【0】
前話終盤にて、喪主・塩垣一華の元に現れた金髪の女性。
女性は何を思って葬儀式場に現れ、参列し、流暢な日本語で挨拶を口にしたのか。
そして、棺の前で如何なるやりとりを交わすのか。
今回は時を少々遡り、彼女本人の視点から語ることとしよう。
【1】
時は少々巻き戻り、午前11時32分。
『塩垣桃太様 葬儀式場』との看板が出された、自治体の施設。
(とうとう、来てしまった……)
式場のロビーで、金髪の女性が立ち止まる。
年の頃は若く、一見すると少女にも見える。小柄な体を包むのは、黒いレディース・スーツ。
背中までかかる羽毛のような金髪は、ロマン主義の絵画の如き、艶を伴っている。
彼女もまた、参列者。
胸を張り、目を閉じる。呼吸を整え、段取りを心の中で何度も確認する。
手に持った香典袋も、しっかりと確認する。
昨夜のごたごたや準備の手間取りがあって、スケジュールに遅れてしまったのでは……とハラハラしたが、葬儀は続いている。「お別れの時間」開始から、さほどの時は経っていないようだ。
まだ、いける。
(きっと、きっとやり遂げて見せましょう)
背筋を伸ばし、香典袋を持った手を胸に当て、何かに決意を捧げるうら若い乙女――――。
参列者の一人――――近所に住むご婦人は、数珠を片手にお手洗いを探していた最中、神々しい金髪の乙女を見染めた。
「……修道女《しゅうどうじょ》様かなにかで?」と、思わずひとりごちるご婦人。
もっとも、この葬式は異様に国際色豊かだ。
周囲には通訳を引き連れたビジネスマン風の黒人、石油王ファッションの巨漢《きょかん》、顔に縫い痕《ぬいあと》のある浅黒い肌の女……などがちらほら見える。
近所のご婦人は、「金髪の彼女も海外の知り合いかなんかだろう」と納得し、努めて深く考えないように心掛けた。そもそもお手洗いを探していたのだから……。
一方、祈りの姿勢を解いた金髪の乙女はというと、不安と恐怖に苛まれていた。
異郷の地に、一人。
決意は捧げたが、怯えや罪悪感まで神任せに手放すことはできないのだ。たとえ大義を背負おうと、この任務は身に余る重責だ。
(これは誰かが、やらねばならないこと)
まず、受付の係員に香典袋を渡す。包装・内容物……問題ない。
袋の文字は見咎められていない。来場者名簿に記帳する名前は本名で通った。情報班に、感謝。
係員から説明を受ける。内容に疑問はあれど、事前の報告通り。「言語」にも問題は無い。
なんだか業者の人は名簿を見てちょっぴり驚いていたような気もするが……立ち止まってはいられない。
尻込みする精神を押さえつけ、呼吸を深くする。わたししか――違う、わたしならやれる! そう自分に言い聞かせるほかない。
既に退路は断たれた。求められているのは、虚勢や自己欺瞞ではない、確かな克己。
戦場は若人の滾るを血潮を求め、「観音開きのドア」の向こうに待ち構えている。これより彼女が歩むのは、いにしえの英雄譚にも語られる、覇道。
罪の意識に後ろ髪を引かれていては、間違いなく“冠婚葬祭マナー”の血の川に、足を取られることだろう……!
傍らに立ち、戦場を共にする愛馬は、決して優しい目をしたユニコーンなどではない。そう、今、決意という名の手綱を握り、恐怖という暴れ馬を乗りこなす時が訪れたのだ!
(参ります!)
勇ましい足取りで、金髪の乙女はホールに入っていった。
彼女はこれから、葬式に出席する!
【2】
おお、これは!
式場という海底にうねるのは、自らの尾を噛むほどに成長し、何重にもその身を折り畳んだ大蛇の如き―――――――参列者の大行列!
