聖なる彼女に《世界》を贈ろう

—オレの恋を神が邪魔するので、宗教改革することにしました—
葛西伸哉
葛西伸哉

第二章(2)

公開日時: 2020年10月22日(木) 07:00
更新日時: 2020年10月22日(木) 08:18
文字数:4,225

 そんな他愛もない話をしながら、イギーとジャンルーカは教会へとやってきた。

「あ、ジャンルーカにイギーじゃん。やっほー!」

 向こうから見つけて声を掛けてきたのは、顔見知りのシスター・コロンビーナだった。

 古びた鎧戸を修繕すべく脚立の上で金槌を振るっているのだが、背が低いせいで上手く届いていない。小柄に加えて童顔なので、16歳だけどもうふたつみっつは若く見える。

 若くても、南第三教会に正聖導尼として赴任して2年。先任の老聖導士が隠居してからは1年、たったひとりでここを支えている。

 とは言っても言葉遣いはもちろん、服装もきっちり規定には従わず、今も被り布を外して肩までの赤毛をさらしているような不良シスターなのだが。

「ね。修理、手伝ってよ。こういうの、あたしの得意分野じゃないし」

 額の汗を濃紺の袖で拭い、脚立に腰を下ろす。

「じゃ、顔なじみのサービス料金って事で、大負けに負けて銀貨一枚な」

 イギーは躊躇なく右手のひらを差し伸べた。

「えーっ。タダにしてよ、ケチ。昨日だって、ここで怪我の手当したんでしょ?」

「傷ついた信徒に手を差し伸べるのは教会の仕事。面倒な事を有料で引き受けるのは何でも屋の領分」

「そりゃ聖典にも『あらゆる職業は尊い』って書かれてるけどさぁ。ウチの教会、予算厳しいのよ。誰かさんみたいに治療されたのに寄進しないような奴がいるから。節約できるところは節約したい訳よ」

 コロンビーナは人差し指と親指で輪を示す。コイン、即ち金銭を表すサインだ。

「じゃ、サービスだ。銅貨5ま--」

 と、イギーが口にしようとした時。

「シスター・コロンビーナ。新しい釘と板を持ってまいりました」

 扉が開き、大きくもない布袋を下げてアレッタが現れる。

「へえ……。なるほど、確かに美人は美人か」

 ジャンルーカの口唇くちびるから小声が漏れた。

「イギーさん、こんにちは。お怪我の具合はいかがですか?」

「おかげさまで大丈夫! もう完全に元通りで、大工仕事だってできちゃうよ!」

 にっこり尋ねるアレッタに高速で駆け寄り、イギーは布袋を手に取った。

「コロンビーナ。オレがやるから降りてきな。他にも直すところあったら、どんどん言ってくれ!」

 腕まくりすると、昨日巻いた包帯があらわになる。

「まあ、イギーさん。巻きっぱなしはいけませんわ。清潔さを保つためにも、新しいものに取り替えませんと」

「もう傷口は塞がってるし、アレッタちゃんに巻いてもらったのを捨てるなんてもったいないし」

「でしたら、わたくしが巻き直しますわ。少々お待ちください」

「ホント?」

 登りかけた脚立から身を乗り出し、ぐらりとバランスが崩れる。

「あー、シスター・アレッタ。そっちはあたしが後でやるから。あんたは掃除用の雑巾と桶の水用意しておいて。どうせなら、親切なイグナティオさんのご厚意に甘えましょ」

「はい。承知いたしました、シスター・コロンビーナ」

 作法の見本のような仕草で一礼すると、アレッタは教会の外壁に沿って小走りで去って行く。裏庭に井戸があるのだ。

「イギー。あんた昨日の夜、彼女に結婚迫ったんだって?」

 当人がいなくなったのを確認してから、コロンビーナは小声で尋ねる。イギーは、片手に金槌を握ったまま頷いた。

「やめなさいよねー。聖導尼は結婚できないんだから。無理無茶無謀の三拍子揃ってるわよ。あんまり突拍子もないからアレッタも冗談だと思ったんだけど、戸惑ってあたしに相談した訳」

