葬式戦線ハンニャ・サガ

おじいちゃん、なにしてくれてんの
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第0話 独白・祖父について

公開日時: 2020年10月3日(土) 18:18
文字数:3,056


【1】


 2つの巨大な影が、夜の市街地を蹂躙している。


 片方の影は荒馬のように大地を駆け、もう片方の影は“仏像”を象るように佇む。

 私は、呆然とそれを見上げた。


 巨大な馬上槍《ランス》の一撃は風を切り、巨大な錫杖からは鈴の音が響き渡り、放たれた光線が火の手を上げる。

 街灯に照らされた通りは、いまや狂騒と悲鳴に満たされている。見知った町は既に戦場へと姿を変え、そこに住まう市民は無力な被害者となったのだ。


 市井の人々にできることと言えば、嵐が過ぎ去るのを待つことのみ。まるで、祖父の好きだった映画やアニメの一場面みたいだ。

 おびえ逃げまどう人、見届けようと踏み止まる人――――そして、祈る人。

 もし祖父がこの場にいたなら、どうしていただろう? 私と一緒に、生活圏の平穏無事を祈ってくれていただろうか? 今となっては、そう信じていいかも分からない。


 また一条、また一条と、光線が頭上を通り過ぎる。流れ弾の落ちた市街には、青白い火の手が上がった。

 平和な“ケの日”を取り戻さんとする祈りもむなしく、“巨人たち”は争いを止めない。 

 2つの巨影はビルやマンションの間を跳ね回り、走り回り、互いを打ち倒さんと技の限りを尽くしている。時に正面切って、時に隠れて不意をつき、敵意の応酬が繰り返される。刺突が肩をかすめ、光弾が脇腹を焦がし、巨体を包む装甲に傷が増えていく。

 現実離れした戦いは激しさを増し、足元の市民たちは平静を失っていく――――


「これは、お前のじいさんにも関わることだ。よぉく見ておけ」


 傍らの影は私に背を向けたまま、そう告げた。

 背負った荷物を降ろし、スマホ片手にいそいそと作業を始めた、この人――――人?

 ともかく、この影は何か事情を知っているような口ぶりだった。


 目の前の異常事態がなぜ起きたのか、この超常現象がどこからもたらされたのか。「祖父に関わりがある」と言われても、今の私には知識もないし、推論も追いつかない。むしろ、理解することを拒んでいるふしすらある。

 ゆえに今はただ、直感だけが告げている。

 全ての発端は、6日前だと。


 巨人が激突するたび、青い火花が散る。巨大な足が踏み込むたび、激震が走る。惑う市民たちをよそに、戦いは続く。私の空想を飛び越えるようなスケールの何かに、突き動かされるように。



 ――――そう、発端はきっと、6日前。

 ――――5月6日。



 忘れもしない。

 あの日の朝、私は祖父を亡くした。



【2】


 塩垣桃太《しおがきとうた》、享年87歳。搬送先での検分によると、死因は脳卒中だそうだ。

 今年に入ってから持病の高血圧が悪化したらしく、かかりつけの内科医に怒られた、とぼやいていたのを思い出す。


 あの朝、私が異変に気付いた時点で、既に手遅れだったのだろう。

 頭をよく撫でてくれた、節くれだった手に脈は無い。

 傷のある頬は、布団の上でとっく熱を失っていた。

『探査船のニュース』に輝いていたあの目も、もう二度とは開かない。


 当人が素直に酒を断っていれば――あるいは孫の私がもっと気を回していれば、もっと食生活に気を遣えていれば――後悔は尽きない。

 親交のあった近所のご婦人が、「おじいちゃん、百十歳まで生きそうね」なんて笑っていたのを思い出す。あの人にも訃報を届けなけなければいけないのだな、と考えると、どこか気が重い。


 平均寿命と同じぐらいは長く生きたし、尊厳死を認められるほどの大病もしなかった。本人は冷凍も機械による延命も望んではいなかった。

十分大往生と呼べるだろう。私はそう思うことにした。

 深呼吸して少し落ち着いたところで、当座の問題に意識を向ける。


 ――――葬儀の準備をしなければ。喪主は私だ。


 他に家族はいない。我が家は2人家族だったのだ。

 祖父が両親の葬儀に現れてから、14年間、ずっと。


 私を引き取った時点で、祖父は定年を迎えていた。 

 実際に食うに困ったことはないし、物をねだって「お金が無いから」と断られたことはない。それでも、子育てで出費がかさんでは、生活が立ち行かなくなるのでは……と、子供心に不安や負い目を感じることは多々あった。

