「野球盤をしましょう」
「でかっ!」
どうやって持ってきたのか。
先生の持参した野球盤は、小さめのテーブルからはみ出すほどの大きさだった。
「ルールは普通の野球と同じ?」
「はい。人が駒になって動くすごろくです。ピッチャーが投げるボールをバッターが打つ。これは実際の野球と違って、ボールが止まったエリアに書かれている数字だけマスを進めます。ホームに戻ってきたら1点」
「ナルホド」
「投げて打つだけなので、すぐに慣れますよ?」
たしかにスポーツとしての野球を説明することに比べれば、野球盤はずっと簡単だろう。
「では2チームに分かれてプレイしましょう」
クジ引きの結果、俺は瑞穂と、先生はアリスと組むことになった。
考えられる限り最悪の組み合わせだ。
勝ち目は薄い。
「今日はなに賭けるの?」
「お菓子のホームラン王だ!」
パイナップルやチーズをイタリアンメレンゲのクリームで包み、ソフトカステラの生地で挟む。
いわゆる『ブッセ』。
昭和の香りのする素朴で懐かしい味だ。
「ぱさぱさデス」
「乳酸菌飲料を飲め」
お菓子のホームラン王に、日本一有名な乳酸菌飲料。
これぞ野球ファンのおやつだろう。
「プレイボール!」
アリスのコールで試合開始。
俺たちは先攻だ。
「このレバーを動かせばいいのね」
感触を確かめるようにバットを振る。
先生はプレートと野手の人形を移動させた。
プレートはシングル、二塁打(ツーベース)、三塁打(スリーベース)、アウトの4種類。
これはプレイヤーが自由に入れ替えられるらしい。
ボールの飛びやすいエリアにアウトとシングルのプレートを入れておけば、相手を打ち取りやすくなる。
一方、野手の人形は壁だ。
野手の手前にあるエリアにボールが入ると無条件でアウトになる。
この人形に当たればアウトのエリアにボールが入るか、左右に弾き飛ばされてファールになりやすい。
現実の野球と違って、野手に当たってファールグラウンドに出てもファールと判定されるのだ。
逆にファールグラウンドに飛んだボールが跳ね返り、ヒットエリアに飛んでもヒットになる。
人形をいかに配置するかが肝だ。
心なしか先生は右寄りのシフトを引いていた。
右バッターがバットを振り切れば打球は左へ飛ぶ。
右寄りに守っているということは、振り遅れる可能性が高いということだろうか?
「行きます」
先生がレバーを操作すると、ピッチャーの人形が体をひねった。
そしてもう一度レバーを操作するとボールが投げられる。
「速っ!?」
凄まじい速球がキャッチャーエリアに吸い込まれる。
普通、離れた場所から観戦しているとスピードは遅く見えるものだが……。
これは横から観ても速い。
実際に対峙している瑞穂にはもっと速く見えているだろう。
打つのは難しそうだ。
「こんなに速いとストライクとボールの判定できなくない?」
「キャッチャーエリアは3分割されています。真ん中にボールが入ればストライク。左右のエリアならボールですよ?」
「へー」
エリアのどこに入ったかで判定できるようになっているのか。
細かいところまで考えられている。
「それにしても投球モーション付きとは凝ってるな」
「モーションがないといつ投げるのかわかりませんから」
「あー。反則投球対策か」
モーションがないとバッターはいつ投げられるのかわからないので、ピッチャーは相手の不意を突いて投げることができる。
おそらくノーモーションを利用した反則が横行したからだろう。
「ではもう一球」
先生が二球目を投げた。
「曲がった!?」
ボールはもう一つのレバーによって右に左に変化した。
ボールは金属製なので、ボードの下に仕込まれている磁石を動かせば変化球になる仕組みらしい。
問題は縦の変化だ。
「落ちた!?」
瑞穂があえなく三振する。
バッターの手前にパネルがあり、それが開いてボールが下に落ちたのだ。
○ ○
 ̄ ̄ ̄ →  ̄ ̄\ →  ̄ ̄\○
「『消える魔球』です」
「いや、フォークでしょ」