それは粛々とさばかれながらも未だ成長を止めず、ホール奥の壇上に続いている。
この神話的混雑を前にして、気押される金髪の乙女。
天命の任務に身を捧げ、香典を渡し、恐怖をも乗りこなした彼女をして――――これは……前途多難を思わせる絶景だ。
しかし、確かに光明は見えた。
棺の置かれた壇上に、映像記録で見た女性の姿が確認できる。彼女が喪主だ。
髪の色が違う? いいや、それも報告にある。
この地の風習に従い、故人を弔うべく、敢えて黒く染め直したのだ!
何という果断!
……ところで、自分の髪も黒くすべきだったか?
長蛇の列に並びながら、金髪の乙女は考える。
「肌着まで黒の現地装束」以外に特別の指示は無く、急いでいたので髪はそのままにしてしまったのだ。しかし本来は、喪主に倣うべきだっただろうか?
(いや、他の参列者には自分と「似た髪色」の者もいる。黒髪は喪主だけの規定のはず。金髪は――――大きな障壁ではない!)
もう何も気にしまいと何度かの決意を固め、喪主の前に堂々と、しかし大きな音を立てないように、歩み出でる。
(一直線に目指すは喪主……「シオガキ・イチカ」様!)
靴を脱ぎ、棺の前へ。
相手に合わせて深々と会釈し、喪主の顔をそっと見上げる。
―――ああ、まだ若い女性だ。
僅かな時間で、金髪の乙女は注意深く観察する。
彼らがどういったライフサイクルを持つかは聞き及んでいる。自分たちとも寿命はそう変わらない種族だ。
なんとなく、の印象だけど、下手をすると彼女は自分より……年下ではないか?
潤み歪んだこげ茶の瞳。
淡い色の口紅で光沢をたたえつつ、震える下唇。
黒い生地に包まれ、固く緊張しきった、華奢な肩。
……これは死者に手向ける哀しみの表情か?
…………否。
…………断じて否!
喪主の女性は金髪の乙女を前にして哀れなほど何かに――――怯えている様子だ! どういうことだ!?
(……まさか、あいつらに先を越された?)
不吉な想像が金髪乙女の脳裏を過ぎる。昨夜のこともある。まさか、自分より先に敵はここに到達してしまったのか。
喪主の彼女は敵対勢力から“脅迫的接触”を受け……連中から利己的な要求を突き付けられているのでは?
最悪の場合、自分の来訪もとっくに――事実をねじ曲げた上で――密告されているのではないか? だとすれば、怯えた表情にも納得がいく。
金髪乙女は憤る。
事実だとしたら、なんと卑劣な妨害者だろう!
家族を喪った者に付け入り、搾取する! このやり口、まさに「巨人的」……!
……いや、結論を下すにはまだ早い。正直、こちらの方も相手方にとっては似たような勢力なのかもしれない。誤解を解くよう心掛けねば。
急いてはならない。確実に前進する。若い女性の喪主に同情しきっていた金髪乙女。彼女は火炎のような義憤を制御し、拳に力を入れ、今奮起する!
(今は、「喪主への挨拶」に集中するんだ……!)
これは極めて重大で、故にこそ困難な任務だ。一歩間違えれば、この後の任務にも間違いなく支障が出る。
再び、深々と一礼。
「はせ参じるのが遅れて申し訳ありません。この度のこと……誠に、誠に、お悔やみ申し上げます……」
喪主が返答する。
「えっ、あ、あの失礼ですが……おじ、祖父とはお知り合いで?」
更に会話続行。身分と目的を明かし、警戒を解く。
「は、はい! 『おじいさまが“アフリカ”にいらした折に』、『父と』知り合いました! わたしは、『病床の父の代理で』おじいさまの弔いに、参りました!」
心苦しいが、これらは嘘だ。情報班から事前に提供された、『それっぽいでっちあげ』に他ならない。
「こ、これは遠いところをご足労くださって、ありがとうございます……どうかお父様に代わって、お花を、手向けさせてください」
喪主の勧めに従い、金髪乙女は棺に花を手向ける。
事前情報では更に複雑な『宗教的』プロセスを伴うはずだが、これは違う。何故か? いや、煩雑な手続きが廃されているのなら、むしろ好都合だ。事故の危険が減る。
棺の中に眠る老人は、白いローブのようなものに身を包む。
溢れんばかりの献花に囲まれて、堂々たる表情をしている。
弔いの儀式を終えた金髪乙女は、生前会ったことも無いこの老人に、不思議と後押しされる思いだった。
これはこの老人――シオガキ・トウタ殿に感謝せねばならない。
次に発するのは決定的な言葉。これが任務を左右すると言ってもいい。
腹に力を籠める。
生唾を飲み込む。
そして深く息をつき、発声!