「無理って、お前もそれ言うのか?」

「あたしだから、言うの」

「痛てっ!」

 白い人差し指が、イギーの鼻先を弾いた。ジャンルーカに引っ張られたダメージに上乗せされて、思わず声が漏れる。

 コロンビーナは、成金商家の三女だ。

 金はあるが格も身分もないのを恥じた父が、没落した貧乏貴族のところへまだ幼い娘を嫁がせ、縁戚を結ぼうと企んだのだ。

 僅か12歳で50代の後妻にされるのを嫌がったコロンビーナは婚礼を逃れたい一心で聖導院に逃げ込み、聖職者としての清めを受けた。これでもう絶対に結婚できない。教会の権威は国王すら圧倒する。成金商人や貧乏貴族ごときが手出しできるものではない。

「これに関しちゃ、ルールを決めてくれた神様に感謝ね」

「オレは神様を恨むぞ。大きな声じゃ言えねえが」

 孤神を批難する言動はタブーなので、さすがのイギーも声を潜める。

「それにあたしは先任として、彼女を悪い虫とか飢えた狼とか色魔とかイギーとかから守る責任もあるし」

「せめて喩えで止めてくれ。ダイレクトに名指しすんなよ。オレだってアレッタちゃんのために心を入れ替えたの。紛れもない純愛なの」

「童貞に戻りたいなんて願うくらいにな」

 脇で聞いていたジャンルーカが混ぜっ返す。

「童貞? 童貞に戻る? あんたが? あははははははははっ! そんなの、チーズをミルクに戻すより無理だわ」

「お前もジャンルーカと似たような事いうのかよ?」

 聖導尼らしくもなく、コロンビーナは大声で笑う。

「どうかなさいましたか、シスター・コロンビーナ?」

 そこへ、水桶を下げたアレッタが戻ってくる。

「え? えーとね、その……」

 事実をそのまま喋る訳にはいかないので、コロンビーナは笑いながら口ごもり、頬をぴくぴくと引きつらせるだけ。

「いえ。大した事じゃありません。イギーの奴がちょっとした失敗談を話したら、それがシスター・コロンビーナのツボにはまってしまったようで」

 笑いが止まらないコロンビーナに代わり、ジャンルーカが差し障りのない説明をする。

「そうなんですか。でも、いけませんよ、シスター・コロンビーナ。他人の失敗を笑うだなんて」

「いえ。こいつも、ウケを取りたくて話しただけですから。そうそう。名乗るのが遅れて失礼いたしました。私はジャンルーカ・パルマと申します。イグナティオの同居人で、一緒に何でも屋稼業を営んでおります。お見知りおきを」

 片足を軽く退きつつ、静かに頭を下げる。イギーには不可能な、孤神真教の信者--それも中流以上の市民階級らしい完璧な作法で。

「何でも屋……さん、というのはどういうお仕事なのでしょうか? 肉屋さんは肉を商いますし、金物屋さんでは金物を売ってますよね? でしたら、何でも屋さんというのは万物を取り扱っているのでしょうか?」

 アレッタの疑問に、隣のコロンビーナは吹き出しそうな口元を押さえる。

「そうではありません、シスター。私どもが売っているのは労働力そのものです。専門の職人に頼むほどではないが自分でこなすには面倒な仕事。誰に頼めば引き受けてもらえるかわからないような仕事。家事の手伝いや力仕事、多少の荒事に至るまで、あからさまに法に触れない事であれば文字通り何でも引き受けさせていただきます」

『あからさまに』にアクセントを置く。

 つまりは違法か合法か曖昧なラインであれば構わないという意味だ。

「それは素晴らしいお仕事ですわね。額に汗して人々の手助けをするのは、神の教えにも適いますし」

 言外に含めた何でも屋の胡散臭さに気づかないアレッタは、額面通りに感動している。

(ジャンルーカっ! お前、何で彼女にいいトコ見せようとしてんだよ? 変にカッコつけて!)