「消える魔球です!」
謎の力説。
そこは大事なところらしい。
それにしても厄介な球だ。
バッターの手前で消えられたらどうしようもない。
ストライクゾーンの下に行くので、見逃せばボール球になるのが唯一の救いか。
「行きますよ」
バタバタ
先生が消える魔球のパネルを上下に動かしてフェイントをかけてくる。
たぶんストレートだろう。
山を張ってバットを振ると、あえなく空振りを喫した。
「げ、シュート!?」
「パネルが動いたからといって消える魔球が来るとは限りませんよ?」
「ぐ」
「行きますよ」
ピッチャーが体をひねり、ストレート。
やはり速い。
ストレートか変化球か見極めて打とうなんて悠長なことを考えていると、確実に振り遅れる。
タイミングを早めに取らなければ打てないだろう。
「次、行きますよ」
ピッチャーが体をひねる。
ぽんぽんボールを投げられるので意外にテンポがいい。
三球目はスローボールだった。
はた目には絶好球。
しかし、
くるん
「うああ!?」
ボールがまだ手元に来てないのにバットを振ってしまう。
「なにやってんのよ」
「タイミングを早めに取ってるから、つい振ってしまうんだよ!」
「すとらっくあうと!」
あえなく空振り三振。
「ふふふ。実際の野球と同じですよ? 速球の後のスローボール。緩急(かんきゅう)をつけて相手を翻弄(ほんろう)しましょう」
「……逆にスローボールの後に速球を投げられると、いつもより速く感じるってことか」
「そういうことです」
「次は私ね」
凡退したのでバッター交代。
「えいっ!」
瑞穂がスローボールを真正面に弾き返した。
くるくる
「え」
しかしボールはピッチャーにぶつからず、その手前でくるくると回った。
「なにこれ?」
「バッティングの基本はセンター返しですが、正面には変化球を投げるための磁石が埋め込まれているので、打球が弱いと磁力に捕まってしまいます」
「この場合はどうなるの?」
「『何もないエリアにボールが止まったらシングルヒット』というのが公式ルールです。ただローカルルールではピッチャーゴロでした」
「……まあ、ピッチャーゴロだよな」
「そうね」
「すりーあうと、ちぇんじ!」
結局、点を取るどころか出塁すらできずに1イニング終わってしまった。
「私投げたい!」
「好きにしろ」
「いえー」
瑞穂が試しに何球か投げ込んだ。
投球方法は簡単。
レバーを後ろに引いて放すと、バネで自動的にレバーが前に出る。
その勢いで球が発射されるのだ。
思いっきり後ろに引けば速球、少しだけしか引かなければスローボールになる。
横のレバーで磁石の位置を変え、消える魔球のパネルを動かす仕組みだ。
「行くわよ」
「かもん」
ピッチャー振りかぶって第一球。
かきん
「うおお!?」
アリスがストレートを弾き返し、鋭い打球がサードの人形を吹き飛ばした。
小さくても金属の球、凄まじい威力だ。
「ぬ、アウトですネ」
「たしかに左右に跳ねたボールがアウトのエリアに入ってしまいましたが……。ローカルルールでは野手の人形を吹き飛ばせばシングルヒットでしたよ?」
「強襲(きょうしゅう)ヒットですか?」
「はい」
強襲ヒットとは、普通ならアウトになるコースに速い打球が飛び、野手が反応しきれずボールを弾いてしまうことだ。
普通の打球を弾けば野手のエラーだが、強襲の場合、打球の勢いが強いから弾いたのでエラーではなくヒットと記録される。
……しかし野手を吹き飛ばすとヒットになるとは。
どこの殺人球団(アストロズ)だ。
「次は先生の番ですね」
バッター人形を左打席に移動させる。
先生なら速球に振り遅れることはないだろう。
野手の人形を右寄りに移動させてシフトを引く。
先生なら逆方向のバッティングも出来そうなので、リスクは高いかもしれないが。
やらずに取られるよりはやって取られる方がいい。
「行くわよ」
瑞穂が先生の真似をして消える魔球のパネルをパタパタする。
ストレートか消える魔球か?