「トウタさんにお孫さんがいらっしゃると、此度初めて聞き及びました! 辛いときにはお力にならせてください。どうかこれを機に、お見知りおきを!」
そう言い終わると、連絡先を書いた紙を差し出す。
作法に過不足は無かったか?
悪印象は与えなかったか?
巨人的に見えなかったか?
答えをもたらすのは、喪主の次の言葉のみ…………!
「い、いえ……ありがとうござい、ます……」
頭を上げつつ、喪主の顔を見る。
安堵した表情だ。まるで、狼をやり過ごした羊のようだ。恐怖や悪感情は見て取れない。
(この表情……)
まるで、宙に浮きあがるかのような感覚。言うなれば、初めて一人で乗馬に成功した時のような、高揚。
(これはそうか……私の言葉が)
――――――勝った。
(わたしの言葉が、暗雲と呪縛を…………彼女の心から打ち払った!!)
金髪乙女の確信とともに、彼女の中で何かが弾けた。
銀幕めいて白く塗りつぶされた脳裏には、自らの思う、“勝利と前進のイメージ”が展開される。
力強い凱歌のフル・オーケストラ。千切れそうなほどはためく白い旗。党大会会場を埋め尽くす、勇ましいシュプレヒコール。それにも負けぬ大音声で発されるのは――『巫術長の語録…………!
――騎行!
――騎行!
――騎行!
――そして、前進、埋葬!
内面的変革は今、成った!
自らの雷霆的決断と、波涛《はとう》的行軍。嵐の如き前進!
これは、第一歩である。
小さな一歩はやがて大いなる軍団の騎行となり、邪悪なる巨人の眷属と、あらゆる構造的、霊的、社会的、宇宙的、種族的な矛盾を打ち払い――――そして、邪悪なる搾取は、これを打倒する!
驚天動地の冒険の果てに、彼女は敵の喉笛に……食らいついたのだ!!
「ええと、申し訳ありませんが……その、次の方もいらっしゃるので、そろそろ……」
喪主の声。
金髪の乙女は我に返る。いくらなんでも一人で盛り上がり過ぎた……と身の縮む思いで、襟を正す。
喪主は手渡された紙を片手に、頭を下げている。
今回は、十分に務めを果たした。我ながら上出来なファースト・コンタクトと言えよう。
喪主の女性と手短に、しかし丁寧に挨拶を交わすと、軽やかな――しかしなるべくしめやかな――足運びで、式場を後にする。
(“ワルキューレ”の初仕事は、順調な滑り出しだ)
建物の外へと吐き出されていく、喪服の人々。金髪の乙女も、やがてその一団に加わることだろう。
(ああ、でも―――)
一つの戦いをやり遂げた。しかし歩みは止められない。次の戦いが待っている。
だが、次なる戦場は、任務は、更に過酷を極める。
(「おじいさまの魂をください」なんて、どう切り出したらいいの…………)
思案にふける金髪の乙女。
彼女とすれ違うように、痩躯の男が式場にのそのそ入っていたが、両者は互いを気にも留めなかった。
【3】
喉仏とはよく言ったものだ。
一華は、祖父の遺骨を前にしていた。
頭蓋骨の下から拾われた一片の骨。隣の業者の人から 箸渡しされる。じっくり観察するのは気が引けるが、確かに、まるで法衣を広げて座禅を組む僧侶のようだ。
火葬場に運ばれた祖父は、今や灰と骨になった。火葬前にお棺に収めておいた遺品と一緒に。
壁の戸口に向かってお棺が運ばれ、「窯」の中へお棺が滑り込み、扉が閉まる。扉の上には「とこしえ」と書かれたプレートが埋め込まれていた。
骨壺を満たしながら、一華は今日の参列者のことを思い出す。日本語が分からないとか、中々花を選んでくれなかったりとか、何か渡してきたりとか、多少困ったこともあったが……純粋に祖父を悼んでいることは理解できた。
個性豊かな参列者の中でも、特に一華の印象に残ったのが、次に述べる3人である。3人とも、すぐに帰ってしまったようで、出棺前に場内を探しても、見当たらなかった。
