【1】
時は深夜2時。
ある地方都市の郊外、路上にて。
「穏やかでないな?」
暗がりから響くのは、低い男の声だ。
繁華街の喧騒は遠く、シャッターに閉ざされた商店街。他に人の気配はない。住民の寝静まる深夜にあって、路上を照らす明かりは点在する街灯のみ。
「聞いてはいたが……出会い頭に得物を抜いてくるとはな。好戦的という情報は、事実だったか」
外套を纏った大きな影が、道路をまっすぐ歩いてくる。
声調は平坦で、動揺や焦りは感じ取れない。語る言葉は彼らの母語ではないはずだが、発話は流暢だ。
いや、自分にとってもこの言葉は母語ではないのだが、なんとなく分かる。
相対する女は、ごくりと生唾を飲み込んだ。
反芻するのは先ほどの言葉、「聞いてはいたが」――この男は、やはり自分たちのことを知っている!
男の所属は? ――想定される敵対勢力は、20を悠に越える!
女は、自らの知識を手繰る。
――――「局部銀河植民地群・統一神性帝国」の遣わした辺境偵察部隊か?
――――「“自立香木・抹香植物”普及推進商工業者組合」の強行植林活動か?
――――まさか、「反唯物論的・統一テラフォーミング理論実証グループ」の思想に侵された、“カルト・エコロジスト”か?
これらは最悪の部類の想定だ。女の知る限りの、おぞましい肩書の数々が頭をもたげる。彼らが相手だとすると、これは厄介なことになる。
――――いや、ひょっとすると無所属の可能性もあるか?
女は、楽観する。
〈カウンター〉の数値は相変わらずの異常値。敵が戦闘の準備をしている。しかし、低すぎる。半径500m以内に他の敵兵が展開している気配はない。もっとも、他に諜報員がいるだろうが……
「警告。それ以上近づけば、執行妨害行為と見做します。
我々には、政令第15条・補遺2項の規定に基づき、実力による妨害者の埋葬が許可されています」
女の方は、冷ややかに言い捨てる。彼女の言葉には、一片の偽りもない。同族は常に、こうして冷徹な執行と前進を繰り返してきたのだ。
この地においても、例外はない。
「ラグナロク」の時は近いのだ。
「ほざけ。異星にお前たちのルールは通じんぞ」
「速やかに、退去を」
「嘆かわしい。こんな辺境にまで亡者を値踏みに来たのか。鬼女の使い」
自分の勢力を指す蔑称――女は、敵の文化・文明圏に見当をつけようとする。
「どの口が言いますか!大義を持たぬ巨人の眷属!」
「何とでも言え。葬儀の邪魔はさせんぞ……」
男は警告に効く耳を持たず、むしろ敵意を露わにする。
女は苦笑した。
当然だ。この男も対抗手段を用意し、恐らくは同じ「目標」に従事していることだろう。今の問答で、察しがついた。
この敵が、脅しで引き下がる道理はない。
仕事を誰に課されたかは知らないが、「目標」が自分たちと共通であれば――必然的にそれを得る「手段」もまた共通している。それは、心霊的な武力の保有を意味する。
〈カウンター〉観測値の不規則な乱れ。周辺地域の環境が乱れるのは、この男の仕業。
女は、教練の内容を思い出す。
片や、袈裟を着込んだ男。
片や、羽衣に兜の女。
「目標」の一致は、利害の一致とは限らない。それを得られるのは、どちらか一人。
それぞれが己の大義、あるいは任務を背負い、敵対者を嘲り、この惑星に降り立ったのだ。
火薬庫のごとき危険を孕んだこの対峙も、宇宙的サーガの一端に過ぎない。
路上で睨み合うこと数秒。
高まり続けた緊張は、ついに臨界に達した。
男は懐から数珠を取り出し、素早く拝んだ。
女は、右手のスコップを握りしめた。
二つの人影が動いたのは、ほぼ同時。
「――――――成仏せよ!」
「――――ヴァルハラへ行け!」
住民の寝静まる丑三つ時。
ただでさえ人口の少ないこの過疎地域において、衆目は限られている。
しかしながら、この決闘の数少ない目撃者たちは、口々にこう語ったという。
『二つの巨大な影が、夜の街に現れた』――と。
【2】
路上での決闘から一夜が明けた、5月9日。午前11時32分。
『塩垣桃太様 葬儀式場』との看板が出された、自治体の施設にて。
「ええと……どうしたら良いのかしら、一華ちゃん……数珠はしまうべき……? 」
