鬼は言っていた。他の2人も、まだこの辺りに逗留するつもりだろう。ならば、もっと話して、聞き出そう。
祖父と、祖父を狙う者の――――情報を。
寝不足の頭は混乱していたが、今、一つの結論にたどり着いた。
未知の恐怖に立ち向かう方法は、「決意」の他にもう一つある。
それは、「理解」だ。
――――そう、分からない。自分で、確かめるまでは。
間車市には、今日も変わらぬ朝が来た。
昨夜の騒動が、まるで嘘のように。
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