1人目。金髪で翡翠色の目をした、女の子。
年頃は十代か? なんでも、彼女の父親が祖父とアフリカで知り合ったとか……若い時に一体どこまで行ってたんだろう、祖父は。今回は代理出席らしい。
妙に動作がきびきびしていて、一華に熱っぽい視線を送ってきたので、正直戸惑った。
通訳を伴っている様子はなかったので、自分のたどたどしい英語が通じなかったらどうしよう……と内心怯えていたら、めちゃくちゃ滑らかな日本語で「お悔やみ申し上げます」と挨拶してきた。
一華は安心のあまり、気が抜けた。尻餅をつくかと思った……なんとか踏み止まったが。混乱のあまり、その後のやり取りで少しどもってしまったかもしれない。
別れ際、「これを機会にお近づきになりたい」みたいなことを言って、電話番号を書いた紙を渡してくれた。綺麗な字だった。
ただ、名前が書いてなかった。
後で係の人の記憶を頼りに、帳簿から探し出さなければならない。準備なしに電話かけるのは勇気がいる。
2人目。痩せ型で……多分アジア系で……髪型はなぜかドレッドロックスの男。
こちらはもしかすると、日本人だったかもしれない。しかし、雰囲気はどうもそれっぽくない。一華本人も、どう説明すればいいか分からないだろう。
細い目の奥の瞳は、よく見ると「青」だったような……。
金髪の女の子と同じように、日本語は堪能で、堅苦しい口調で弔辞を述べていた。身元は聞いてみたのだが、「仕事のつながり」程度にしか話してくれなかった。
ちなみに、手には数珠を持っていた。仏教徒なのだろうか? あるいは日本の習慣に合わせてくれたのだろうか?
後ろにはまだまだ大勢参列者がいらっしゃったので、長い時間は話ができなかった。
あの時点で会場はパンク気味で、見通しが甘かったなと後悔していた気がする。送った訃報の数から推測するに、このぐらいで大丈夫だろうと業者の人とも相談したのだが…………。
「後でお話がある。重要なお話が……」
そう言って去っていったのを覚えている。
深く追及はしなかったが、どうも不自然なところがある。まさか、葬式でナンパに――いくらなんでも自意識過剰か。
最後の3人目。終わりの方に来てくれた。前2人と違い、見かけは至って普通の日本人。巻き毛を整えた、肩幅の広い中肉の男。
この人も大概礼儀正しい方だったように思う。身なりもきちんとしていて、紳士と呼ぶべきか。彼は祖父の古い友人で――遠い親戚だと名乗った。仕事の関係で到着が遅れてしまったという。
「こんなところで名乗り出るなんて、胡散臭いですよね、ごめんなさい」
確かに、親戚が他にいる、なんて聞いたのは初めてだ。まさか遺産目当てで……一華は、ちらと疑った。
だが、そんな疑いは、献花に移った時、確かに晴れた。
花を棺に入れる時、この人は間違いなく泣いてたな――と一華は回想する。
詐欺師の演技とはとても思えない、迫力があったように思う。
あの人が一輪のユリを手放して、手を合わせたところで確かに、グスリ、としゃくり上げる音が聞こえた。
目元を左手でぬぐって、こちらに振り返ったとき――なるべく顔を伏せて、しばらくこちらに泣き顔を見せまいとしていた……気もする。
そしてもう一つ。
この3人目の紳士は、きちんとした名刺を渡してくれた。
「困ったことがあったら、ここに連絡してください」
彼は、そう残して式場を後にした。
記載された姓名は、「甘崎太一郎」。
勤務先は、「国立研究開発法人 先端神経物理学研究開発センター」。
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