「あー、あの、きっと、それぐらいなら大丈夫だと思いますので……どうかお気になさらず」
喪主の挨拶が終わり、故人とのお別れの時間。
参列者の一人、近所のご婦人が早速まごついている。
借りた式場はやや狭く、50人はつめかけた参列者で満杯だ。お棺に続く長蛇の列は、まるで洞穴の中の大蛇である。
(おじいちゃん、この人とはよく散歩中に話してたなぁ。香川旅行のお土産くれたこともあったっけ……)
ご婦人に一礼し、お棺の中をちらと見やる。左前に着付けた純白の死に装束。防腐処理の施された土気色の顔が映える。
傷のある死に顔は相変わらず穏やかだが、たどたどしい応対を咎められている気もする。
「失礼、ミス・イチカ。雇い主が、『十字を切るのは問題ないか?』と仰っています」
「そ、それは……」
金髪碧眼の通訳が、若干違和感のある日本語で一華に話しかける。これは、キッパリ断るべきが迷う。なにせ、向こうに悪気はないのだから。
慣れない喪服に身を包み、塩垣一華はまいっていた。無論、原因は祖父の遺言である。
『私を弔うにあたり、いかなる宗教的儀式も、行ってはならない』
この一文から始まる、祖父・桃太直筆の遺言状の後半(というより相続に関することを除いた大部分)。
『もちろんお坊さんは呼ばないで。牧師さんも神父さんもダメだよ』
『でも一応お葬式は開いてね、できる限り知り合いに連絡して、参列者に無礼がないようにね』
『火葬は法律なので仕方ないが、墓も仏壇も買わず、出来れば散骨して』
『四十九日も法要もしないでいい。供養を気にせず、自分の人生を生きて』
かいつまんでまとめると、おおよそこんなことが書かれていた。
内容はともあれ、大切な祖父の遺言だ。無碍にはしたくない。たとえ世間の反感を買おうとも。しかし――
(いや、言う通りにはしたいんだけども……)
実行するとなるとこれは厄介だ。
まず、葬儀業者に話した時点ではまだ大事無かった。「時々そういう方、いらっしゃいます」ぐらいのリアクションを示された。今どきはそう珍しくもないのだという。
しかし、喪主が参列者の前に立ち、挨拶するところで、暗雲が立ち込めた。
「この度はお集まりいただき、祖父もきっと――」
「祖父は幼い頃から私のことを可愛がって――」
「地域の皆様に愛されるような――」
あたりの内容は神妙に傾聴してくださったが、先述の遺言を説明したところで、違和感が噴出したのは明らかだった。
入場したところで、薄々勘づいている参列者もいたことだろう。花で飾られた葬儀祭壇には、故人の遺影(入学式の時に撮った写真のデータを加工)を飾っているだけで、仏教系の祭壇に見られる「焼香台」や「位牌」は無い。
お焼香の時間は無いし、そもそも戒名を貰ってないので、必要が無い。
当然、十字架も無い。お坊さんの姿も、その他聖職者の姿も一華の側にはない。
挨拶が終わったところで、隣の参列者と顔を見合わせたり、声を殺して何かを相談する参列者が嫌でも目に付く。通訳にささやかれた黒人男性も、驚きを隠せない。
これは気まずい。訃報には一応書いておいたものの、「故人の遺言」という形で改めて説明すると、やはり動揺は避けられない。
動揺をよそに、式は進行する。
読経などはないので、挨拶から出棺までの前に、故人との「お別れの時間」を設けた。ここで判断に迷ったのが、花の事である。
そう、花。いくらなんでもお棺を囲んで話しかけるだけじゃ寂しいのでは……ということで、遺族側で用意した。
なるべくオーソドックスなものを選び、遺影を囲むように飾り付けた。「お別れの時間」、参列者はここから花を摘んで、手ずからお棺に手向けていく。ところで……
おじいちゃん、これは『宗教的儀式』じゃ……ないよね?
ネアンデルタール人が花を一緒に埋葬してた、みたいな話があったよね?
その頃は流石にまだ『宗教』は存在しないよね?
ゾウさんも供えるって話を聞いたけど、流石のゾウさんも『宗教』は信じてないよね?
人がお花を供えるのは『宗教』だからじゃなくて、これがお葬式の普遍的な様式だから、だよね?
より本能に近いところで、宗教を越えて、故人を悼むからだよね?
――つまり、お棺にお花を入れてお別れしても、許して、くれるよね?
