男の目は片目が緑に輝いていた。俺は掠れる声と血を吐き出し、光がこぼれる崩れかけの天井を目にし、暗くなる――。
―――――。
「薫! いい加減起きなさい!」
懐かしく、暖かく、叱ってくれるその言葉に目を開ける。見慣れた白い天井、白い枕に顔を埋めながら同じく白い布団を、手で払いのけ俺は上体を起こした。左を向き黒いカーテンを開けると、外からの眩しい太陽の光が差し込み、目を細める。
大きなあくびに伸びをし、ベッドから降りて息を一杯に吸う。ここは俺の部屋だ。窓を背にして立ち上がった俺の目の前には、黒く塗られた木製の勉強机しかなく、殺伐とした生活感の無い部屋に首を傾げる――。
なんでここにいるんだ? 俺は確か……。
「薫! って起きてたなら返事くらいしなさいよー」
質感のいい白い半袖のシャツに、丈がぴったりとあったジーパンを履き、白と黒が交わるポニーテールを揺らし、黒い両目は勢いよく部屋の扉を開け、佇む俺を見ると呆れた顔で溜息を吐いた。それは母親である寺島 美穂の姿だ。俺は懐かしさと嬉しさがこみ上げる。
ここ……いや、これは夢だ。だって母さんは一年前に死んだ。なんでこんな時に昔の夢を見ているんだ? というか俺は確か……。
「夏休みだからって腑抜け過ぎじゃないの? あんた……昨日の夜ノア君と明日ゲームするから起こしてー! とか甘えた事言ってたの覚えてる? それくらいもう自分でしなさいよ。中三なんだから」
「え? あぁ、そうだったけか、ごめん」
幼馴染だった尾上 翔。ゲームの世界でもヴェガスでもノアと呼んでいて、お互いにゲームの名前で呼び合うのが浸透していた。けれど母さんが死んで俺は親戚に引き取られる事になり、引っ越したんだ。
——そう言えば、あれ以来あいつとも会ってないな。一年もだ。ただ母親の死因は事故死とだけ伝えられ、関わった事もない親戚に引き取られ俺はノアに連絡とる程、余裕無かったんだっけ。それが最近になって久しぶりにゲームに手を付けた。
懐かしい記憶に自然と微笑んでいると、震えるか細い声が耳に入る。
「か、薫? その手……どうしたの?」
「え?」
突然両目を震わせ怯えた表情を見せた母さんは手で口を隠し、俺は母さんの視線を追うように自分の両手へと視線を向け、その光景に狭窄する。
さっきまで何も無かったはずが、手首まで血に濡れている左手には鉈を握りしめ、一方右手には大男の髪を掴み、首から下はない。俺は大男の生首と鉈を持っていたのだ――。次第に鼓動は早まり、呼吸が乱れていく。視界までも揺れ出し、ついに叫んだ俺の次に目に映ったのは知らない天井だった。
吐き気に襲われながら、両眼だけで動かし辺りを見るが人影はない。俺は牛革で出来た茶色の大きなソファで横になっていた。強烈な夢からの目覚めに俺は横になったまま額に手を当てると嫌な汗が手にじわりと広がる。
「最悪な夢だ、な」
上体を起こし、もう一度次は首を動かして辺りを見渡す。まるで小さなバーみたいだ。天井には木製の茶色いシーリングファンがゆっくりと回り、ソファの前には長方形の木製テーブル、その先にはカウンターがあり椅子が三つ並んでいる。
さらに奥には棚に酒であろう瓶がずらりと色とりどりに並べてあり、地面も木製で部屋全体が深みのある茶色で統一され、暖色の照明が閑散とした空間を包んでいた。丁度このソファは部屋の真ん中の壁に付けるように配置されており、左を向くと外に続くであろう扉が目に入る。次に右を見ると螺旋状の階段が上へと続いていた。
「ここは……」
……そうだ。ライムが殺された後に俺は大男に敗れて、ミーコと契約し、そして白髪の男に――。あれ? 白髪の男と何を話したんだっけ? とても重要な事を聞いたような――。
ぼんやりと思い出し、同時に黒いシャツを捲り上げ、傷一つない腹に首をひねる。
「治っている……」
「やっと目を覚ましたか。丸一日寝るとは寝坊助だな」
その声に弾かれるように俺は階段の方を睨みつけると、そこには左手にロックグラスを持ちあげて氷をからりと鳴らしながら、腹部に槍を突き刺した白髪の男が、にやりと笑って立っていた。
