「じゃーんけーんぽん!」
俺がパー、瑞穂はグーだった。
「ずこー」
「……懐かしいネタだな」
駄菓子屋などに置いてあったじゃんけんゲームだ。
『じゃーんけーんぽん!』『あーいこでしょ!』『ずこー』『ラッキー!』とテンポよく音声が流れ、つい何度も対戦してしまう。
「あんまんは俺のものだな」
「うう……」
ちなみに今回は店の売れ残りを賭けたじゃんけんである。
「お茶は『碧螺春(へきらしゅん)』にしよう」
文字通り春摘みの茶葉だ。
「え、何してんの」
「これが中国流だ」
グラスに直接茶葉を入れてお湯をそそぐ。
これが中国の緑茶の淹れ方なのだ。
「碧螺春の場合は白い産毛が浮いて、茶葉が開いたら飲み頃だ」
「へー」
グラスに淹れて飲むことが多いので、名前の由来である螺(ら)すなわち巻貝のように螺旋状になっている茶葉を目で楽しむこともできる。
「ちょっと気持ち悪い」
……見た目を嫌う人間もたまにいるが。
とにかく茶葉も開いたので、あんまんを一口。
モチっとした生地に、小豆の一粒一粒が存在を主張するつぶあん。
砂糖こそまぶされていないが、質の高いつぶあんは甘納豆を口いっぱいに頬張るような贅沢感がある。
しかもあんこにはラードが使われており、こってりした甘さを碧螺春で和らげるのが心地いい。
3分の2ほど減ったお茶にお湯を継ぎ足す。
中国の緑茶は途中まで飲んだら、お湯を足して飲むのが普通だ。
こうすることで味も香りも変わる。
「……美味しそう。あー、もう何で勝てないのよ」
「お前が弱いからだろ」
「3分の1の確率なんだから強い弱いもないでしょ。なのになんで私ばっかり負けるの」
「そんなだから勝てないんだよ。たとえば今、手の形はどうなってる?」
「どうなってって……。ちょっと丸まってる? 何かボールを握ってるみたい」
「丸まってるのが自然な状態で、手を開くには少し力を入れまいといけない。だからじゃんけんで咄嗟に何かを出そうとした場合、グーを出すのが最も自然で、次がパー、そして複雑な手の形をしているチョキを出す人間はほとんどいない」
「グーを出す確率が一番高くて、チョキが低いわけだから、困った時はパーを出せばいいのね」
「そういうことだ。ただしリラックスして体の力が抜けている場合、掌が開くからパーを出す確率が高くなる」
「……それで私が何を出すのか読んでたのね。じゃあもう一勝負よ!」
「いいだろう。最初はグー!」
「じゃーんけーんぽん!」
俺はグー、瑞穂はチョキだ。
「何でよ!?」
「ずこーって言えよ」
「言わないわよ! なんで勝てないの!」
「同じ手を続けて出したくないのが人間心理だ」
「同じ手? 確かにさっきはグー出したけど、そんなこと考えもしなかったわよ」
「決め手は『最初はグー』だ。あれをやってしまうと、人はもうグーを出した気になってしまう。で、お前は無意識にグーを出すのはやめて、でもグーの次にパーを出す確率が高いと知ったから、出る確率の低いチョキで裏をかこうとしたわけだ」
「……ええ、なにそれ。そこまで考えてるの?」
「当然だ」
「じゃんけん恐い」
もちろんそこまで考えていない。
ただこういう知識が頭にあると、だいたいこいつが何を出すのかわかるだけだ。
「じゃんけんには国際的な協会もあるし、世界大会もあるんだぞ。運だけじゃ勝ち抜けない思考ゲームだ」
「へー」
ちなみに最初はグーをやると、グーの確率がかなり減って、パーとチョキの出る確率はほぼ五分になる。
覚えておいて損はない。
翌日。
「じゃーんけーんぽん! やった、勝った!」
「誰が一回勝負って言った? 普通は三回勝負だろ」
「自分が勝ってたら一回勝負で通すつもりだったんでしょ?」
「なんのことやら」
わざとらしくとぼける。
なお一回勝負で負けたら三回勝負だとごねる作戦は、じゃんけん協会も認める立派な戦法だ。
「……昨日は何度もじゃんけんしてやっただろ」
「それはそうだけど……」
まあ、勝てる自信があったからじゃんけんしたまでの話だが。
「というわけでじゃんけん!」
「ええ!?」
「ぽん!」
不意打ち気味に勝負を仕掛け、瑞穂が無意識に手を出すように仕向ける。
もちろん俺の勝ちだ。
じゃんけんで勝っている場合、唐突に勝負を挑まれると、直前のじゃんけんで勝った手を出す確率が高い。
「ま、まだ一回あるわ!」
「いくぞ」
「じゃーんけーんぽん! あーいこでしょ!」
「俺の勝ちだな」
「ぐぬぬ」
「おやつは俺のものだな」
おやつは杏仁豆腐。
相性がいいのは『黄山毛峰(こうざんもうほう)』だろう。
これも中国の緑茶だ。
茶葉が山のようだから毛峰である。
芽がスズメの舌のようなので『雀舌』と呼ばれることもあるという。
軽いのでお湯をそそぐと茶葉が浮く。
浮いた茶葉が沈んだら飲み頃だ。
甘く、上品な香りがするので欧米でも人気が高い。
まずは杏仁豆腐をそのまま楽しみつつ、黄山毛峰をたしなむ。
そして黄山毛峰にお湯を足して味と香りを変化させたら、杏仁豆腐にも『桂花醤(けいかじゃん)』のシロップをかける。
「金木犀(きんもくせい)の匂いがする」
「よくわかったな。桂花醤は金木犀を砂糖で漬け込んだものだ」
このシロップは砂糖を水で煮詰めて冷まし、レモンと桂花醤で味を調えたもの。
アーモンドのような杏仁の香りと、金木犀の香りが混じりあう。
レモンの酸味は杏仁豆腐の甘味を引きたてていた。
ついでに体もほっこり温まる。
女性向けのスイーツだ。
「うう、今度こそ負けないんだから!」
「ならいいことを教えてやろう。あいこになったら、その手に負ける手を出すのがセオリーだ」
「なんで?」
「人は自分の出した手に勝つ手を出そうとする。特にお前みたいに負けて追い詰められている人間ほどその傾向が顕著だ。だからグーであいこの時ならパーを出す。でもグーに負ける手を出しておけばチョキだから勝てるだろ?」
「なるほど。他にもなんかない?」
「同じ手を続けてきたら、次は違うものを出してくる確率が高くなる。ただ同じ手を続けて負けたら、まず同じ手は出してこないな。相手の手に勝てる手を出してくる」
「わかった。もう負けない。次が最後の一勝負よ!」
「いいだろう。俺はグーを出す」
「え」
これで既存のセオリーは全部潰した。
「さあ、どうする? 信じるか、信じないか」
「じゃ、じゃあ私はパー出すから!」
「お前の手なんかどうでもいい。なぜなら俺はもう出す手を決めてるからな。考えるのは、口先だけで実はまだ何を出すか決めてないお前だ。果たして俺はグーを出すのか出さないのか」
「うう……」
瑞穂が半泣きになりながらも手を決めた。
「じゃーんけーんぽん!」
「……ん、俺の負けだな」
「やった!」
子供のように飛び上がって喜び、うれしそうに杏仁豆腐を頬張る姿に苦笑する。
こいつはいつ気づくのだろう。
「美味いか?」
「うん」
「よかったな」
相手の手を読めればいつでも勝てる。
逆にいえば『いつでも負けられる』ということだ。
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