選択したのは消える魔球だった。
だが、
かきん
「え」
「ホームラン!」
「ええ!?」
ボード下に消えるはずのボールが場外へ消えた。
「な、なんで?」
「消える魔球は速すぎると滞空時間が長いので打てるんですよ? 遅い球なら見極められますし」
○ ○ ○←速球
 ̄ ̄ ̄ →  ̄ ̄\ →  ̄ ̄\○←スローボール
球の勢いによって落ち方が違う
「そんな攻略法が……」
改めてスローボールの重要性を痛感する。
次の打席でアリスを打ち取り、先生の第二打席。
懲りずに瑞穂が消える魔球のパネルをパタパタする。
「えいっ!」
速球は打たれるのでスローボールの消える魔球を投げた。
しかし、
かきん
「ええ!?」
ボード下に消えるはずのボールを再び打ち込まれる。
ホームランにこそならなかったが、3ベースヒットだ。
「ちなみに消える魔球は落ちる前に叩くこともできます」
先生がバットを振ってみせる。
バットの先端がパネルの手前まで届くようになっていた。
たしかにこれなら打てる。
ただし常に同じ場所でボールを叩くことになるので、野手人形の守備配置やプレートの設定によっては打ち取れる気がしないでもない。
「ぬふふ、チャンスですネ!」
アリスが意気揚々とボールを外野へ弾き返すものの、
「しっと!?」
ボールはアウトエリアに転がってしまった。
「犠牲フライですね」
「え」
「1ナウトランナー3塁で、外野でアウトですからタッチアップできます。ローカルルールですけど」
「……理にはかなってるな」
初回で3失点。
絶望的だ。
「こうなったらできることを全部やるしかないな」
外野手の人形を内野に集める。
「な、内野手7人シフト!?」
外野までボールを飛ばさせない究極の守備シフトだ。
「えいっ!」
「う……」
「すりーあうと、ちぇんじ!」
先生はストレートをバットに当てたものの、極端な守備シフトが幸いしてアウトになった。
「揺さぶっていこう」
バントの構えをする。
変化球が来た時はバットを引き、ストレートの時はバットを振る『バスター打法』だ。
「無駄ですね」
ずどん
「うわあ!?」
凄まじいスピードボールが投げられ、バントに出していたバットが後ろへ吹き飛ばされた。
「なに今の?」
「『剛速球』です。レバーを後ろに引き、元に戻る勢いでボールを投げるわけですが。デコピンでレバーを押し込むとさらに速い球を投げられるんですよ? 球が重すぎてファールにしかなりません」
「ファールにしかならないって反則技じゃないですか!」
「では剛速球は禁止にしましょう」
先生は一転してスローボールを投げた。
タイミングよくバットを振る。
しかし、
くるくる
「な!?」
「『回る魔球』です」
さっき瑞穂がピッチャー返しでボールがくるくる回ったように、先生のスローボールが磁力に捕まり、バッターの手前でくるくると回った。
当然ボールはホームベースに届かないため打つことは不可能。
見逃せばボール球だが、打ち頃の球なのでつい振ってしまう。
「ならこういうのもアリですよね?」
ぽーん
「ふぁっ?」
ボールが上に浮き上がり、アリスの振ったバットの上をボールが通過する。
消える魔球のパネルを下に降ろしておき、ボールが来た瞬間に跳ねあげたのだ。
○
○ ○
 ̄ ̄ ̄ →  ̄ ̄\ →  ̄ ̄ ̄
「『ライズボール』だ!」
「……もう何でもありね」
「くれいじー」
野球盤の構造を利用した技ばかりなので反則ではない。
たぶん。
「ぜんぜん打てないんだけど。バッティングのコツとかないの?」
「そうですね。レバーを操作する腕の動きで何を投げるか予測できますよ? それと砂鉄を一粒置いておけば、ボード下の磁石が動いた方向へ砂鉄が動くので球種を予測できます」
「それバッティングのコツじゃないから!」
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