「あ、囲碁?」
「違う」
「え、どう見てもそれ囲碁じゃ……ない!?」
盤上を覗き込んで瑞穂が驚愕した。
無理もない。
「なにこれ」
「『広将棋(こうしょうぎ)』だ」
盤は囲碁と同じ19路盤。
使っている駒も碁石だ。
囲碁や中国将棋(シャンチー)のようにマスではなく、線と線の交点に駒を置く。
白石には黒で、黒石には白で文字が書かれている。
裏は赤字だ。
「……駒が多すぎて意味わかんない」
「これでも荻生徂徠の考案した由緒正しき将棋なんだぞ」
「へー」
使われてる駒はほとんど荻生徂徠オリジナル。
世間のイメージとはかけはなれた仕事だ。
「オリジナルの駒ばっかりだから覚えるだけで一苦労なんだよ。豆食いながら罵ってやりたい」
「豆?」
「『炒り豆をかじりながら古今の人物を罵るは最大の快事なり』。荻生徂徠の言葉だ」
「炒り豆食べたい」
「後でな」
ちなみに尾崎放哉の句に『人をそしる心を捨て豆の皮むく』というものがある。
徂徠が聞いたらどんな顔をするだろう。
「そういや『徂徠豆腐』とかいう落語もあったな」
「大豆が好きなのね」
徂徠のイメージがどんどん変な方向へ歪んでいく。
「炒り豆なら今日はコーヒーとアーモンドだな」
「いえー!」
小麦粉・卵・バター・砂糖でクッキー生地を作りオーブンで焼く。
その間にスライスしたアーモンドを乾煎(からい)りし、ハチミツや生クリームなどで煮詰めた。
そしてクッキーを取り出し、煮詰めたアーモンドを上にのせ、再度オーブンへ。
「まだー?」
子供か。
「乾煎(ロースト)アーモンドでもつまんでろ」
「はーい」
リスのように前歯でカリカリする。
『あしながおじさん』でジュディが実験室から戻ると、リスがお茶のテーブルでアーモンドをごちそうになっているシーンを思い出した。
「さて、菓子が焼き上がるまでは将棋の時間だ」
「広将棋の面白い駒は?」
「たくさんありすぎて説明に困るな。たとえば広将棋の歩は名前こそ本将棋と同じ歩兵なんだが、前後左右に動けるから強い。おまけに『歩総』に成ると縦にいくらでも動ける」
●
●歩●
●
●
●
●
●総●
●
●
●
「強すぎでしょ」
「こんなのはまだかわいいもんだぞ。広将棋はここからが面白い。広将棋には『鼓』って駒があってな、この駒を取られると『歩が前に進めなくなる』」
「ええ、なにその斬新なルール!」
軍隊がホラ貝やラッパの音を合図に動くことからの連想だろう。
楽器がなくなったら突撃できなくなるわけだ。
● ●
●鼓●
● ●
「しかも鼓は『霹靂(へきれき)』って駒に成れてな。これは前後左右に1マスしか動けないかわりに、一手で5回も動ける」
「5回行動!?」
「最大で5枚の駒を取れるわけだが、絶対に5マス動かないといけないっていう微妙な弱点もある」
「これが青天の霹靂……!」
「まだまだあるぞ。わかりやすいのは『弓』『弩』『砲』『仏狼機(ふらんき)』だな。こいつらは移動した後、相手の駒を『射る』ことができて……」
「遠くにいる駒を撃つの?」
「ああ」
● ●
射
● ●
射撃駒はどれも斜め一マスにしか動けない
● ● ●
● ● ●
●●●
●●●射●●●
●●●
● ● ●
● ● ●
射撃は縦・横・斜め八方向。
弓・弩は3マス、砲は5マス、仏狼機は7マス以内にいる駒をその場から動かずに撃ち殺すことができる。
「でも弓・弩・仏狼機は駒を飛び越えては撃つことはできない。砲は駒を越えて撃てる射撃駒だ」
例 砲─金→王
砲は間の駒を飛び越えて撃つことができる
他の射撃駒はできない
「間の駒を飛び越えることはできないが、仏狼機は一手に2枚の駒を撃てる」
