聖なる彼女に《世界》を贈ろう

—オレの恋を神が邪魔するので、宗教改革することにしました—
葛西伸哉
葛西伸哉

第二章(3)

公開日時: 2020年10月22日(木) 07:00
更新日時: 2021年6月24日(木) 15:30
文字数:4,171

 結局2時間ほどかけて、教会の修繕はひとまず完了した。元がかなりくたびれていたので万全とまではいかないが、一見してみすぼらしいというほどではなくなった。

「あーあ、誰かさんのせいで俺までタダ働きする羽目になった」

 愚痴りながら、ジャンルーカは借り物の大工道具を箱にしまい込む。

「ま、たまにはこのくらいのサービスはいいでしょ。いっつもロクでもない仕事してんだから、こういう時に徳積んどくと次に生まれ変わる時に得するわよ」

「仮にも聖導尼がそういう安請け合いしていいのか?」

「別にいいでしょ? そっちがサービスなら、こっちもサービスよ」

 コロンビーナが軽口でそれを労う。

 とは言え、ふたりとも声は小さい。やや離れたところで語らっているイギーとアレッタを観察しているからだ。


「イギーさん、本当にありがとうございます」

 コップと冷たい水を絞った布を差し伸べながら、アレッタが頭を下げる。

「いーのいーの。ボロ教会のままじゃ住むにも不便だろうし。コロンビーナは平気だったけど、アレッタちゃんには相応しくないし」

「教会は神の在す住まいですものね。華美に飾り立てる必要はありませんけど、敬う気持ちを示すためにも整えておくのは大切ですわ」

「あ、いや。そうじゃなくって。この教会はアレッタちゃんの家だから、オレは気合い入れて直した訳よ。神様って、聖都の大聖堂にいるんじゃねえの?」

『聖都』とは、王都ドーレに継ぐ第二の規模を誇る都市・グリーチェの別名だ。

 教主を筆頭とする幹部が住まい、大陸各地の教会を統括する教団組織の中枢。そして大聖堂の所在地。各国から巡礼者が訪れる聖地。一応はガルティーヤ国内に存在しているが、事実上ひとつの独立国である。

「大聖堂だけに御座す訳ではありませんわ。この小さな教会もまた、神のお住まいのひとつです」

 胸元で指を組む略式の祈りの姿勢で、アレッタは告げる。

「えっと……神様がこのオンボ……じゃねえや。教会に住んでるって事は、大聖堂とか他の教会はその間お留守?」

「イギーさんって、やっぱり冗談がお得意なんですね」

 いや。冗談じゃなくて、本気で理解できねえだけなんだけど--と思わず口走りそうになるのをどうにか舌先で止める。

 冗談と思われるような間抜けな発言をしてしまったのを知られるのは面目が立たないし、好意的な誤解はわざわざ解く必要もない。

「神様は常に、あらゆる場所に存在してわたくしたちを見守っておられます。もちろん、イギーさんの事も」

「お、おうっ。そうだな。今も神様、ビンビンに感じちゃってるぜ!」

「宜しければ、休日の定例礼拝にもお越しください。共に、神への感謝を深めていきましょう」

 ぎゅっ!

 アレッタの華奢な--けれど確かに労働の跡が刻まれた手が、イギーの両手を握りしめる。イギーの顔に赤みが差す。

「なるべく来るようにするよ。アレッタちゃんのためにも!」

「ははっ! 今まで礼拝なんてまるっきり来なかったのにねぇ~」

 コロンビーナが小さな声で囃す。

「おーい、イギー。そろそろ引き上げようぜ。仕事の報告にも行かなきゃならないしな」

 ジャンルーカがぽんと肩を叩いた。

「そ、そうだな。んじゃ、アレッタちゃん、またねー」

「はい。教会の門は、いつでも信徒のために開かれております」

 手を振るイギーに、アレッタはまた祈りのポーズで軽く頭を下げた。


 ふたりがしばらく歩き、角を曲がって教会の通りから外れたタイミングでイギーが口を開いた。

「助かった。ありがとうよ、ジャンルーカ」

「なぁに。お前がピンチなのは見てわかったからな」

「なんつーか。話が全っ然噛み合わねえ。オレ、孤神真教の教えとかちゃんと勉強した事ねえし」

「やっぱり諦めた方がいいな。あの娘、確かにかなりの美人だ。それは認める。けど、外見がアレでも中身はゴリゴリの聖職者だぞ。まるで聖典の通りに動くお人形だ」

「さすがに、あそこまでとは思わなかったぜ。今まで見てきた聖職者でも、あそこまでってのは初めてだ」

 物心ついてからこれまでに出会った聖職者を指折り数えて、イギーもため息をついた。

「つまりお前は、彼女の内面なんて一切知らずに、見た目だけで入れあげて結婚だの何だのとほざいた訳だな」

「うっ!」

 イギーが、わざとらしく胸を押さえる。

「結婚ってのは単に恋愛のゴールインって意味じゃないぞ。一生涯、生活をともにするパートナーになるって意味だ」

「ンな事ぁわかってるよ」

「いいや。わかってない。理解してたら、よく知らない相手に結婚申し込んだりするはずがない」

「そうしたいと感じたってのに、他の理由がいるのか?」

 イギーは、歩みを止めた。一瞬遅れて、ジャンルーカも倣う。

「お前にゃわかんないかも知れないけどな--いや、オレも昨日まで知らなかったけど、衝動ってのは理屈じゃねえんだ。話の筋が通ってるからやったり諦めたりできるくらいなら、人間は恋に落ちたりしねえ」