 イギーが脇腹をつつきながら、息だけの小声で抗議する。

(お前とは違う。ご近所として一般的な挨拶しただけだ。お前が世話になったしな)

(そんだけならいいけど、余計な事はしないでくれよな)

 続く会話も同じような小声。アレッタの耳には届かない。

「と、とにかくさ。修繕も掃除も、オレに任せてよ。アレッタちゃんの綺麗な手が荒れたりしてももったいないし」

 ジャンルーカの得点--と勝手に思いこんでるもの--を上回ろうと、駆け寄って水桶をひったくる。

「お手伝いはありがたく存じます。ですが、日々の務めを果たしていれば手荒れも疲れも当然の事。それを受け入れるのは、孤神真教の聖職者として当然ですわ。それに、お恥ずかしい話ですが、何でも屋さんにお支払いする余裕が……」

「いいのいいの。アレッタちゃんのためなら、オレ、いくらでもサービスしちゃうからさ」

「共同経営者の了解なしに、勝手に値引きするな。どうしてもやるっていうなら休暇中扱いにするからな。もちろん、その間の給料は出さん」

「えーっ、そりゃないだろ、ジャンルーカ。このくらい、それこそご近所付き合いって奴だろ?」

「イギーさんのお気持ちは嬉しいのです」

 アレッタの曇りない瞳が、イギーを真っ直ぐに見つめる。

「でしょ?」

「ですが、イギーさんが何でも屋というお仕事を営んでいる以上は、本来は業務としてお願いすべきですのに、お言葉に甘える訳には参りません。尊き労働には正当な対価が支払われなければならないというのは、聖典にも主戒のひとつとして記されている重要な教えなのですから」

「え? えーと、それじゃ、その……」

 教義を持ち出されると、イギーは弱い。

「そのくらいはいいじゃないの、シスター・アレッタ」

 そこへ、コロンビーナが助け船を出してくれた。

「労働奉仕っていうか、ご寄進だと思えばいいのよ。八百屋さんが教会に野菜を分けてくださるのと同じで」

「そうなのですか? ですが聖典の記述では--」

「信徒からのせっかくの申し出を無碍にするのも悪いでしょ? 街の教会じゃ聖典の文面を厳密に解釈しなくてもいいの。柔軟に対応するのも、生身の人間であるあたしたちの仕事よ」

「では、シスター・コロンビーナが髪を隠してないのも、何か理由があっての事だったのですね?」

「え? そ、そうそう。そういう事なのよ。年下でも、現場じゃあたしの方が先輩なんだから慣れてるしね」

 コロンビーナの説明に、ジャンルーカは手を広げて失笑する己の顔を隠した。

 彼女が常々『聖導尼の制服はおしゃれじゃないし窮屈で嫌。特に髪隠しの被り布』とぼやいているのを聞いている。

「承知いたしました。わたくし、まだまだ未熟でわからない事ばかりですので、ご指導のほど宜しくお願いいたします」

「うんうん。わかればいいのよ」

 コロンビーナが、小さな胸を反らす。

「では、お言葉に甘えさせていただきます。イギーさん」

「おうっ! 任せちゃってよ! アレッタちゃんのためならオレ、いくらでも働いちゃうぜ!」

 アレッタの笑顔を背に受け、イギーは脚立に上って壊れかけの鎧戸を修理し、さらに雑巾でごしごし磨き上げる。

「ちゃんと隙間にたまった埃まで丁寧にほじくれよ。力任せだけじゃ駄目だからな」

 手持ち無沙汰になったジャンルーカもガタついた正面ドアの蝶番を修理しながら、声をかける。


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