すぐさまソファから立ち上がった俺は腰に右手を伸ばすが、身に着けていたはずの刀が無い事に気付く。
「くっ……。俺の刀をどこやった!」
「おいおい。そうカリカリすんなよ。ほれ。ここにあるし、お前の契約した神もいる」
グラスを下げ右手に持つ刀を持ちあげ、見せながらそう言った白髪の男の後ろからは、ミーコが顔を出し、俺と目が合うと安堵した表情で溜息を吐き、微笑む。
「ハオ、落ち着くのじゃ。こやつは敵じゃない。寧ろ仲間でおぬしと同じ契約者じゃ……名はクトスと言う」
「はいはい。クトスです。よろしくー」
「契約者……? じゃぁ、お前の神は何処にいんだ?」
ミーコは小走りで俺の隣に並ぶとそのままソファに後ろ向きに飛び座り、クトスと言った男は俺の目の前のテーブルに刀をそっと置き、背を向けると棚の方へ歩きだした。
「おいおい。まさか目印は実態化した神だと思ってる? 視野が狭いねー。俺の契約している神は簡単に言えばプロトタイプだ。感情はあるが実態化はしないし、喋る事もない。まぁ、能力を使う際は微かに意識を感じるくらいって所だな」
「……あの男は? ライムは?」
「おいおい。質問に応えたら、すぐ違う質問かよ。話が早いねー。まったく」
クトスは棚から酒瓶を幾つか手に付けながら、そう返し、ワインボトルの形をした酒に決めたのか、手に持つとカウンター席に腰かけ、長い息を吐く。
「赤毛の子はまだ両親が、死んだことを受け入れられないようで、現状進まない状態だ。これ以上俺達は何も出来んよ」
「……そう、か。」
結局、俺はライムに何もしてあげる事は出来ないまま――。
「お前が切り刻んでた男なら俺がその後PKした。安心しろ、次は無いって散々脅しといたからもうしないだろう。基本オーバーキーラーなんて心を折っちまえばもう復帰できない輩が多いからな」
「オー、バーキーラーってなんだ?」
「殺人者はここではそう呼ばれている」
そう話しながらグラスをカウンターに置き、酒瓶の蓋を捻り開けると、俺を下から上まで見て再びにやりと笑った。気を許さない俺に気が付いたのか視線をグラスに向け酒を注ぎながら何度か頷く。
「うんうん。まぁいきなりお前を串刺しにしたんだ。気を抜かないのが正解だ……とは言え、どうやら傷は完治したようだな。ちゃんと礼言っとけよ」
「礼って……。誰に?」
「あたしよ」
俺の質問は違う声が答えた。心地のいい程よい高さの声だ。階段の方に視線を向けると俺は目を瞬かせ、口をぽかんと開いた。そこには教会で見かけた少女の姿が目に映る。
煌びやかな黄色の大きな両目に眉根を寄せ、ピンク色のセミロングを靡かせる。間違いない。巫女のような姿に赤いミニスカート。白い踝までのブーツ――。そして狐耳だ。半分呆れたような表情で彼女は、螺旋階段から降りてくるとカウンター席に向かってゆっくりと歩き出す。
「き、君はあの時の……」
「え? え、えーと……どこかで会ったっけ?」
驚く俺は思わず一方的な口調で語りかけてしまい、動きを止めた彼女は、案の定彼女は呆れた顔から次は困った表情に変わり、小首を傾げた。
「いや。あの教会で見かけたんだ。それだけ……」
「この子はティアラだ。ハオ……礼は?」
「あ、ありが、とう……ってお前が俺を串刺しにしたんだろ」
「おいおい。あそこで止めてなきゃ、お前は人殺しだったんだぜ? 俺にも感謝してもらいたいね」
苛立たせる言葉に俺は舌打ちをし、眉を顰め、一歩前に強く踏み込む。
「その覚悟はあった……。それにお前こそ何者なんだ。なんであの場所にいた?」
「……俺はこのアウイナイトサーバーの監視という立場だ。このサーバーの統括者、ヴァイスって奴と手を組みながら、ある程度のオーバーキーラーに目を光らせている」
「ある程度だと? ……ふざけるな!」
ティアラは俺とクトスの会話を困った顔で、どちらかが話す度に交互に見ながらも、立ち止まっていた足を進め、ようやくカウンター席に腰を下ろした。怒鳴る俺に対し、両耳を塞ぎ、口を曲げるクトスはかぶりを振りながら続けた。
