【1】
2つの巨大な影が、夜の市街地を蹂躙している。
片方の影は荒馬のように大地を駆け、もう片方の影は“仏像”を象るように佇む。
私は、呆然とそれを見上げた。
巨大な馬上槍《ランス》の一撃は風を切り、巨大な錫杖からは鈴の音が響き渡り、放たれた光線が火の手を上げる。
街灯に照らされた通りは、いまや狂騒と悲鳴に満たされている。見知った町は既に戦場へと姿を変え、そこに住まう市民は無力な被害者となったのだ。
市井の人々にできることと言えば、嵐が過ぎ去るのを待つことのみ。まるで、祖父の好きだった映画やアニメの一場面みたいだ。
おびえ逃げまどう人、見届けようと踏み止まる人――――そして、祈る人。
もし祖父がこの場にいたなら、どうしていただろう? 私と一緒に、生活圏の平穏無事を祈ってくれていただろうか? 今となっては、そう信じていいかも分からない。
また一条、また一条と、光線が頭上を通り過ぎる。流れ弾の落ちた市街には、青白い火の手が上がった。
平和な“ケの日”を取り戻さんとする祈りもむなしく、“巨人たち”は争いを止めない。
2つの巨影はビルやマンションの間を跳ね回り、走り回り、互いを打ち倒さんと技の限りを尽くしている。時に正面切って、時に隠れて不意をつき、敵意の応酬が繰り返される。刺突が肩をかすめ、光弾が脇腹を焦がし、巨体を包む装甲に傷が増えていく。
現実離れした戦いは激しさを増し、足元の市民たちは平静を失っていく――――
「これは、お前のじいさんにも関わることだ。よぉく見ておけ」
傍らの影は私に背を向けたまま、そう告げた。
背負った荷物を降ろし、スマホ片手にいそいそと作業を始めた、この人――――人?
ともかく、この影は何か事情を知っているような口ぶりだった。
目の前の異常事態がなぜ起きたのか、この超常現象がどこからもたらされたのか。「祖父に関わりがある」と言われても、今の私には知識もないし、推論も追いつかない。むしろ、理解することを拒んでいるふしすらある。
ゆえに今はただ、直感だけが告げている。
全ての発端は、6日前だと。
巨人が激突するたび、青い火花が散る。巨大な足が踏み込むたび、激震が走る。惑う市民たちをよそに、戦いは続く。私の空想を飛び越えるようなスケールの何かに、突き動かされるように。
――――そう、発端はきっと、6日前。
――――5月6日。
忘れもしない。
あの日の朝、私は祖父を亡くした。
【2】
塩垣桃太《しおがきとうた》、享年87歳。搬送先での検分によると、死因は脳卒中だそうだ。
今年に入ってから持病の高血圧が悪化したらしく、かかりつけの内科医に怒られた、とぼやいていたのを思い出す。
あの朝、私が異変に気付いた時点で、既に手遅れだったのだろう。
頭をよく撫でてくれた、節くれだった手に脈は無い。
傷のある頬は、布団の上でとっく熱を失っていた。
『探査船のニュース』に輝いていたあの目も、もう二度とは開かない。
当人が素直に酒を断っていれば――あるいは孫の私がもっと気を回していれば、もっと食生活に気を遣えていれば――後悔は尽きない。
親交のあった近所のご婦人が、「おじいちゃん、百十歳まで生きそうね」なんて笑っていたのを思い出す。あの人にも訃報を届けなけなければいけないのだな、と考えると、どこか気が重い。
平均寿命と同じぐらいは長く生きたし、尊厳死を認められるほどの大病もしなかった。本人は冷凍も機械による延命も望んではいなかった。
十分大往生と呼べるだろう。私はそう思うことにした。
深呼吸して少し落ち着いたところで、当座の問題に意識を向ける。
――――葬儀の準備をしなければ。喪主は私だ。
他に家族はいない。我が家は2人家族だったのだ。
祖父が両親の葬儀に現れてから、14年間、ずっと。
私を引き取った時点で、祖父は定年を迎えていた。
実際に食うに困ったことはないし、物をねだって「お金が無いから」と断られたことはない。それでも、子育てで出費がかさんでは、生活が立ち行かなくなるのでは……と、子供心に不安や負い目を感じることは多々あった。
高3の春ごろ、いっそ高校出たら働こうか、なんて冗談半分で言ったところ、猛反対された。
(金の心配はいらないから、安心して行きたい所を受けろ)
(おれは若いころ、英語も分からないまま国を飛び出して、ひどく苦労した)
(受けられるだけの教育を受けろ)
普段は温厚な祖父が熱弁するのを聞いて、それ以上言葉が出てこなかった。
その後、私は国立大学に進学し、無事2年生に進級した――その矢先に祖父が死んだ。
これからはもう、誰にも頼ることはできない。
訃報の出し方はどうしたらいい?
