「これで詰みだ」
「あー、もう! なんで勝てないのよ!?」
「お前は貯金しすぎだ」
「貯金?」
「持ち駒を使わないし、駒を取られることを怖がりすぎる。そのくせ持ち駒がないと落ち着かないし、持ってしまうとそれだけで満足する。初級者にありがちだな。それで勝てるわけないだろ」
「なるほど」
「初級者にありがちなもう一つの形があれだ」
先生とアリスの対局を指さす。
「別におかしいところはなさそうだけど……」
「よく見ろ、二人ともチェスの感覚で指してるだろ」
「チェス?」
「古将棋とチェスは持ち駒制度がないから、初級者でも適当に駒を取りあってれば自然と終りに近づく。でも将棋は持ち駒制度があるから駒が盤上に戻ってくるだろ? チェスをかじった初級者同士が対局すると、駒を取り合って終わらないんだよ」
「へー。長引くのもちゃんと理由があったんだ」
「大名人・升田幸三いわく『駒をうんと持った時はもう遅れている。足りない所で精一杯の仕事をしなければならない』。いま持ってる駒、冒険しなくても取れる駒だけでいいからどんどん使っていけ。持ち駒を豊富に持ってても一度に一枚しか打てないからな。一番格好悪いのは駒を余らせて負けることだ。逆に持ち駒をぴったり使い切って勝てれば快感だぞ。無駄駒は『腐ったミカン』だ。無駄な持ち駒は他の持ち駒を腐らせる」
「たとえが昭和」
「うるさい」
ホワイトボードに『玉の早逃げ八手の得』と書く。
「有名な格言ね」
「ああ。序盤は一手の価値が低い。だが終盤になると一手の価値が数倍に跳ね上がる。だから序盤の内に玉を一手動かすのは、終盤の八手と同じぐらいの価値がある。持ち駒も同じだ。序盤と終盤で価値が変わる。『盤上にない駒は働かない』。駒が腐る前に打て」
「はーい」
「ただし『盤上にない駒は働かない』ってのも主に防御面のことで、攻撃に使うなら盤上のどこにでも打てる持ち駒の方が価値は高い。うかつに打ってしまうと攻め駒としての価値が下がるから気をつけろ」
「……攻めと受けの見極めはどうすればいいの?」
「守りが万全なら打たなくてもいい。相手を崩したい、攻めの切っ掛けを掴みたいならガンガン打て。攻め駒を相手に取られても、守りが硬いなら気にする必要はないからな。攻めながら相手の駒を取るのも忘れるな」
持ち駒制度がいかにチェスゲームを複雑にしてるのかよくわかる。
「……アリスも先生もあの調子だと終わるのに時間かかるな。なんか注文しろ」
「えーと、じゃあ干しブドウパン」
「また妙なものを……」
「『小公女』よ」
「赤毛のアンの次はセーラか」
「いいでしょ、好きなんだから」
小公女はアニメ化もされている有名な世界文学だ。
父さんが倒産して貧乏になったセーラ(俺が読んだバージョンだとセアラ)は、ミンチン先生に昼食を抜かれた状態で使いに出される。
ひもじさのあまり、パン屋のそばで6ペンス銀貨を拾ってパンを6個買って食べる妄想をしていると、不思議なことに本当に銀貨(6ペンスではなく4ペンス)が落ちていた。
妄想のとおりにパンを買いたいところだが、セーラは正直にパン屋に硬貨を落とさなかったか聞く。
パン屋は『もう誰のものかもわからないものだから』と、4ペンスで6ペンス分のパンを売ってくれた。
だがセーラの目に、自分と同じくひもじさにあえいでいる少女の姿が映る。
セーラは『プリンセスならこうするだろう』と、手を震わせながらパンを少女に分け与え、自分は1つだけで我慢したというエピソードだ。
瑞穂は小さく千切りながらパンを食べる。
「これは魔法のパン。一口で一食分になる魔法のパン。こうやって食べ続けていたら、食べすぎてしまうぐらい」
少しでも長持ちするように、小さく千切りながらパンを食べたセーラの真似だ。
「じゃあ一個でいいんだな」
「……もう一個ほしい」
「あいよ」
こいつはプリンセスになれそうもない。
「お茶もレーズンにするか」
ほうじ茶にレーズンを入れる。
「ほうじ茶に干しぶどう?」
「ほうじ茶はドライフルーツと相性がいいんだぞ」
「へー」
日本茶も紅茶のようにもっと砂糖やミルク、ハーブ、フルーツと組み合わせるべきなのだ。
「……負けまシタ」
アリスたちの対局が終わるのに、それから30分ほどかかった。
「ん、まだ時間あるな。干しブドウパンの代金を賭けよう。なんで勝負する?」
「クレージーハウス!」
「く、クレージーな家?」
「クレージーハウスはパラシュートありのチェスですヨ?」