 高3の春ごろ、いっそ高校出たら働こうか、なんて冗談半分で言ったところ、猛反対された。


(金の心配はいらないから、安心して行きたい所を受けろ)

(おれは若いころ、英語も分からないまま国を飛び出して、ひどく苦労した)

(受けられるだけの教育を受けろ)


 普段は温厚な祖父が熱弁するのを聞いて、それ以上言葉が出てこなかった。

 その後、私は国立大学に進学し、無事2年生に進級した――その矢先に祖父が死んだ。


 これからはもう、誰にも頼ることはできない。


 訃報の出し方はどうしたらいい?

 勝手にスマホの連絡帳見ていいかな?

 書類ってダウンロードできる? 

 役所にはいつまでに届ける?

 葬儀は業者に頼むんだよね?

 香典ってどうやって扱えばいいのだろう?

 あと、財産の処分は――――


 多忙な日々が待ち受けていては、おちおち涙も流せないな、と苦笑したところで、私は大事なことを思い出した。


(おれが死ぬまで、開けるなよ)


 祖父はそう言って、私に封筒を手渡していた。2か月前のことだ。

 あの時は、「春先に団子食みながら、縁起でもないことを……」と一笑に付したが、今にして思えば、祖父は死期を悟っていたのだろう。

(もしかしたら、来年あたりにぽっくり……)なんて言い出して、いたずらっぽく笑う祖父。「来年の話をすると、鬼が笑う」という言葉を私が知ったのは、祖父の教えではなかったか。


 正式な遺書は、生前に弁護士に預けなければいけないと聞く。孫に直接手渡すのは、法的に少々大雑把な措置だ。

 しかし、我が家に限っては、そもそも私を引き取る親戚すら他に名乗り出なかったのだ。相続関係のトラブルなど今更起こらない、と祖父も踏んだのだろう。


 居間を出た私は、自室の扉を開ける。

 脱ぎ散らかしたカーディガンを踏み越え、窓際の勉強机、上から二番目の引き出しに手をかけた。

 

 あった。


 まだ新しい純白の封筒。

 もっと先延ばしにできただろうな――後退する気持ちを抑え、封を破る。中に入っていたのは一枚の便箋《びんせん》だ。本文は十数行ほどで、文末には直筆の署名がしたためられ、押印されている。

 署名の「太」の字を見ると、ああ確かにあの人の字だ、と思う。「太」の「、」を打つとき、あの人は必ず「大」の左払いに引っかける癖があるんだ。

 署名から本文に目を移し、文頭から順に読み進める。


『私が生涯で築いた財産の一切を、孫娘の塩垣一華《しおがきいちか》に譲る』


 まず、遺産相続について書かれているのは、それ以上でも以下でもない。家族は私一人だけなのだから、当然と言えば当然だ。

 だが、こうして直筆の遺書と――畏まった文面と向き合うと――こみ上げてくるものがある。


 『生涯で築いた』? 『一切を、孫娘に譲る』? 

 こんな言い回し、生前の口からは絶対出てこないだろうに!第一、孫相手には「私」じゃなくていつも「おれ」だったじゃんか!


 泣く暇もない、なんて強がった矢先、視界がにじみ始めた。


 ――――おじいちゃん……


 目頭から沸き上がる、温かな感触。やがて目尻からこぼれて、両頬から顎まで、伝っていく。


 祖父はもう戻らない。

 私はまだ、何も返せていないのに、この人は自分の全てを遺して去ってしまったのだと、思い知った。

 できることは、せめて、精一杯のお別れを――――


 その時は、確かにそう思った。

 が、遺書の次の一文に、私は涙をぬぐって目を丸くした。




『私を弔うにあたり、いかなる宗教的儀式も、行ってはならない』



 ――――葬儀の準備をしなければ。喪主は私だ。







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