考えだすと不安なので一応葬儀業者の人に尋ねてみると、「献花は色々な様式で見られるので、障りないかと……」といったご意見を頂き、一華はひとまず安心した。同時に、困惑させて少し罪悪感を覚える。
次に線香である。
そもそも、祭壇の焼香を廃しているのだ。一貫性を持たせるには、参列者にお持ちいただいた線香も、焚くべきではない。
が、かと言って処分したり、お持ち帰りしていただくのは忍びない。大体、先方は既に用意しているので、「持って来ては迷惑だったか?」と現在進行形で気を遣わせているに違いない。
どう扱ったらいいか。
訃報に線香のことは特記しなかったが、これは失敗だっただろうか……
【3】
他にちょっと辛いのが、参列者にお坊さんがいたことである。
別に読経を頼んだわけではないので、恐らく遺言には抵触しない。これは一重に、心情的な問題である。
自宅から徒歩圏内の近所に「鎖馬院」というお寺があるのだが、そこは一華の祖父の散歩コースの一箇所で、住職や僧侶とも懇意にしていた。
当然、彼らも参列してくれたのだが、これが気まずい。いや、一華も祖父も当該寺院の檀家ではないのだが、読経を頼まないのはなんだか、気まずい。
「此度は誠にお悔やみ申し上げます……」
法衣姿で礼儀正しく、(言葉や作法を選びつつ)祖父を悼んでいる彼らを見ていると、来てもらえて嬉しいと同時に、余計に申し訳ない。
読経も法要も埋葬も頼まない、しかし訃報は出すし葬儀には来てほしい……となると、これは先方に冷や水を浴びせているのでは?
今までの親交はなんだったのか、と思わせてしまうのでは?
自分はまた、参列者に変な気を遣わせているのでは?
……そう思うと、一華は頭が上がらない思いだった。
というか、寺に足しげく通っていたのに、祖父は仏教徒ではなかったのか? 少なくとも宗教嫌いではないはずだ。
14年間寝食を共にしていた一華でさえも、祖父の遺言には驚いている。信仰の告白を聞いたことはないが、かといって他人の信仰や既存宗教を悪く言ったところも見たことはなかったからだ。
むしろ、自分を叱る際に「神様は見ている」「仏様の罰が下る」ぐらいは何度も言ってなかったか。だのに、今際の際になって、祖父はなぜ宗教を拒んだのだろうか――――
普通に仏教式の葬儀を執り行っていれば、せいぜい宗派や地域による作法の違いに戸惑う程度。一華がここまでの気苦労に苛まれることもなかったのだが、それはどうしてもできない相談だったのか。
(人と違うことをするって、大変なんだねおじいちゃん……)
参列者と応対しながら、一華は思う。
苦労はすれど、しかし苦痛ではない。自分で稼いで恩返しするつもりだったのに、それは既に叶わなくなった。ならせめて、遺言の内容ぐらいは果たしたい。参列者に我侭を通そうとも。どれだけ気を揉もうとも。
これもまた、心情的な問題なのだから。
祖父のスマホにあった連絡先には大体知らせているので、参列者は多い。
いや、正直ちょっと多すぎだが。訃報を又聞きした人もやってきたのだろうか?遅れて到着した人も合流して、だんだん混雑してきたような……
若くして海外に渡った祖父が、その半生で何をしていたのか。一華は詳しく知らない。
しかし、祖父が多くの人に慕われていたのは確かだ。
見知った顔、見知らぬ顔。
近所に住む馴染みのご老人もいれば(この人、将棋強いらしい)、ハイソな妙齢の美女もやってきたし(まさか愛人じゃないよね?)、ターバンの男まで現れた(通訳いないけど、日本語か英語で大丈夫かな……)。
そうこうしている内にも、会場は混雑を極めていく。
ホールの中には、優に50人を超える参列者がごった返している。受付の係は次々現れる参列者にてんやわんやだ。幾重にも折り返す黒い喪服の列には、ときおり民族衣装が混ざり、喪主のもとにはネイティブ/非ネイティブを問わず英会話が飛んでくる。
中には英語以外の外国語を話す参列者すら現れ、一華は狼狽する。身振り手振りでどうにかコミュニケーションを試みるが、相手は怪訝な顔をするばかりだ。『宗教的行為禁止』のルールなど、。
溜まりに溜まった心労に押す潰されんばかりの極限状態だが、弔問は留まるところを知らない。また一人、“異邦人”が現れた。
彼女の外見は十代後半ぐらいだろうか?
一見すると人種はヨーロッパ系であり、ふわふわした髪は金色、ぱっちりした瞳は緑色。黒いスーツの喪服を着こなす姿はとても凛々しいが、黒い襟に包まれた肌は柔らかく、幼い印象だ。
――――英語で、大丈夫だよね……?
英語話者なら安心、ということはない。一華の英語力は大学受験を突破できる程度のもので、日常会話をこなすには少々足りないのだ。何度目かの“コミュニ―ケーション不全”の気配に恐怖しつつ、一華はお辞儀する。
金髪の女性もそれに合わせ、深々と頭を下げる。ほつれた金糸が、黒い上着にかかる。
互いに一礼を終え、慎重に顔を上げ、顔を向かい合わせた、緊張の一瞬。
果たして、今度は英語か、ジェスチャーか。身構える一華に向かって、金髪の女性が口を開いた。
「はせ参じるのが遅れて申し訳ありません。この度のこと……誠に、誠に、お悔やみ申し上げます……」
金髪の女性は何故か――流暢な日本語で挨拶した。
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