「ドロップ!」
カフェに帰宅すると、アリスが水槽へ一円を投下していた。
硬貨は真っ直ぐ水中に落ちたにもかかわらず、まるで紙が空中を舞うがごとくヒラヒラとあらぬ方向へ落下する。
「シット!」
「コイン落としか」
縁日でたまに見かける屋台だ。
水槽は水で満たされ、底には小皿が置かれている。
客は空中からコインを落とし、皿に入れることが出来れば景品を貰えるゲームだ。
水槽には既に一円玉が5枚ほど沈んでいた。
「意外に難しいわね」
「簡単だと商売が成り立ちませんから」
「反則技でいいなら一発で落とせるぞ」
「ワンショットキル!?」
「参考にはならんぞ」
500円をつまみ、指を水の中に入れてそのまま落とす。
硬貨はさっきのようにヒラヒラ舞うこともなく真っ直ぐ皿へ落ちた。
「え、なんで」
「水槽の上から落としたんじゃまず成功しない。コイン落としを成功させるには、水面に対して垂直に落とさないといけないわけだから、機械でもない限り狙って落とせん」
「……えっと、コインを垂直に落とすだけよね?」
「コインが少しでも傾むくと、コインの表面で水面を叩いてしまう。着水時の衝撃は馬鹿にならんぞ。それに浮力が加わればもう駄目だ。どこに落ちるか判らん」
「ナルホド」
「コイン落としを成功させるにはまず重い硬貨を使うこと。一円みたいに軽いと浮力でフラフラするからな。それとコインを水につけて落とす。これならコインで水面を叩きようがないわけだから、真っ直ぐに落ちやすい」
「ようするに一瞬でいいから屋台の店主の視線を逸らせて、その隙に水面に硬貨をつけろってことね」
「捕まるぞ。しかしなんでまたコイン落としなんだ?」
「お祭りの出し物の一つにしようと思いまして」
「……たしかにこれなら簡単ですけど」
コイン落としの屋台は誰かがやっているはずだ。
そこへ若い人間が割って入るといい顔はされない。
ヤクザににらまれるのは困る。
「同じコイン落としならこっちはどうだ?」
エスプレッソをカップになみなみと注ぐ。
そして取り出したるは五円チョコ。
「表面張力ゲームね!」
「ご名答」
「ほわい?」
「表面張力で液体がなかなか溢れないことを利用したゲームだよ。五円チョコをコーヒーに入れて、溢れさせたら負けだ」
「でも液体の温度が上がるほど表面張力は小さくなりますよね?」
「え」
「……あんた、やったことあるんじゃなかったの?」
「水とコインではやったことあるんだが……。さすがに珈琲ではないな。たまたま五円チョコ持ってたから、これコーヒーに入れたらカフェモカになって面白いんじゃないかと」
温度による表面張力の変化なんて考えたこともなかった。
「まあ、コーヒーも結構表面が盛り上がるしな」
「泡でしょ」
「じゃあコーヒーじゃなくて泡をこぼれさせたら負けってことで。スチームミルクとホイップクリームとヘーゼルナッツシロップを入れて温度を下げよう」
チョコ投入前なのにかなり甘そうだ。
温度を下げたらチョコが溶けにくくなってしまうような気もするが、この際細かいことは置いておこう。
「一度に何枚でも入れていいんですか?」
「最低でも一枚。上限はありません」
「じゃあ私からね」
瑞穂が25円つまんだ。
「いきなり五枚!?」
「テーブルに手を触れないで」
「いえっさー」
震える右手を左手で押さえつけ、25円を投入。
「ふー」
表面は波打ったが泡はこぼれなかった。
「次は俺か」
チョコを一枚つまみ、テーブルを周ってどこからカップに落とすか決める。
「よし、いくぞ」
「待ってください」
「……なんですか?」
「そのチョコを見せてください」
「ぐ」
やむなく掌を見せる。
「あ」
「ハーフ&ハーフ!?」
「やっぱり『パーム』でしたか」
俺の掌の上には真っ二つに割れた五円チョコがあった。
テーブルを周っている間、ひそかに掌の中でチョコを割ったのである。
もちろん半分欠けたチョコを見られたらバレてしまう。
そこで割れた部分を指で隠し、横から見られないようにテーブルを周って他の三人の位置を移動させたのだ。
だが慣れていないのでつまみ方が不自然だったらしい。
これは手品でいうパームという技術の応用で、手の中にカードやコインを隠す技だ。
あらかじめ手の中にタネを隠しておいたり、あるいは観客に気づかれないようにカードなどを隠すテクニックである。
「あんたの負けね」
「それはない」
「なんですって?」
「最低でも一枚とは言ったが。一回で入れなければいけないとも、チョコを割ってはいけないとも言ってないだろ。俺はこぼれないように半分ずつ入れようとしただけだ」
「ぐぬぬ」
「……イカサマの指摘が早すぎましたね」
せめて俺がチョコを入れるのを待つべきだった。
先生らしからぬ失態である。
まあ、イカサマのばれた人間のいうことではないが。
「クラッシュ!」
アリスは俺と同じ要領でチョコを四等分する。
「そー」
震える手で四回チョコを投入していく。
確かに一回でこぼれる可能性は低くなっているが、四回入れなければならないのはマイナス要素な気がしないでもない。
だからといって八等分、十六等分までされると困るが。
「ん、十六等分?」
嫌な予感がする。
「ふふ、先生の番ですね」
慎重に一枚投入。
そして、
「はっ!」
「な!?」
先生が掌の中でチョコを粉々にした。
「落とすのは最低でも一枚。つまり最初の一枚さえ落としてしまえば、後は自由ということですよね? たとえば一枚と四分の一でもいいし、八分の一でもいい」
「な、まさか!?」
「刻みますよ。溢れる一つ手前まで!」
先生が粉々にしたチョコを更に細かく粉砕し、パラパラと振りかけ、0.001ミリ単位で水嵩を増やしていく。
これはもはや表面張力ゲームじゃない。
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