聖なる彼女に《世界》を贈ろう

—オレの恋を神が邪魔するので、宗教改革することにしました—
葛西伸哉
葛西伸哉

第五章(4)

公開日時: 2020年10月31日(土) 07:00
文字数:2,891

 食事の後は、ヴォルニッテのあちこちを案内して回る。

 まず、中央広場に面した新しくも壮麗な建物。

「ここが市の議事堂。商人の力が強い街だからな。一応領主もいるけれど、実権は豪商たちを中心にした議会が握ってる」

「ええ。それは存じております。市議会からは教会にも寄進をいただいていると、シスター・コロンビーナからもうかがいました」

「儲かってる割には、大した事ねえ金額だけどな。しかも末端まではなかなか回ってこねえって」

「いけませんわ、イギーさん。金額の多少に拘わらず、信徒からの寄進は全て尊いものなのですよ」

 冗談めかした口調のイギーを、アレッタは大真面目な口調で窘める。

「あ、いや……うん、そうだな。その通り。オレが悪かった」

「わかっていただけたのなら、いいんです」

 実は「お金が回ってこない」というのは、コロンビーナからよく聞かされた愚痴なのだが、それは黙っておく。せっかくアレッタの笑顔が見られたのに、こだわって混ぜっ返して不興を買っても何にもならないし。

 ヴォルニッテは大きな街なので、市中には7つの教会があり、アレッタやコロンビーナが受け持つ南第三教会はその中で最も小さく、しかもいちばんの下町に位置している。地域の信徒は、貧しい者が多く、直接の寄進は少額だ。市の中央教会に集まった寄進からも配分されるが、南第三教会への割り当ては少ない--というのは、コロンビーナがイギーたちに仕事を頼んで値切る際の常套句だ。

「中央教会は、オレよりもアレッタちゃんの方が詳しいか」

 円形に近い広場を挟んで、反対側の向かい合う建物に目を向ける。議事堂と比較すると古雅で壮麗な様式で、高い鐘楼を備えている。大まかな形だけ見れば南第三教会と共通点もあるのだけど、ライオンもネズミも四つ足で毛が生えているというレベルの話だ。

「ええ。南第三教会に着任する際にはこちらで祝福を受けましたし、教会運営についての指導を頂いたりもしますし」

 それについても、コロンビーナからはいろいろ聞いている。上からの指示や要求は面倒くさいのに、こっちの要望はなかなか聞き入れてくれないとか。

「アレッタちゃんも、いずれ出世してもっと大きな教会受け持ちたいとか考えてる訳?」

「いえ。南第三教会が初めてですし、今は目の前の役目を果たすので精一杯です。己に与えられた仕事にきちんと向き合わず、ただ高望みするのは向上心とは違うともありますし」

「ああ、そうだったな」

 また聖典を引用するアレッタに、イギーはほんの微かにだが苦笑してしまった。

 彼女はずっとこの調子だ。何かと言えば聖典、聖句。

「あとは、この広場な。今は空いてるけど、朝夕には市が立っていろんな店が並ぶ。あ、これももう知ってるっけ?」

「はい。教会がバザーを出すというのも、教わっております。わたくしはまだ実際には参加した事はありませんが。それも、当番制と伺っております」

 バザーの売り物も中央教会に集められ、収益もそこから分配される。販売要員も、信者のお手伝いもあるが、市内各教会から順繰りに人を出す。もちろんこれは、南第三のように小規模で専任聖職者も少ない、万年人手不足の教会にとってはありがたい面もあるのだが。

「そうだ。イギーさんに、ひとつお尋ねして宜しいでしょうか?」

「いいよいいよ。何でも聞いて」

「あの像、あれはどなたがモデルなのでしょうか?」

 広場の中央に立つ、美しい女性の銅像を指し示す。

「ああ、美の女神だな」

「美の……女神? 唯一の孤神の他に神様がおられるのでしょうか?」

 常識の範疇の話だ。けれど、アレッタはきょとんと首を傾げた。

 孤神真教では唯一の神が全てを創造したとされている。孤神以外に神を名乗る存在は認められない。

「大昔、このあたりで広まってたんだよな。主な神様が10人だか12人だかいて、怪物と英雄が戦ったりするお話。なんか絵とか彫刻とか芝居の題材にはなるらしいけど」

 イギーも詳しい訳ではない。おとぎ話昔話としてちょっと知っている程度だ。昔はしっかり信仰されていて神殿もあったらしいが、残っているのはうち捨てられた遺跡のみだという。ただ、古い伝説が芝居や芸術の題材になるだけ。

「つまり、本当の神様の教えが伝わる以前の迷信なのでしょうか?」

「ま、迷信っちゃ迷信だよな。オレも、この手の神話が本当にあったとか、神様が存在してたとか思わないな。だって、美の女神なんて奴よりも美しい人間が現実に存在してんだからさ」

「そうです。外見よりも、神の教えを守り、勤労に励む姿こそ美しいのです」

「だよね。はは……」

 例によって、アレッタは自分の事を言っているのだとは理解してくれない。

 さらに劇場や商業組合会館など、広場に面した主な建物を紹介した後、他の地域を巡る。


 中心部から街の外へと通じる広い街道を北上すると、それぞれに意匠を凝らした屋敷が並んでいる。アレッタは、小さく感嘆の息を漏らしながら、高い屋根を見上げる。

「このあたりは山の手だな。金持ち連中が住んでる。オレも、まあ仕事で時々来たりするけどな」

 半分は、見栄だ。

 頻度は「時々」でなく「ごく希」だし、来訪するといっても裏口どころか使用人の離れまでしか通されない。表沙汰にしたくない面倒な仕事を押しつけられるから当然なのだが、それをアレッタには話したくない。

 何でも屋稼業としてのプライドはあるけれど、惚れた相手に胸を張れない部分はある。借金で相手をハメて、土地や建物を取り上げる手伝いとか。

「他の教会の担当教区ですから、わたくしもあまり訪れる機会はなさそうですね」

 そこから何本かの通りを越えて南へ戻っていくと、目に見えて建物が低くなっていく。

「で、このあたりからは並の住宅街。職人や商人、船乗りなんかが多いな。看板出してるところは、仕事も受け付けてる」

 靴や服など、やはり無筆の客を考慮して形でわかる板が吊されている。そういう家は、工房を兼ねているので比較的広い。

「こういうのは、わたくしの育った村にもありました。もちろんこことは違って田舎なので、こんな風に並んではいなくてぽつりぽつりと建っていて景色は全然違いますけど」

「へえ。オレは生まれも育ちもヴォルニッテで、田舎の方ってちょっと行った事があるくらいだからなぁ」

 何でも屋の需要があるのは街の中だ。遠方に出向くのは急ぎの、あるいは秘密の手紙や荷物の配達を頼まれた時くらい。じっくり風景を眺める余裕なんてなかったし、寂しくて活気がないという感想を抱いただけだった。

 時々公園のベンチやお茶を出す店での休憩を挟みつつ、ぶらぶら歩いて港へ出る。もちろん日中でも薄暗い、本気で治安の悪い通りはちゃんと避けた。

 大小様々な帆船が出入りし、桟橋では人の出入りや荷の積み下ろしが続いている。

「こんなに沢山、それも大きな船を見るのは初めてです。赴任してからも、忙しくて街を見て回る余裕なんてありませんでしたから、機会を作ってくださったイギーさんには心から感謝します」

「オレの方こそ……えーと、仕事手伝ってくれて助かったよ」

 設定を忘れないよう、念を押す。

「あら? あの船は何でしょう?」

 アレッタが、不意に指を差す。


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