聖なる彼女に《世界》を贈ろう

—オレの恋を神が邪魔するので、宗教改革することにしました—
葛西伸哉
葛西伸哉

第三章 依頼人からは余計なひと言

第三章(1)

公開日時: 2020年10月23日(金) 07:00
更新日時: 2021年6月24日(木) 15:51
文字数:3,516

 歩いているうちに、ふたりは表通りの商業地区にたどり着いた。

 とは言っても、大きな常設店や商会の正面ではない。一本北側の、そういう店の裏口に面した狭い路地だ。その中の一軒、鉄枠で補強された頑丈そうな扉を、ジャンルーカはノックする。

「どなたですかな?」

 低い、男の声が誰何する。

「何でも屋のジャンルーカとイグナティオだ。主に繋いでいただきたい」

「……少々お待ちを」

 しばらく待っていると、内側から鍵が開けられる。

「どうぞ……。主の確認が取れましたゆえ」

 ゆっくりとドアを引いたのは、初老の男だった。肩幅も胸の厚みもあり、古傷の残った顔は見るからに頑固そうだ。殴り合いにでもなったら、イギーだとまず勝てそうもない。

「いつも思うんだけどさぁ。前もって約束してるし、毎度の馴染みなんだから面倒な手間なしに開けてくれてもいいんじゃねえの?」

「不審者を絶対に通さないのが、私の仕事ですので……。主は、書斎でお待ちしております」

 裏口番の許しを得て、ふたりは奥へと進んでいく。イギーが言った通り、何度も訪れているから迷ったり戸惑ったりすることはない。もっとも、広い邸宅の中で慣れているのはいつものこのルートだけなのだが。

「どうぞ。開いているわよぉ」

 書斎のドアをジャンルーカがノックすると、アンニュイなアルトが応じる。

「あらぁ? イギーちゃん、怪我しちゃったのぉ? それで、ちゃんと借金は取り立てたのかしらぁ?」

 紫檀の机と揃いの椅子、壁には作り付けの豪奢な書棚という調度の中、長い黒髪を波打たせた美女が、爪にマニキュアを塗っていた。

 まだ30前の若さ、しかも女性でありながら国でも五指に入る大商家の当主であるメルセディシア・ヴィットリオーネ・モガーナである。

「怪我しちゃったのぉ、じゃねえよ! そっちの仕事で、いきなりナイフで襲われたんだ!」

 くねくねと身体をねじらせ、メルセディシアのモノマネをした後、机を挟んだ正面からバンと身を乗り出す。

「イギーちゃん、机に手ぇ突かないでね。高いのよ、これ。今年新調したばっかりだし」

 ふっと息を吹きかけて、左手爪の深紅を乾かす。

「オレの命よりは安いだろうが!」

 言われた通りに机から手を離し、腕の包帯を指差す。

 この部屋はあくまでメルセディシアの私的な書斎で、内装は完全に趣味に走っている。正面玄関から近い応接室ではなく、ここで話をするのはイギーたちに依頼されるのが「あまり大っぴらにしたくないタイプの仕事」だからである。

 日光や騒音を避ける書斎は窓が少なく壁も厚い。密談にはもってこいなのだ。

「人の命に値段はつけられないわよぉ」

「わかってるじゃねえか。だったらそれなりにギャラを弾んで……」

「いい、イギーちゃん? お金に換えられないっていうのは、世界中の黄金を集めても購えないし、逆にタダでも構わないって事なの。例えばここで金貨千枚払ったら、あなたの命は金貨千枚って相場が確定しちゃうでしょ? 千枚で、命もらっちゃっていいかしら?」

「ぐ……」

 さらりと語られる理屈に、反論できずに口唇くちびるを噛む。

「まあ、わたしが頼んだお仕事だからぁ、治療費くらいはいくらか持ってもいいけど、お医者さんの支払い証明とか用意できる?」

 マニキュア刷毛を左手に持ち替え、右手の装いに取りかかる。

「……えーと……いつもの通り、教会でタダでやってもらったから……」

「だったら、わたしがお金を出す筋合いはないわねぇ。それに、結局取り立てできてない訳だしぃ? まさか、証文奪われたりしてないわよねぇ?」

「そこは抜かりねえよ。っていうか、そっちを優先したからさっさと逃げてきた訳で」

 守り切った証文を取り出し、メルセディシアに突きつける。端に付いた少量の血痕は、赤というより暗褐色に変わっていた。

「当たり前でしょぉ。これ、無くしたんだったらギャラ払うどころか、賠償してもらわなきゃならないところだったわぁ」

「怪我した上に金まで巻き上げられたらたまったモンじゃねえよ。危険手当の割り増し料金が欲しいくらいだ」

「ほらぁ。今回って商会のじゃなくて、わたしが個人として貸し付けたお金でしょ? タダでさえ焦げ付きそうで大変だし、無駄な出費はなるべく控えたいのよねぇ。だからこそ、イギーちゃんにお願いした訳よ?」

