ここより本編、14歳の百合子の物語の導入部になります。
何卒よろしくおねがいします。
まえがき
冬の五輪で数え、三回前、平昌五輪(ぴょんちゃん)、ソチ五輪よりも前のバンクーバー五輪の開催年となる2010年。
エイプリールフールから数え、4日目の4月5日。
世界の地図で見て、ファーイースト(FarEast)の海上に位置する日本列島。
列島の中心、本州のはるか東側の広い平野から海に突き出て、一年中温暖な気候に恵まれた場所。
東京・さいたま・横浜などからもそう遠くなく、春夏秋冬を通して多くのレジャー客が訪れる房総半島(ぼうそうはんとう)。
半島の突端の近くには、里美八犬伝(さとみはっけんでん)の舞台でもある館山(たてやま)の街があった。
百合子は、14才、館山の中心街から城山公園(しろやまこうえん)・上真倉(かみさなぐら)よりにある長須賀(ながすか)に住んでいた。
いつも、紺色とクリーム色または銀色・菜の花色のツートンカラーの東鉄内房線(うちぼうせん)電車に乗り、君津にある私立の中学校に通っていた。
百合子は、当時、夏に大輪の花を咲かせるやまゆりのごとく容姿端麗(ようしたんれい)であり、性格もおとなしく、クラスの仲間からも慕われていた。
まさに、どこにでもいるごく普通の中学生だった。
だが、そんな彼女には、ほかの人と違うところがあった。
それは、今いる父親の芳夫(よしお)・母親の美香(みか)が養親であり、生みの父母に関わる手掛かりや記憶を持っていないことであった。
本編
さて、長い時間、館山の街を照らしていたお日様がりんご飴のように紅い夕日となって地平線の先に沈み、まもなく星の輝く空に包まれた。
百合子は、所属するテニス部の全体練習を終えて内房線の電車にのって帰宅した。
「百合子、あなたの好きなカレーが出来ているわよ」
玄関先で美香がニコニコとした表情で佇み、百合子に言葉を掛けた。
「お母さん、ありがとう」
百合子は、娘らしい元気な表情で美香に答えた。
さっそく、百合子は左手を足元の革靴に掛けて脱ぎ、リビングに移動した。
彼女は、ねこと同じ速さで歩き、紺色のブレザー・スカートと翡翠色のリボンが目立つ制服のいでたちで黒い通学かばんをさげていた。
リビングには、アンティークな椅子やテーブル、デジタル地上波対応テレビがあり、お洒落な雰囲気が漂っていた。
テーブルの上には、常滑焼の洒落た柄のお皿があり、雲のように白くつやのあるご飯が盛られ、カレーがかけられていた。
また、カレーのそばには、作り置きしていたあさりの味噌汁が入れられたマグカップがあった。
百合子は、席について喜びを心の底から湧かせた。
「あぁ、美味しそう。いただきます」
待ちきれない彼女は、食事の挨拶もおわらないうちに、右手にスプーンを持ち、カレーをすくって口に運んだ。
そして、
「おいしい。お母さんのカレーは、いつ食べてもおいしいわ」
百合子は、心洗われたかのような様子で美香に感想を伝えた。
「百合子。そう言ってくれるだけでも、ありがたいわ」
美香は、うれしそうに顔をほころばせ、百合子に言葉を返していた。
百合子は、置いていたかばんを右手に持って階段を上がり、二階にある自分の部屋に向かっていった。
それとともに、彼女はかばんを床にそっとおき、ベッドに身体を横たわらせ、あるものを目で見つめた。
彼女の目線の先には、広瀬家の家族写真があった。
家族写真には、3年前に故人となった祖父、そして養親と11才の彼女の姿が写っていた。
その写真にうつる一同の姿は、笑顔に満ち溢れた様子を感じさせた。
「血のつながりのある家族って、どういう感じなのかな? できるのなら、本当のお母さんやお父さんに会って、血のつながった親子の空気を思いっきり吸ってみたいわ」
百合子は、その写真をうるうるとした眼差しで眺めながら、物思いにふける様子で脳裏に言葉を浮かべた。
自らが広瀬家の養女ということに少し違和感を抱いてか、"実の両親に顔をあわせたい"という淡き憧れを抱かせていた。
そうしているうち、彼女は疲れからかほとんど目を開けられないほどの眠気におそわれ、まもなくまどろみの世界に入っていった。
そう、後々 立て続けに起きる出来事を経て、自らの正体・生い立ちを知り、争いに巻き込まれていくことをこの時点で知るよしもなかったのである。
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