「??」
「海外では持ち駒制度をパラシュート部隊って呼ぶんだよ」
「上から駒が降ってくる所からの連想ですね」
「ようするに持ち駒制度ありのチェス?」
「そういうことだ。チェスはクイーンもいて火力が高いからな。将棋よりも激しいゲームだぞ」
「外国人へ将棋を普及させるのなら、まずはクレージーハウスをやらせた方がいいのかもしれませんね」
「ソレは難しーデスね」
「どうしてですか?」
「こーいうことデス」
アリスがチェス盤を二つ取り出した。
「クレージーハウスはチェスセットが2つないとプレイできまセン」
「なんでよ?」
「チェスは敵味方で駒が色分けされてるだろ? 敵の駒を奪っても自分の駒として使えないんだよ」
「あ、そっか! チェスの駒はナイト以外、前と後ろの区別がないんだ。持ち駒を打っても相手の駒と区別できないのね!」
将棋の駒は色ではなく向きで敵味方を判断するから、相手の駒を自分のものとして使うことができる。
チェスではそれができない。
持ち駒制度ありのチェス、とだけ聞いたのでは気付かない欠点だ。
「『肌の色で敵味方を区別し、お互いが滅ぶまで戦争している』って皮肉られるぐらいだからな」
「……それは言いがかりじゃ」
「その手の言いがかりを将棋にした奴もいるんだぞ? あやうく将棋の歴史が途切れる所だった」
「GHQと升田幸三のやりとりですね」
戦後『敵の駒を奪って使うのは捕虜の虐待で、野蛮なゲームだから将棋は禁止する』と通達したGHQに対し、升田幸三は『将棋は人材を有効活用する合理的なゲームだ。チェスこそ捕虜を殺し、キングを逃がすためならクイーンさえ犠牲にする野蛮なゲームじゃないのか』と足元をすくった。
もちろんGHQの『将棋が野蛮なゲームうんぬん』というのはただの嫌がらせで、升田幸三の反論も言葉遊びに過ぎない。
「将棋VSチェスもアリじゃない?」
「将棋とチェスの異種格闘技戦か?」
「うん」
「ルールは?」
「チェスはそのままよ。将棋はチェスの駒を持ち駒に出来るけど、ナイトは桂馬になるし、クイーンは将棋にない駒だから打てない」
「持ち駒制度ありの将棋と、高火力が売りのチェスか。面白そうだな」
「アリスもそれでかまいまセンよー」
「決まりですね」
将棋VSチェスで一局。
「チェックメイト!」
「え?」
将棋サイドの瑞穂は一瞬で詰んだ。
「チェスには飛車(ルック)と角(ビショップ)が2枚ずつ、クイーン、そして八方桂のナイトがいるからな。油断してると死ぬぞ」
将棋には1枚ずつしかない飛車と角が、チェスサイドには最初から2枚ある。
そこにナイトとクイーンが加わると手に負えない。
「瑞穂には荷が重すぎるな。俺と指そう」
「ぬふふ、グッド度胸デスね」
アリスの速攻を警戒し、守りを固める。
「アタック!」
「ぐ」
ナイト・ルック・ビショップ・クイーンの強烈な波状攻撃。
持ち駒を打つ暇もない。
だが『急戦ならチェス、持久戦なら将棋』というのはわかった。
この攻撃を受けきれば俺の勝ちだ。
「よし、しのいだ!」
「ぬ」
アリスがたまらずキングを前に逃がす。
俺はそれを詰ませようと……
「ん?」
違う。
キングは逃げたのではない。
「キングで攻めてきた!?」
「ふふん。チェスは終盤(エンディング)になるとピースが少なくなりマスから、キングもかつよーしないとチェックメイトできないのデスよ?」
チェスは持ち駒制度がないから、駒は盤上に戻ってこない。
それはこのゲームでも同じ。チェスサイドに取られた駒は戻らない。
急戦をしのいでチェスの駒をいくつか持ち駒にしてるが、それを打つ暇もほとんどなかった。
つまり盤上は極めて駒が少なく、感覚的にはチェスと同じような状態。
キングが活きる形だ。
「チェックメイト」
「ま、参った。……初級者と有段者の最大の違いは受けだから、初級者レベルなら将棋よりチェスの方が強いのか?」
「ショーギはパラシュートでいつでもキングをアタックできマスから、ビギナーはディフェンスしきれまセン」
「そうだな。将棋は自分と相手の駒の間に持ち駒を打って守ることもできる。なんの調整もしてないのに、トータルバランスは結構いいのかもしれん」
競技として定跡が確立されたらバランスは崩れるだろうが、初級者が遊ぶ分には十分だ。
将棋VSチェス、あなどれない。
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