 モガーナ商会--というか、メルセディシアはイギーたちにちょくちょく仕事を依頼するお得意様だ。特に、商会の人間が直接関わったら差し障りのある件などに駆り出される。

 今回は、波止場の倉庫オーナーにメルセディシアが私的に融資した借金の回収。「形式として証文は取るけど、ある時払いでいいわよぉ」と言って数か月は放置しておいた。

 商会を通さないのは違法ギリギリの高利に設定するためだし「ある時払い」というのも、実は法律上は貸した側の都合でいつでも取り立てて構わないという事になる。明確な期日の定めがないのだ。

 相手が忘れかけた頃を見計らって、メルセディシアはイギーに取り立てを命じた。しかも「無理に回収するよりも、ストレスをかける形で」という指示。

 だからイギーもあまり気は進まないものの、昼か夜かも不定期に、連日押しかけたかと思えば十日ほども放っておいたりというやり方を続けてきた。その結果が、昨夜の刃物沙汰だ。

「だいたい無駄な出費とか言って、あんたの懐具合からすりゃあ今回の貸し付けなんて大した額じゃねえし、金が欲しいだけなら取り立てだってもっと確実に……あーっ!」

 パンっ!

 思わず両手を打ち鳴らす。

「あらぁ? どうかしたの、イギーちゃん?」

 両手ともに塗りおえ、マニキュア瓶に蓋をする。

「メルセディシア! あんた、全部予想済みっていうか、こうなるように仕向けたんじゃねえのか?」

「こうなるようにって、どうなるようにぃ?」

「単に金の回収が目的じゃなくて、借主を暴発させるのが狙いだったんだろ? そのためにネチネチ嫌らしい取り立てするように命じた。そうじゃねえのか? オレが痛い目に遭うのは織り込み済みかよ?」

 金銭面よりも精神的に追い詰めて、凶行に及ぶよう誘導する。「違法な傷害行為、証文強奪未遂」をやらかせば、借り主の立場は圧倒的に悪くなり、メルセディシア側が多少無茶な要求をしても対抗しづらくなる。

 恐らく、これを利用して倉庫の権利を丸ごと奪い取る腹に違いない。あのあたりを普通に手に入れようとすれば、最初に貸した金額の10倍以上も必要だろうに。

「ちゃあんとそういうところに気づくから、イギーちゃんって好きよぉ。特に、終わった後に気づいちゃう、賢さが中途半端なところが」

「イヤミかよ!」

「うん、イヤミよぉ」

 メルセディシアは目を細め、くすくすと笑った。

「ジャンルーカだったら前もって勘づいちゃって、上手く収めちゃいそうでしょ? でも、イギーちゃんだったらちゃんとトラブルに巻き込まれて被害者になって、それでもちゃあんと逃げてくれるって、わたし信頼してたの」

「……ったく。食えねえ女だぜ。そうでもなきゃ、商会をここまでデカくできねえんだろうがな」

 先代--メルセディシアの父の時代にはモガーナ商会の規模は「国で十指」だった。それを代替わりから数年で五指にまで押し上げたのは彼女の手腕だ。イギーやジャンルーカの手を借りる危ない灰色の仕事はもちろん、表舞台でも辣腕を振るって業務を拡大し、ライバルを蹴落とし押しのけている。

「ゴロツキ雇うような奴のケツの毛までむしったんだ。逆恨みには気をつけた方がいいぜ」

「もちろぉん。でも、有力な裏組織の人間じゃなく、はぐれ者しか頼れないような男よ。わたし以外の細かい借金も沢山あって、もうどういう手順で片付ければいいのかもわからなくなってる。倉庫を無くしたら田舎いなかにでも逃げちゃうはずだもの」

「……これからもオレたち何でも屋をご贔屓に。あんたを敵に回すくらいならコキ使われてる方が安心できる」

「うふ。ありがと。わたし、さすがにイギーちゃんもわたしの事恨んだのかと思ってたわぁ」

 艶然と微笑むメルセディシアの前で、イギーはがっくり肩を落とした。

「ムカつくけど、今回に限っちゃ感謝してるぜ。この怪我のおかげで運命の出会いができたんだからな」

 にやりと微笑んで、腕の包帯をポンと叩く。

っ!」

 自分で自分に与えた痛みに、声を上げてしまった。

「アホか、お前は。傷、塞がってるはずないだろうが」

 ジャンルーカは思わず突っ込んでしまった。

「……イギーちゃんのアホは今に始まった事じゃないけど……運命の出会いって何なの?」

「気にしないでください。ちょっとした熱病みたいなもので」

「ああ、そういう事。若いっていいわねぇ」

 熱病。

 メルセディシアは、たったひとつのキーワードでジャンルーカの言わんとする事を察していた。


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