「つよ」
なお仏狼機とはフランク人(ポルトガル人やスペイン人いわゆる南蛮人)であり、彼らがもたらした大砲の種類でもある。
日本では大砲の仏狼機を『国崩し』とも呼んでいた。
「これは『牌総(はいそう)』」
● ●
●●●牌●●●
● ●
横にだけ走れる
「砲でも仏狼機でも撃つことができない駒で、砲は敵味方問わず牌総の駒を飛び越えて撃つことは出来ない」
「へー」
撃つことができないのは、牌が中国語で盾を意味するからだろう。
とりあえず広将棋の駒(碁石のままだと使いにくいので、ちゃんと将棋の駒に掘った)で指してみる。
射撃駒は機動力がないので守りに専念。
「どすこい!」
瑞穂は獅子と同じく2回行動のできる力士で攻めてきた。
狙いは鼓だろう。
これを奪って歩の動きを封じるつもりだ。
ついでに敵陣に垂らして(垂らす=次の一手で成れる位置に持ち駒を打つこと)霹靂を作れば勝利は確定。
「させるか!」
直線的に攻めてきた力士を取って鼓を守り、
「これで詰みだ!」
「は?」
力士を打って王手をかけた。
「詰んでないわよ?」
「力士は獅子みたいに2回行動できるだろ? なら持ち駒として打った場合、もう1回動けないとおかしい」
「2回行動できるを駒を取られたら絶対詰むじゃない!」
「じゃ『打ち力士詰め』は禁止にしよう」
「当たり前でしょ」
しぶしぶ力士の駒を戻し、仕切り直そうとした所で菓子が焼き上がる。
グッドタイミング。
オーブンを開け、菓子を取り出した。
「なにこれ?」
「フロランタン。フランス語で『フィレンツェの』って意味だ。まあ、フランス菓子つってもルーツはイタリアなんだが」
「美味しそう」
フロランタンを長方形に切り分けて皿に盛る。
お茶は紅茶。
茶葉はケニアだ。
ポットに茶葉とローストしたスライスアーモンドを淹れ、お湯をそそいで蒸らす。
そこへミルクを加えてさらに蒸らし、軽く混ぜてから茶こしで濾(こ)す。
「親愛なるムカデ夫人。砂糖は1つ? それとも2つ?」
「1つ!」
これもあしながおじさんのリスのシーンだ。
あしながおじさんはいわゆる『書簡体小説』。
ジュディがあしながおじさんに送った手紙によって構成されている。
そしてジュディは手紙にはよく絵を添えていた。
この挿絵は作者のジーン・ウェブスター直筆であり、非常に味があって面白い。
リスのシーンの挿絵には、リスの他に小鳥とムカデがイスに腰かけており、
"my dear mrs Centipede.
will you have one lump or two?"
ジュディがムカデに向かってそう語りかけているのだ。
瑞穂のオーダーどおり砂糖を少々、生クリームとアーモンドを盛る。
「ほれ、ナッツミルクティーだ」
「ん、あまい。それにこのフロランタン。うーん、ナッツミルクティーに合わせると青酸カリの匂いが際立つわね」
「……アーモンドの香りを台無しにすんな」
「軽いジョークでしょ」
青酸カリは服毒して胃酸と反応するとアーモンド臭がするらしい。
ブラックジョークはともかく、フロランタンとミルクティーで疲労回復。
糖分で頭もすっきり冴えわたった。
「これで詰みね」
「は?」
砲を打って王手をかけてきた。
……いやな予感がする。
「詰んでないぞ?」
「砲は2回行動できないけど、移動した後に敵を撃つことができるのよ? だったら持ち駒として打った場合、撃てないとおか……」
「俺がやったのと同じだろうが!」
こうして『打ち撃ち詰め』も禁止になった。
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