勝手にスマホの連絡帳見ていいかな?
書類ってダウンロードできる?
役所にはいつまでに届ける?
葬儀は業者に頼むんだよね?
香典ってどうやって扱えばいいのだろう?
あと、財産の処分は――――
多忙な日々が待ち受けていては、おちおち涙も流せないな、と苦笑したところで、私は大事なことを思い出した。
(おれが死ぬまで、開けるなよ)
祖父はそう言って、私に封筒を手渡していた。2か月前のことだ。
あの時は、「春先に団子食みながら、縁起でもないことを……」と一笑に付したが、今にして思えば、祖父は死期を悟っていたのだろう。
(もしかしたら、来年あたりにぽっくり……)なんて言い出して、いたずらっぽく笑う祖父。「来年の話をすると、鬼が笑う」という言葉を私が知ったのは、祖父の教えではなかったか。
正式な遺書は、生前に弁護士に預けなければいけないと聞く。孫に直接手渡すのは、法的に少々大雑把な措置だ。
しかし、我が家に限っては、そもそも私を引き取る親戚すら他に名乗り出なかったのだ。相続関係のトラブルなど今更起こらない、と祖父も踏んだのだろう。
居間を出た私は、自室の扉を開ける。
脱ぎ散らかしたカーディガンを踏み越え、窓際の勉強机、上から二番目の引き出しに手をかけた。
あった。
まだ新しい純白の封筒。
もっと先延ばしにできただろうな――後退する気持ちを抑え、封を破る。中に入っていたのは一枚の便箋《びんせん》だ。本文は十数行ほどで、文末には直筆の署名がしたためられ、押印されている。
署名の「太」の字を見ると、ああ確かにあの人の字だ、と思う。「太」の「、」を打つとき、あの人は必ず「大」の左払いに引っかける癖があるんだ。
署名から本文に目を移し、文頭から順に読み進める。
『私が生涯で築いた財産の一切を、孫娘の塩垣一華《しおがきいちか》に譲る』
まず、遺産相続について書かれているのは、それ以上でも以下でもない。家族は私一人だけなのだから、当然と言えば当然だ。
だが、こうして直筆の遺書と――畏まった文面と向き合うと――こみ上げてくるものがある。
『生涯で築いた』? 『一切を、孫娘に譲る』?
こんな言い回し、生前の口からは絶対出てこないだろうに!第一、孫相手には「私」じゃなくていつも「おれ」だったじゃんか!
泣く暇もない、なんて強がった矢先、視界がにじみ始めた。
――――おじいちゃん……
目頭から沸き上がる、温かな感触。やがて目尻からこぼれて、両頬から顎まで、伝っていく。
祖父はもう戻らない。
私はまだ、何も返せていないのに、この人は自分の全てを遺して去ってしまったのだと、思い知った。
できることは、せめて、精一杯のお別れを――――
その時は、確かにそう思った。
が、遺書の次の一文に、私は涙をぬぐって目を丸くした。
『私を弔うにあたり、いかなる宗教的儀式も、行ってはならない』
――――葬儀の準備をしなければ。喪主は私だ。
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