 瞳はジャンルーカを見ていない。

 ただ、真正面を真っ直ぐに見つめている。

 進んでいく先の町並みではなく、その場にはない「未来」そのものに視線は向けられている。声も力強い。僅かな逡巡も躊躇もない。

 物語のクライマックスで死地に向かう騎士が。あるいは殉教の刑場へ赴く聖者が。こんな風に決意を口にするのかも知れない--ジャンルーカは、一瞬そう思ってしまった。イギーの柄でも、自分の柄でもないのに。

「そりゃ、信仰一本槍のアレッタちゃんを口説くとなりゃあ苦労は多いだろうさ。けど、オレは自分の衝動に従う。この胸に宿った夢を諦めたりしない」

「胸に宿った夢とか、そういう世迷い言ほざくところまで童貞くさくなるんじゃない。俺たちゃもういいトシで、どう考えても将来性のないその日暮らしやってるんだ。叶えたい夢なんてのとはずーっと無縁だっただろ?」

 イギーの態度をどう扱っていいのか。判断に困ったせいもあって、つい混ぜっ返してしまった。

「無縁だったけど昨日できた。夢を見るのに年齢は関係ない」

 そう言って、また歩き出す。

「……その夢ってのが『聖導尼と結婚したい』なんてのじゃなくて、貧しい人たちを救うとか世界を平和にするとかだったら、少しはご立派に聞こえるのかも知れないがな。今どき聖職者だって本気でそんな事は考えてないだろう。あまりに信心深いシスター・アレッタ様は別かも知れんが」

「つまり彼女は教主よりも崇高って事だな。お前の目から見ても」

 露骨な皮肉の言葉尻を取られて、ジャンルーカは苦笑する。

「崇高かどうかは知らんが、純粋なのは確かだな。よくも悪くも。で、純粋であるが故にお前のような不純物と混じり合う事はない。繰り返し忠告だ。馬鹿な夢を見るのはやめろ」

「じゃあ夢じゃなくて具体的な目標にすりゃあいいよな? オレの魅力って、顔はまあ当然として、後は頭が回るのと口が上手いところだよな」

「……お前がそう考える分には自由だ」

 ジャンルーカの苦笑は、更に複雑な色を帯びた。

 実際、イギーは頭も口もよく回るのは確かで、便利屋稼業でも大いに役に立っている。ただし回転が速い反面パワーが弱いというか、噛み合ってない歯車が軽快に空転してるようなところもあるのだが。

「ところがアレッタちゃんとは話題が合わないっていうか、こっちがどうアプローチしても勘違いされちまうからなぁ。得意技が通じないんだから、どうにか別の口説き方を考えないと」

「まあ、確かにぼんやりした夢を思い描いてるよりは、具体的な手段を考える方がマシか。考えても無駄だとわかれば、諦める踏ん切りもつく。『7の目を千年試すな』って奴だ」

 よく知られたことわざをジャンルーカは口にした。

 6面のダイスを振っても絶対に7は出ない。それを頭で理解してる者もいればひょっとしてと試す人間もいる。何度やっても諦めずに延々と振り続ける奴さえいる。それでもどこかで結論は出るという言い回しだ。

「だから諦めねえっての! やっぱ、どうにかして彼女に俗世間の楽しさを教えてあげるって手かなぁ……」

「恐らく無理だな。あの純粋信者が酒だの遊びだのに興味を持つとは思えん。それに、万一だ。そんな風に『堕落』したアレッタでも、お前の気持ちは変わらないのか? 本気で顔だけあればいいのか?」

「……それは、ちょっと嫌だな」

 ほんの少し、少しだけだが真面目に考えて、イギーはぽそりと呟く。

「言葉で上手く説明できねえけど、オレが一目惚れしたアレッタちゃんの……その、なんていうか、雰囲気? そういうのをなくしちゃいけない。ほら、昔話でもあるじゃねえか。綺麗な花を自分のものにしようとして採ったら、すぐに枯れちゃったっての」

「昔話というか、それも聖典に載ってる説話だ」

 ジャンルーカは大げさに肩を竦めた。誰もが子供の頃に初等学校や教会で教わるお話のひとつだ。

「アレッタちゃんが信心深い清らかな聖導尼のままじゃ、オレとは結婚できない。けど結婚できるようにアレッタちゃんの性格や生き方をねじ曲げちゃいけない。こりゃ考えれば考えるほど面倒なパズルだな」

 歩きながら、腕を組んで考え込む。

「……あ、いや。そのあたりの面倒なトコは最後の最後に何とかすりゃあいいのか。まずはオレとアレッタちゃんがちゃんと仲良くなる手立てだよな。例えば、彼女から教義をいろいろ教えてもらって会話の機会を増やすか。でも、それだとメンツが立たないっていうかちょっとカッコ悪いよなぁ。となると、今から聖典をきっちり読み込んでアレッタちゃんと教義問答できるようになるのを目指すのがいいな、ウン」

 自分の言葉に自分で納得して、イギーは大きく頷く。

「付け焼き刃で本職に張り合えるつもりか?」

「ちっちっち。オレたちは何でも屋ですよ、ジャンルーカくん」

 立てた人差し指を左右に振る。

「大工じゃなくても大工仕事をする。料理人じゃないけど台所にも立つ。必要なら何でもこなすのがオレたちの稼業だろ? だったら聖職者じゃなくても説法できるレベルになるのだってアリじゃねえか。それに、基本的に聖典にまとまってるんだろ? 実際に手や身体動かしてマスターしなきゃならない技術よりは何とかなりそうだ」

「……まあ、そう思うならやってみりゃいいさ」

 ジャンルーカの笑みには、明らかに何かの含みがあった。

「さて。遠い目標も大切だが、とりあえずは日々のメシだな。しっかり昨夜のギャラを払ってもらわねえと」



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