「お前ら、ほどほどにしとけよ。イギーも釘刺したじゃねえか。はい、お待ちどおさま」
苦笑しながら、店主がふたり分の料理と飲み物をテーブルに置く。このあたりでは定番の軽く小さな平焼きパンと小ぶりのサラダ、それに魚介と野菜がたっぷり入った赤いスープだった。
「これがスペシャル……特別なお料理なのですか?」
「ああ、掛け値なしにオレのお薦め。アレッタちゃんの口に合うといいんだけど」
「では、いただきます」
両手を合わせ、略式で食前の祈りを捧げてから、アレッタはスプーンでスープを掬って、口に運んだ。
「……んっ! 美味しいっ!」
目を丸くして、空いている左手を頬に添える。
「気に入ってもらえてよかった」
「なんと言いますか……不思議なお味ですね。少し酸っぱくて辛くて……でも優しくて」
「20年くらい前かな? 海の向こうから持ち込まれた赤茄子ってのがあってさ。最近はこのあたりでも穫れるんだ。それを裏ごしして、スパイスと合わせてんの。ここの大将、生まれはグスマンでさ」
北西の隣国の名を挙げる。
「元々はそっちの郷土料理で、豚肉とか使うんだ。で、百合根を使ってた白いスープを赤茄子に変えて。魚やエビはここの地元産だから新鮮。単に店主の『得意な一品』ってだけじゃないんだ」
少しとろみの付いた重めのスープは複雑な香りで、ぴりっとした辛さとまろやかな酸味が適度に混じり合っている。具材の人参やラディッシュが大ぶりに切られているのは、外側と芯で味の染み具合の変化が楽しめるように。白身魚があらかじめ炙ってあるのは、スープの中でも素材の淡泊な味が負けてしまわないようにという工夫だ。
冷たいサラダの方は淡い味付けで、しゃきしゃきの歯ごたえと瑞々しさが、スープの刺激とコントラストを際立たせている。
新しい品物の流入、取れたての海の幸、そして人の交流と工夫。それらが噛み合うヴォルニッテだからこその一皿。料理の腕はそのままでも、店主がグスマンにいたままなら赤茄子には出会わなかったし、魚の種類も異なる。
「エビって、初めて食べました。お魚も、今までは川魚の干物ばかりでしたし」
「そうなんだ。それじゃ--おーい、大将。ハマグリの蒸し物もちょうだい! ちょい少なめにして」
「はいよ」
追加オーダーを受けて、料理が運ばれてくる。
「貝なんかも、あまり味わった事ないだろ? こいつも、隣村の浜の産」
「では、いただきます……。これも、不思議な歯ごたえですね。それに風味豊かで……」
大ぶりの貝には不慣れなのだろう。もぐもぐとかみ続ける口元を、ちょっと恥ずかしげに片手で覆う。美味しさにきらきら輝く瞳は、隠せない。
いつもと違う表情豊かなアレッタを見ていると、イギーの心は浮き立つ。
「こっちはこのスープとは逆に、塩とちょっとのワインだけで蒸して、貝の味を引き出してんの。こういう料理もいいでしょ?」
イギーにとっては、お馴染みで贔屓の味だ。
「そうですね。このオレンジ水も、甘くて美味しいです。でも、よろしいのですか?」
「よろしいって……何が?」
「今日、わたくしは依頼人の婚約者の代理なのでしょう? わたくしのような者の感想で、ちゃんと参考になるのでしょうか?」
「え? ああ、それは、ほらっ!」
向かい合って一緒に食事をするのが嬉しくて、つい根本の設定を忘れかけていた。
「そうそう。その人も、単にヴォルニッテが初めてってだけじゃなくて山の方の育ちだし、年頃もアレッタちゃんに近いからさ。そりゃ食べ物の趣味なんてひとそれぞれだから完全に一致なんてしないだろうけど、手がかりにはなるって事でさ」
素早く辻褄を合わせてごまかす。
「そうですか。イギーさんのお仕事のお役に立てるのでしたら、わたくしも嬉しいですわ」
「そうそう。そうなのよ。だから遠慮しないで、何か食べたいのがあったらどんどん注文してよ」
「とは言いましても、わたくし小食ですし、メニューを見てもどんな料理なのか想像もつきませんし……。それに信徒の方のもてなしは受けるものであっても、こんな美味しいものに馴れてしまうと、これからの暮らしに困ります」
戸惑った様子で、アレッタはきょろきょろと視線をさまよわせる。
「……あの……あの方が召し上がっているのと同じものを、お願いしても構わないでしょうか?」
さすがに遠慮がちな小声で、アレッタはこっそり遠い壁際の席を指した。
「うん。いい選択。海のモンばっかりだと飽きるもんな。手羽のソース煮と茹で野菜、飲み物も追加でお願い!」
「ほいよ! これも、少なめでいいかい?」
「ああ、頼むぜ」
程なく、また料理が運ばれてくる。
「では……えっ?」
鶏肉にフォークを伸ばして、アレッタが驚きの声を上げた。触れただけで骨から自然に剥がれるくらいに、肉が柔らかかったのだ。
「たっぷり煮込んでて柔らかいんだよ。人気メニューだから時間かけて作りおいてても大丈夫だし。あと、ソースのレシピにも秘密があるらしいけど、そっちは教えてもらえなかった」
「当たり前だ! 長年の工夫で編み出したのを、そう簡単にバラせるかよ!」
イギーの声を耳にした店主が、カウンターの向こうで笑う。
「では、教会で同じものを作るのは難しいのですね。ちょっと残念です」
胸や脚に比べて安い手羽は、教会でも時々は使える食材だ。
「お味も、素晴らしいですね。中までしっかりと味がしみ通っていて、外側の皮はぷるぷるしてて、口唇が触れるとくすぐったいくらいです。お野菜の方は……優しい味わいとでも言うのでしょうか。先ほどのスープの心地よい刺激とはまた違った感じで……」
舌鼓を打ちながら、アレッタは感想を口にする。
「本当に、どれも素晴らしいです。市井の方々が自らの仕事に誇りを持ち、知恵と技を凝らしているのは、神の御心にも適っています。ご馳走様でした」
たっぷりの昼食を平らげて、アレッタは目を細める。彼女の食べるペースがゆっくりなせいもあって、他の客はほとんど退店していた。
「喜んでくれたなら、オレも嬉しいよ」
ふたりの前には、豆茶のカップが湯気を立てていた。食後の腹ごなし用なので、温度は抑えめで味も薄め。
「それに、イギーさんのお心遣いも。沢山味わえるよう、少なめにご注文なさったのでしょう?」
「ん。まあね」
ちゃんと通じていた喜びに、つい口元が緩む。
「その、依頼人の婚約者の方ですか? その方もわたくしと同じような山育ちでしたら、やはり少量ずつの方が楽しめそうですね」
「う、うんうん。そうだよなー」
かなり無理矢理な「設定」をまるっきり信じ込んでいるアレッタに、イギーは棒読み気味に答えた。
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