「おいおい。俺達だって体は一つなんだ。これでも急いで来たつもりだし、赤毛の子に関しては心から残念に思う。だけど俺達は神様じゃない。あくまで契約者で、あくまでただの人間だ。すべてを助けられるわけじゃないんだよ。この手で救える命は元からある程度って限られている」
反論しようにもクトスの言い分にも筋は通っている事に、何も返す言葉が浮かばない俺は次第に眦に入れていた力が抜けていく。
「あいつの言う通りじゃ。たとえ神と契約したとしても結局は人間が動く。それには限界もある。今の話を聞いて争う意味も今はないじゃろう」
付け足すミーコにクトスは仰々しく頷き、俺は溜息と共に、どかりとソファに座った。
「質問はまた受け付ける。けど、今は俺の話も聞いてもらおうか。契約者となったお前が死なないよう、先輩の契約者として教えられる事を教える。……まずは簡単な契約者の見分け方と暗黙のルールについてだ」
「見分け方とルール?」
未だ気の進まない俺の同意も得ず、すらすらと語りだすクトスはグラスに口を付け、酒を一気に飲み干すとまた酒を注ぎだす。
ただ俺は首を傾げ、クトスはグラスに酒を注ぎ終わると、酒瓶をカウンターに静かに置き、次はグラスを持ちあげた。
「そう、神器を使う時は片目の色がその神によって色が変わり、実態化している神はその武器に宿る。そんな目の色変えたり、実態化した神が姿を消したりって怪奇現象みたいな事は普通の人間の前では見せるもんじゃない。相手にはただ片目の色が変色し、近くにいた人が消えたとしか思わない。今言った意味分かるな?」
片目――。そういえば大男が俺の片目がどうとか言っていたのを思い出した。実際俺の視点からでは視界に変化は無かったが、あの反応からして目の色が変わるのは、普通じゃない事くらいは今冷静になって考えれば分かる。
同時にクトスの緑に輝いた片目は彼が間違いなく契約者だという証明にも繋がった。とりあえず下手に神の力を使わないようにしろって事だろうが、その後に一つ疑問が湧いた。
神器……。いや待て、俺は初期装備の刀で片目の色が変わった。そもそも神器とは一体なんだ?
「……なぁ。神器ってなんだ?」
「は?」
クトスは俺の率直な質問に目を大きくし、口に付けようとしていたグラスをひとまずカウンターテーブルに置いた。その顔を見て横に座るミーコと目を合わせると、すぐに目を逸らされ苦笑いされる。
こいつ……。何か隠してんな?
「お前まさか神器なしで目の色を変えてたのか? もしそうなら、それは……なんというかイレギュラーだぞ。……見ていてやるから試しに今ここで刀を抜け」
ジト目でミーコを見ていると、勢いよく立ち上がったクトスはテーブルを挟んで俺の前に立ち、そう急かした。言われるがまま立ち上がり、刀を手に持ち、ゆっくりと鞘から刀を引き抜いた――。
しかし、大男の時とは違い、なにも起きない。ふと後ろを振り返ると武器に宿ると言っていたはずのミーコの姿もある。俺は困惑しながらクトスの方を見ると、彼は腕を組みながら、思案顔を見せる。その後ろからはティアラがカウンター席に座ったまま、大きな瞳を瞬かせ様子を見ていた。
「これは――。ミーコ。いやスサノオ。お前もしかして扉を開いたのか?」
「……おそらくほんの少しじゃ。今は閉じている。なぜ開いたのかはわちにも分からない。推測ではあるがもしかしたらあの時のハオの怒りの感情が――。いや、やはり分からない」
二人の表情は曇る一方で、俺もティアラと同じように首を傾げる一方だ。扉とはなんなのか――。
「一体何の話だよ」
二人の顔を交互に確認するが少しの間沈黙が続き、懊悩としているのか、「うーん」と声を漏らすクトスは遂に重い口を開くようにため息交じりに声を出す。
「実はスサノオには少し特別な力が別に備わっていてな。昔にその力は封印したはずなんだが……」
「特別な力?」
「そう、勿論限度があるみたいなんだが――。その力は微力ながら可能にする能力だ」
ティアラ【????】
次回 傍観者
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